SAVE: 11 浦島介に関する例の事件

─Part.1─


「京、僕見ちゃったんだよね~」
「? ……何をだよ」
「またまたとぼけちゃって。告られてたでしょ、弁当屋のおねえさんに」
 グフッ! ──飲みかけた熱めのお茶が気管に直行する。最もベタな方法で動揺を顕わにすることになり、入力作業に没頭していた金熊も向かいのデスクで雑談していた荒木・城戸コンビも思わず目を剥いた。シンの嫌らしすぎる笑みが止まらない。
「どうすんの? 断んの? あの娘かわいいよねー、セイバーズの社員にはよくオマケしてくれるしさー」
未だ噎せかえっている京はお構いなしに次々と核心をたたみかけてくるシン。迂闊であった。商店街の弁当屋はセイバーズ藤和支社職員の御用達なのだ。安くてたっぷり、なおかつ美味い。貧乏学生と体力系業種にはなくてはならないライフラインなのである。シンがそこで唐揚げ弁当を購入しているのも何度か見たことがあった。
「そう言えば視線……お前な、盗み見とか性格悪いぞ。今に始まったことじゃないけど」
「べっつにー? 巡回中に様々なところに目を配っとくなんて基本でしょ。そこにたまたまあり得ないシーンがあれば興味も湧くってもので」
「あり得ないとか言うなよっ。だいたいあれはだなぁ……!」
厳密に言うと食事に誘われたのであって告白されたわけではない。連絡先も、空いている日を教えてほしいという理由で渡されたものだ。告白、ではない。が、ほぼ同義だ。
 返答に窮していると入口ドアが開かれるのが目に入った。小雪が戻ってきたのだ。ただでさえ避けたい話題に絶対聞いてほしくない人物が登場したとなれば、もうここはお茶を濁すしかないではないか。
「とにかくっ。俺は忙しいの。あっち行ってなさい、しっし!」
「ふ~ん? ま、続報があれば教えてよ。別に茶化さないからさ」
現時点で十分冷やかしになっていることにシンは気付かないのだろうか。恨みがかった視線を送っていると、その視線上に小雪が割り込んできた。彼女の席が京の隣なのだから不可抗力ではある。
「何の話?」
「明日は雪が降るかもねって話」
シンが間髪いれずに答えると、黙って聞いていた男連中が揃って肩を震わせた。
「まだ11月だけど……」
「もしかしたらだよ。京次第だけどねー」
 ひたすら疑問符を浮かべる小雪に対して、京ができる補足説明は無い。彼は目の前の弁当を胃に収めることだけに集中した。いつもは冷えても絶品の生姜焼き、今日は味がよく分からないまま最後の一切れを頬張った。
 三時になりアイチェックを追え、再び事務作業に取り掛かっていた夕方、出動要請ベルが鳴った。バス停でバスの到着を待っていたスプラウトが、数分遅れて到着したバスの運転手に扉が開くなり殴りかかったらしい。二回目のアナウンスが終わって、条件反射で腰を浮かした京を向かいの席から荒木が窘めた。
「シン、白姫。二人で行って来い。Bかどうか未だ分からんから、ちゃんと聴取しろよ」
「了解、行ってきます」
バディ二人が上着を手に出動していく後ろ姿を、京は置いて行かれる子どものような切ない眼差しで見送った。腰は浮かしたままだ。
「~~浦島っ。わざとらしいんだよっ、座れ。実質お前行けないだろ」
「わーかってますよー」
セイブ業務の最中なら──
「身構えなくていいと思ったんだけどな」
「なんか言ったか? 文句はみんなに聞こえるような元気な声で言えよ。学校で習ったろ」
 京のつぶやきを中途半端に拾って、どこまでも適当な理屈を述べる荒木。向こうがこれだけ適当なのだから京が生返事をしても文句は言えないだろう。
 もう必要の無いシャープペンシルを指先で回しながら、ふと思い出した。そう言えば、パウンドケーキの御礼さえ言っていない。
「なーにやってんだかねー……」
自嘲の笑みが漏れた。回したシャープペンシルの胴体に「藤和商店街10周年記念」と印字されているのが目にとまった。
 京にとって復帰初日は、半休にも関わらずとにかく長い長い一日だった。普段からパソコン画面と書面とを意識的に避けてきた男に、終日デスク磔の刑は拷問以外の何物でもなかった。痔になるのではないかと不安がよぎったりもした。言うまでもなく実質的にではない、精神的痔である。しかしそれは杞憂に終わる。この日以降、保安課の職員が全員そろって室内で談笑を交わす、という光景は見られなくなった。


