勝山大橋までは京が運転手を務めた。各々が思索に耽っているのだろう車内は珍しく無言のままだった。車窓に映る景色が河川敷のそれに切り替わると、後部座席の荒木と城戸が身を乗り出してフロントガラスを覗き込んだ。
「亀井巡査じゃないか」
「ですね。奴がいれば多少はやりやすいかもしれません」
橋の手前、土手に上がるための石階段を上る刑事の姿がある。彼の方も見覚えのあるセイバーズの車両に気がついて片手を挙げた。藤和署の亀井は、京の高校時代からの友人で一言で言えば「話の分かる奴」である。
公的機関である警察とあくまで民間企業であるスプラウトセイバーズ、両者は行使できる権限から規定、果ては給料まで何もかもが違う。根本的なところでは、守るべき対象からして異なる。そのくせ「事件」だの「犯罪」だの扱う事案は悉くかぶるから協力規定を設けないわけにはいかない。そうして仕方なく作られた体制であるから、大抵の警察官はセイバーズを良くは思っていない。もっと言えば疎ましく思っている。そんな中、京と昔から付き合いがある亀井巡査部長はスプラウトそのものに理解がある数少ない人材だ。
京は最徐行で走行しつつ運転席側のパワーウィンドウを下げた。ナンパでもするかのように片肘ついて顔を出す。
「よぅ」
「おーおー、相変わらず軽いね。その分なら心の準備はばっちりだな? 言っとくが刑事ドラマみたく現場の周辺でリバースなんてのはご法度だからな」
「……そんなにグロいの」
「今晩夢に出てくるレベルにはな。と言っても見てもらわないわけにはいかない。準備ができたら降りてきてくれ」
亀井は後部座席の荒木と城戸に小さく会釈すると小走りに石段を下りて行った。数秒置いて、浮かない顔のセイバーズ連中が車から降りる。シンが配る濃い青色のビニール袋がなおのこと嫌らしい。
石段を下りきるとすぐ、広範囲にわたっておなじみの「KEEP OUT」テープが張り巡らされていた。亀井がそれを慣れた様子でくぐりながら京たちに手招きをする。意を決して四人は亀井の後に続いた。
遺体は、草高の雑草をなぎ倒すようにして仰向けに寝かされていた。「遺棄された」という方が正しいのかもしれないが、素人目にはそれはそこに、あるべくして配置された人形のように見えた。と言っても、フランス人形などではない。配置のずれた人体模型である。着ていた白いパーカーの腹部は血液で黒く変色している。着衣の下から、本来腹の中に収められているはずの器官が引きずり出されているのが見えた。
真っ先に反応を示したのはやはり荒木だった。視界にいれるや否や口元を押さえて背を向ける。亀井が一瞬だけそちらを気に留めたが、すぐにしゃがみこんで問題の箇所を指でさした。
「凶器はかなり渡りの長い刃物と推測されています。でなきゃこうも腹の中を掻きまわすなんてできない。眼球をくりぬいたのも同じ刃物だと思われます」
聞かされていた通り、遺体には目がない。両目ともまるごとくり抜かれている。それも随分執拗にだ。目の周りには無数の切り傷と刺し傷があり、犯人が眼球の取り出しに執着していた様が読みとれる。
「こっちが、先ですかね」
城戸がしゃがみこみ、亀井と視線の高さを同じにした。指さしたのはくり抜かれた目の部分である。亀井が「おそらく」と畏まって呟いたのが、棒立ちのままの京とシンにも聞こえた。
「お伺いしたいのは、ブレイクスプラウトの犯行で過去に類似の事例があるかどうかです。その手の資料はこっちには残って──……浦島、どうした」
荒木と城戸に向けて、あるいは他の捜査員の目も気にしてのことか亀井は畏まった口調を変えなかった。しかし血の気を失った京の顔を目にして思わずそちらに注意を払った。隣にいるシンまで青い。
「京……この子」
「分かってる」
