SAVE: 11 浦島介に関する例の事件

─Part.1─


 とんでもなく失礼極まりないことを言われているにも関わらず、京は亀井と一緒になって唸るしかできない。本人が実のところ「ないだろうな」と思っていたのだ。この話の中心が、シンなら両手離しで納得するのだが。
「まぁとにかく、こっちだってお前が犯人だなんて安直な考えはしていない。ただ何かしら関係してるとは思っている。お前もそのつもりでいてくれ」
「そのつもり、ねぇ。何。尾行してきたりするってこと?」
冗談混じりのつもりが亀井は乗ってこない。つまり、この無言が答えなのだろう。京はつまらなそうに生返事をして、蹴倒したまま放置していたパイプ椅子をきちんと元の位置に戻した。
「ま、好きにしたらいいんじゃない。それを解決するのがそっちの仕事なわけだからさ。俺には俺のやるべき仕事があるわけで、今はそれで手いっぱい」
「……ご協力どうも。送るか?」
「パトカー? 遠慮するわ」
 京は引き留められることもなく、案外すんなり藤和署を後にすることができた。送られようが自力で帰ろうが、要するに一歩外に出た時点でスーツの男が数十メートルあけてつけてくる状況は変わらないわけだ。さて帰社したら何をどう説明するべきか。考えながらバス通りまで、憂鬱さを連れてとぼとぼと歩いた。