 11月中旬某日──。その日の朝礼が、はじまりだった。
「悪いが諸連絡とスローガン唱和は割愛させてくれ。荒木、城戸、浦島、桃山はこの後すぐ車で勝山大橋へ直行。高架下の他殺体について警察に協力して動いてくれ。領分を越えん程度で構わん」
金熊は出社するなり大股で自分のデスクに向かう。その途中早口に告げた。
「他殺体、ですか。こりゃまた朝っぱらからヘビーなのが……」
荒木を始め名指しされた男性陣が渋い表情を作る中、京が淡々と挙手した。
「課長。小雪は」
「白姫くんは待機だ。……高架下で発見されたのは“惨殺死体”らしい。我々に協力要請が出たのは、遺体から眼球がくり抜かれて持ち去られているからだ。遺体はスタンダードのものだが、スプラウトなりBなりが関わっている可能性は否定できん」
金熊は眉間にしわを寄せながらどっかりと腰を下ろした。荒木が早くも胃をさすりながら口をへの字に曲げる。彼は今朝、愛妻が作ってくれたスクランブルエッグをたらふく平らげてきたばかりである。
 現場直行組から除外された小雪は幾分不服そうだ。その不服そうな小雪を見て荒木は不服そうになり(惨殺死体など好き好んで見たくはない)不服そうな荒木を見て金熊までも不服そうに口を尖らせた。しかし金熊の表情が浮かないように見えるのはこればかりが原因ではなかった。
「課長」
 不服とは無縁そうな男、城戸が挙手した。
「青山は、今日は休みですか」
皆が一斉に空席のままのみちるの席を注視した。金熊にまた野暮用でも頼まれたのだろうと勝手に踏んでいた荒木が、滅多にないが遅刻だろうかと気にかけていた京が、体調が悪いのだろうかと心配していた小雪が、今度は金熊に視線を集める。
「それを今から話そうとしてたんだよ。青山君は……病院だ。今日は出社しない」
 全員の顔の筋肉が強張った。金熊の神妙なもの言いがそうさせる。
「昨日の夜だ。自宅マンション近くの河川敷で……何者かに後頭部を強打された。幸い命に別状はない。今朝がた意識も回復している」
「な……」
 正しい咄嗟の反応というやつができず、一同はただ唖然とするだけだ。彼らの意識は河原の惨殺死体よりも保安課のマドンナ、青山みちるの安否に全力で傾く。当然と言えば当然である。しかし金熊がわざわざこの順序で説明をしたのにはそれなりの理由があった。その意味ありげな視線に京が気付いた。
「みちるさんちの前の河川敷ってもしかして」
「……そうだ。青山くんが襲撃されたのは勝山大橋の現場から20メートルも離れていない場所になる。推定犯行時刻もほぼ同じ。二つの事件は関連があるかもしれんし、もしかしたら彼女が犯人や犯行そのものを目撃している可能性もある。いずれにせよ」
金熊は、ようやく何か吹っ切れたように銘々と視線を合わせた。
「勝山の殺人事件には介入せざるを得ない、ということだ。俺はこれから病院の方に行く。各自、先走らず気を抜かず冷静に迅速に行動してくれ。以上」
「了解」
声を揃えて男性陣は立ちあがった。先刻よりも心なしか表情が固い。みちるの怪我は、不幸中の幸いなのだろうか。そして偶然なのか必然なのか。意味の無い推測だとは思いながらも考えずにはいられなかった。

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