シンが何か口走ろうとするのを遮って、京は城戸の隣にしゃがみこんだ。どす黒い窪み、昨日の夕方まではここに透き通るような輝きの瞳が確かにあったはずだ。京は、その目が笑うたびに細まるのをよく知っていた。スーツの上ポケットに入れっぱなしになっていた四つ折りのメモを取り出すと、手の中で静かに広げた。
「亀井ちゃん。被害者の名前は『津留沙織(つる さおり)』さん、か」
「……そうだ。どうしてお前が」
「よく行く、弁当屋の子だ。セイバーズにはたぶん知ってる奴が多いよ」
驚愕したのは亀井ではなく荒木と城戸の方だった。彼らとて京ほどではないにせよ、利用したことのある弁当屋であった。眼球が無いことは勿論だが、私服であること、髪が下ろされていることなども相まってすぐにはピンとこなかったが、なるほどよくよく見れば否定しようの無い面影というものがあった。
京を筆頭に沈痛な面持ちのセイバーズ面々を見て、亀井は深々と嘆息した。
「なるほどね……。下手なことは言えないが、セイバーズと全くの無関係ってことはなさそうなよなぁ。土手の傷害事件も保安課だったよな?」
「……そっちの方はどうなってんの」
「意識が回復したってことだったから別の捜査員が行ってるよ。関連性はあくまで俺の推測だぞ。変に決めつけて動くのだけはやめてくれ」
捉え方次第ではカチンとくる言い草だったが、京は特に反論せず適当に相槌を打った。推理も捜査もセイバーズの領分ではない。この殺人事件にせよ、みちるが巻き込まれた傷害事件にせよ、そこにスプラウトが関わった確たる証拠がなければセイバーズが主体的に動くことはできないのである。
青い顔で後方に控えていた荒木の携帯が鳴った。手刀を切って応答、相槌の様子からどうやら課長からの帰社指示であることが窺えた。京は今一度、遺体に視線を落とし静かに合掌した。
帰社して早々、京はI-システム課に直行した。昨日に引き続き、午後はアイの検査を受けるよう金熊からもシステム課柳下からも念を押されていたからである。検査と言っても、柳下にアイを診察してもらい細胞液を採取、異常の有無を確認してもらうだけだ。実質ものの数十秒で終わる。
「はい、もういいわよ。溜まってた血液も残ってないし、問題ないでしょ」
柳下がスティックライトの電源を切ると真っ白だった京の視界に色が戻った。見開いていた目と同時に締まりなく開いていた口も閉じる。今まで何度となく「口は開けなくていい」と言われ続けてきたが、開くものは開く。最近は柳下もいちいち注意しなくなった。
「浦島くんとしてはその後どう? 昨日から変わりない?」
湯気の上がるティーカップを片手に、柳下は昨日の検査結果に目を通す。淹れたばかりの紅茶の香りが医務室全体に漂う中、京はうんともすんとも答えずに入り口ドア付近を凝視していた。更には口元に手を当てて、全神経を視線の先へ集中させる。半ば無視を決め込んでいる柳下──京の意味深かつ無意味な言動には彼女も慣れている──は、やはりいちいち気に留める様子もなく音を立てて紅茶をすすっていた。
「奈々ちゃん……。変わってるよね、昨日から。非常に大きな点が」
「んー? そう? 見てみないと分からないなー」
「いやいやいやいや! 俺じゃない、俺は至って元気! アイもこれこの通り、一寸の濁りもなく美しい宝石のようでしょ? プリズム顔負けでしょ? ……じゃなくて!」
京は勢いよく立ちあがると大股で入り口ドアに突進した。正確には入り口ドア隣に設置している資料棚、更に精密にポイントをしぼるとするならその棚の整理をしていた女性に向かってだ。女性は当然怯える。それが通常の反応というものだ、悲鳴を上げられなかっただけましかもしれない。
「いなかったよね!? 昨日までこんなかわいらしいお姉さん! 俺のアイが正常ならば!」
「そうねぇ、ご明答。今日からうちに転属になった有田さん。有田さん、こちらさっき話した保安課の浦島くん。スプラウト」
「奈々ちゃんやめてっ、そのざっくりした紹介!」