SAVE: 12 A puppet in the Broken world


予想に反して、乙女は静かに沈黙を破った。
「それを判別するための、アイの状態が分かるって話な。異常な濁りはあっても、プリズムだったよ。っていうか、俺言ったよなあ? 怜奈のアイとは別モノだったって──」
『それしか言ってないでしょうがあ! このボンクラ! だったら話は早いじゃない……っ。プリズムアイのブレイクシュミレーションくらいなら今日明日中にでもできるわよ!』
「……15年前の、プリズム狩りの被害者優先すれば今日中にはできるだろ。乙女なら」
『でかしたぁ京介! 切るわよ! これそのまま金熊課長にあげといて!』
不躾に切られた通話に、思わず片目を瞑る。横で聞いていた金熊が報告は不要とばかりに苦笑混じりに手を振っていた。京も肩を竦める。
「浦島、ちょっといいか」
 ファイルの壁の向こうから荒木が顔をのぞかせた。視線の先が入り口ドアであることから、課内ではできない話らしいことが分かる。こそこそするなと言われた傍からこれだ。しかし上司命令であれば仕方が無い、ここは堂々とこそこそするしかないだろう。 
 荒木について、廊下のコーナースペースまで歩いた。荒木は、くの字型に並んだ自動販売機の一つに硬貨を投入して迷わず「高級緑茶しのぶ」のボタンを押す。二缶買って、ひとつは京に手渡した。
「お前、今回の処分についてなんか聞いたか」
 嫌な始まりだ。ひと気のないスペースで、緑茶を奢られていることと関係があるのだろうか。
「ほ、保留としか」
顔面蒼白の京を目にして、荒木はあろうことか笑いを押し殺している。
「なんだ。辰宮の電話、その件じゃなかったのか。これ以上減俸も降格もできないし、お前そろそろ飛ばされるかもな」
「荒木さん、ひょっとしてこいつは餞別ですか……」
未開封のしのぶを恨めしげに見やる。流石に安い。せめてケース買いしてほしい。
「冗談だ。……と、言いきれもしないか。お前何年だ? 七年……八年経つか、ここ来て。年明け人事は動くかもしれないな。俺も含めて」
「何すか、やけに感傷的」
思わず笑みが漏れた。荒木の真意は掴めないが、らしくもなく雰囲気を作ろうとしていることは分かる。それが無性に笑いを誘った。
 荒木は笑わなかった。何を悲観しているわけでも、何か立腹しているわけでもなさそうなので放っておくことにして、京は「しのぶ」のプルタブを押し上げた。
「遺体安置所の内部調査、俺と城戸がメインで動くことになった。金熊さんと俺の人脈で、信用できるのも何人か揃えてある」
 なるほどこの手の話かと納得し、京は缶に口をつけたままでおもむろに頷いた。
 京発信のいくつかの情報は、実のところ本社や他部署に挙げられていない。金熊の判断だ。そのひとつとして挙げられるのが、特別遺体安置所から怜奈を含むいくつかの遺体が消失していた件である。このことを知っているのは、報告を受けた金熊、施設管理人、そしてこの件について指示を受けた荒木と城戸、その周辺のみということになる。このメンバーには緘口令が布かれている。
「内部の手引きなしじゃ……どう考えたって無理だもんなぁ」
口調だけを冗談めかしてはみたが、荒木の沈痛な面持ちは変わらなかった。
「お前、辰宮に何も喋ってないだろうな」
「まさか。言いませんよ」
「ならいい。……シンと白姫にも何も言うな。一人話せば三十人には広がる」
 それはたぶんゴキブリの内在率の話だと思うが、これもつっこまずにただ頷く。そしてこの「しのぶ」が口止め料というか、その確認料であることにも気づく。やはり、安い。
「浦島。通常業務に加えて、手が空いたら“BLOOM”と“ウルフ”について調べろ」
「それはもうやってますよ」
「だろうな。で、判明したことは逐次、俺と課長に報告しろ。それとそっちについてはシンと白姫も使って、バディで連携して動け。ホウレンソウとチームワーク、いいな?」
荒木の口からは聞き慣れないカタカナ語が飛び出した。京はおばけでも見たように目を丸くしている。荒木も自身でそう思っているからか耳まで真っ赤だ。
「ああ~っ、とにかくだなあっ。時間がないんだろ、時効まで一ヶ月切ってんだ。使えるもんは使う、頼れるもんは頼る、それでいいだろ。……それで良かったんじゃないのか、今までも」
批難されているのか激励されているのか判断しにくい、これが荒木なりの気遣いだ。荒木を構成する成分の半分は不器用さでできているといっても過言ではない。しかしこの不器用な先輩上司のことを、京は金熊と同じ程に信頼し尊敬している。
「……ありがとうございます」
深々と頭を垂れた。
「勘違いするなよ。俺は案件を私物化するなって言ってんだ」
まだ赤いままの顔を背けて、荒木は一足先に踵を返した。自分もそろそろ、と残り半分になった缶の中身を勢いよく飲みほした刹那。
 古い電話のベル、もとい出動要請ベルがけたたましく鳴った。
「藤和市動植物園より入電、ライオン檻にへばりついて奇声を発する男性スプラウト一名。保安課職員は現場に急行してください。繰り返します」
プラシーボ効果というかパブロフの犬というか、ベルが鳴れば反射的に全身に緊張が走る。その最中にありながら京は表情筋だけがみるみるうちに弛緩していくのが分かった。相変わらず無駄に詳しいオペレーション課の状況説明に、何とも言えない脱力感が湧いてくる。
「京~。何もたついてんの、行くよー」
とどめとばかりに倦怠感満点のシンの呼び声。廊下の突き当たり、エレベーターホール付近でシンと小雪が待っていた。
 空になったしのぶ缶を軽快に屑かごにシュートし、京は小走りに二人に合流した。