「浦島、戻りましたー……」
 保安課の敷居を跨いだのは、正午前だった。入り口に一番近いシンの席が空だ。食事に出たかと思ったが、隣、つまり小雪の席まで同じく空だということは二人で巡回にでも出たのだろうか。課内に残っているのは古参ばかりだ。
「浦島、報告はいいからそのまま昼休憩とれ。ご苦労だったな」
金熊が労い、というよりは憐憫の眼差しを向けてくる。皆が皆、どことなく生温かい目でこちらを見守っているのが分かる。部下が強制連行される現場に居合わせながら他人を装うことに、微塵も躊躇いを覚えない連中だ。どうせ腹の中では笑いをこらえているに違いない。と思いきや。
「浦島、A定でいいなら奢るぞ。飯買ってないだろ?」
城戸が声をかけてきた。それも聞き間違いでなければ、内容が神がかっている。
「悪かったな、さっき。助けてやれなくて……」
「き、城戸さん……!」
「こっちも突然のことに対処しかねてな。まさか浦島に、まさかその、愛憎絡みで疑いがかかるとか……ブフッ」
 城戸の真面目ぶった様相は、会話数秒でもろくも崩壊した。地味に噴き出したかと思うと京の肩を何度となく叩いてくる。自らの笑いを鎮めようとしているのか、京を慰めようとしてくれているのかいずれにせよ、無礼すぎて言葉もない。
「城戸さん。俺、初めて城戸さんのことを絞殺したいと思っています」
「悪かったってっ。まぁでも聞いた限りでは確かに浦島と無関係とは思えないな。どうなんだ、そのあたり」
「どうなんだって言われましても」
「今のところ、『フラれた腹いせにカっとなってやった』が一票。『誰かが浦島を嵌めようとしている』が一票。『新種の呪いにかかった』が三票。本人としてはどうかと」
「城~戸~さ~ん~」
笑いを必死に堪えながら聞いてくるあたりが腹立たしい。内訳も気になるところだがどうせ全てろくでもない回答だ、誰がどう思っていようが大差ない。
「青山は? どう見る、被害者の視点で」
完全に悪ノリしている城戸、みちるの頭に巻きつけられている包帯が彼には見えないのだろうか。そうだ、確か既に城戸は「デリカシーなし男」の称号を得ているのだ。それも外でもないみちるからである。 
「城戸さん、悪ふざけがすぎます」
やはりこういうとき、場を締めてくれるのは我関せずの上司陣ではなくみちるである。
「私は……なんていうか。ちょっと感じたのは、誰かがヤキモチやいてやってるみたいだなって。浦島くんのことを独占したいと思ってる、誰か」
そしてなんだかんだで律儀に応えるのもみちるだ。彼女の回答に保安課内は静まり返った。そして次の瞬間走る、激震。震源地は我関せず部隊だったはずの上司二人だ。
「うわはははははは! ない! それだけはないわっ。青山ぁ~、頼むからそれとなく真面目に爆弾投下するのはやめてくれっ」
「荒木……っ、お前な、浦島の目の前でそんな……」
周囲憚らず大爆笑の荒木、を窘めながらも俯いたまま肩を震わせる金熊。こうなるとだいたい、城戸まで伝染するのが常だ。城戸は手刀を切りながら顔を背けて噴き出した。京は慣れているが、みちるとしては心外極まりなかったようだ。まさかの青筋を浮かべて半眼無表情を作っている。おかげさまで京としては、反論の機会を失ってしまった。
「意見を求められたから言ったんですっ。それに浦島くんのアパートを訪ねたときに、誰かから見られてるって感じがしたし……あぁいうのって、気のせいじゃないと思うんだけど」
 未だに笑いの渦が収まらない中、京が一瞬だけ顔色を変えた。すぐに取り繕う。今ここで、取り乱すのも深刻な空気を作るのもおそらくまずい。同じくそれを察しているのが城戸だ。だから笑いの残りかすのような嘆息をして、わざわざ気付かないふりをした。
「女の勘なんてのは総じて的外れだろうに。それは警察には?」
「伝えてますよ? もうほんと、警察の方が真面目に聞いてくれた気がします」
「そりゃ良かった。まーあいつらがメモとってますアピールするときは、大抵何も書いてないパターンだけどな」
「~~城戸さん」
今度はみちるが特大の嘆息。
「大方近所のおばちゃんにでも監視されてたんだろ? さーて、浦島。食堂行くか、そろそろ混んでくるぞ」
城戸はこういうときのかわしかたに長けている。カラカラと笑いながらも実質有無を言わさない目で京と連れだって保安課を出た。エレベーターに乗り込むまではその柔和な笑顔を保つ徹底ぶりだ。
「心当たりは?」
扉が閉まりきる前に城戸の表情は一変した。「女の勘は的外れ」は本心ではない、虫の知らせよりも男のくだらない第六感よりも信じるに値する局面がある。いや、過去に数度そういうことがあった。などということを思い返して苦虫を噛み潰しているときではない。
「……視線については二度。つまり、みちるさんのときを除く他の二件で」
 京は、昨日のシステム課でのアイチェック後感じた視線について思い返していた。更に一昨日の弁当屋での視線についてもだ。──勝手にシンの出歯亀だと思い込んでいたが。
「それならなおさら、青山の証言で補完されたことになるな」
 刑事が京に聴取したのは、おそらくはみちるのこの証言があってのものなのだろう。城戸が遠回しに聞きたがっているのは、京に実質的な犯人の心当たりがあるかどうかだったが、それについては互いに無言のまま了解し合った。
「課長には俺から報告する。浦島はこの件に関しては下手に動かない方がいいだろうな。次は任意同行じゃすまないかもしれない」
 京が返事をする前に、エレベーターの扉が勢いよく開いた。昼食時ということもあって食堂からは芳しい香りが漂い、目の前の廊下から社員の群で賑わっていた。城戸の顔に標準装備の柔和な微笑が戻る。京の背中を軽く押した。
「ひとまず腹ごしらえしてからだな。深刻になるなよ、お前も」
今度は微笑を作って何度か頷いた。とにかく今最優先すべきは城戸の言う通り、食いっぱぐれないため最善を尽くすことだ。食堂にも緊急出動ベルは鳴る仕様になっている。保安課は社内どこに居ようとも、例え出来立てラーメンが目の前に置かれた瞬間であろうとも、あれが鳴れば現場に急行しなければならない。城戸はA定食の食券を二枚、販売機から購入するとなじみの食堂職員に爽やかな笑みで手渡した。
 身構えているからなのか、こういう日に限って出動要請は来なかった。しかしそれは、管轄内が一日平穏無事だったという証明にはなり得ない。悪夢のような事件や事故のはじまりは、いつも決まって麗らかで安らかで何でもない日常に溶けて紛れこんでいる。京はその手のアンテナをいつも以上に張っていた。

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