 平日の真昼間に、わざわざ動物園を訪れる物好きはそういないだろう、という京の思いこみに近い予想は見事に外れていた。どの檻、どの飼育小屋の前にも程よい人だかりができている。男女色違いのスモッグを着た幼稚園児の群れ、ベビーカーを押しながら談笑する若いママたち、リタイア後の老夫婦、風が吹けば思わず身を縮こまらせてしまう本日の気温などお構いなしという風にそれぞれ有意義な時間を過ごしていたようだった。過去形にせざるを得ないのは、入園ゲートを通過した直後から嫌でも聞こえてくる「遠吠え」のせいだ。
「見ろよ。ライオンよりよっぽど観察されてるぞ」
京は至って真面目な顔つき、真面目な声色で二人に同意を求めた。視線の先には、事前情報通りライオンの檻にへばりついて奇声を発する男がいる。それ以外に形容のしようがなかった。まるで興味の無さそうなライオンに向かって、「ガオー!」だとか「ウガー!」だとかを持てるすべての力を振り絞って叫んでいる。
「あのライオンのスルースキルも凄いよね。チラ見さえしない」
シンが同意、というか京に乗っかって話をくだらない方向に広げていく。二人は腕組みしたままでしばらく状況を見守っていた。奇声男を必死にひっぺ返そうとしているのは飼育員数人だけで、ギャラリーはショーでも楽しむように和やかに笑っていた。
「確かに、緊迫感ないかも……」
いつもなら目くじら立てる小雪ですら、先の二人に倣ってしまう。うろたえている飼育員だけがこの場では異質で、いっそ滑稽ですらあった。その飼育員──半べそをかいている──が、達観しているスーツ陣、つまり京たち三人に気づき安堵の表情を見せた。
「……見つかったか」
顔を背けてこっそり舌打ちをしたのは京である。これには小雪もしっかり肘鉄を入れた。
「スプラウトセイバーズの方ですよね~! お待ちしてましたぁ~っ!」
すがるように駆け寄ってくる飼育員。おかげさまで、場の注目は一気に京たち三人に集まってしまった。こうなっては仕方が無い。ギャラリーに愛想笑いを振りまくことも忘れずに、京は今さらながらに姿勢を正した。
 
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