「お待たせしましたっ。スプラウトセイバーズ保安課、浦島です。彼らはアシスタントなのでお気になさらず。現場は……あそこですね?」
「そうですぅ! もうどうしていいか……。ライオンの方も今はああしてますけどいつ興奮するとも限らないし、来場者はみんな面白がっちゃうし……」
「ははあ、それはお気の毒に。しかし大丈夫ですよ、後は我々にお任せください」
疲弊した飼育員に対して憐みの眼差しを送り、そのままシンと小雪に続くように手招きした。いつになく頼もしい先導である。
「京、どうするの?」
「決まってるだろ。ひっぺがえす」
言いながらスーツの上着を脱ぐと、ワイシャツの袖を豪快に肘上までまくった。そのまま奇声男ににじりより、タイミングを見計らって背後から飛びついた。
「ぎゃあああああああ!」
飛びつかれた側の真っ当な悲鳴である。大胆な痴漢のようでもあり、お洒落なバックパックのようでもある京の姿に、シンと小雪はただただ唖然とするばかりだ。
「いやああああ! はあああああ!」
なおも奇声をあげるブレイクスプラウト。心なしか、いや確かに奇声の質がレベルアップしている。単純に言うと先刻よりも状況が悪化したようだった。ライオンの檻にしがみつくスプラウト、その男の背に更にしがみつくスプラウトセイバーズ、最悪の構図である。
シンが耐えきれずに吹きだした。
「シンくん……」
「ごめ、だって……京なんのつもりなんだろ、あれ。ひっぺがえすって、コアラ状態じゃん」
「馬鹿! お前ら何ぼーっと突っ立ってんだよ! 引っ張るの! この状態で俺を引っ張るの!」
「あーはいはい、引っ張ればいいわけね。やりますやります」
こうしてシンを殿に据え、小雪、京という順の「大きなかぶ」フォーメーションが完成した。ひっこぬくのはかぶではなく元凶であるブレイクスプラウトだ。
「シーン、準備いいかー?」
「いつでもおっけー」
「もー! はずかしいから早くやって! 引っ張ればいいんでしょ?」
「はずかしがってる小雪ちゃんも悪くないねー! そいじゃあいっちょやりますか! せぇーのっ」
掛け声とは対照的に、それぞれが地味に気張り声を上げる。「うぅぅ」だとか「ふぬぬ」だとかのいきみ声の中、「大きなかぶ」だけが場違いに大絶叫していた。
「離せえええええ! どけえぇぇぇ! 俺は、俺はあああああ!」
「おい! こいつすっげえ話せるぞ! ブレイクしてんのか!?」
引っ張り、引っ張られながら京も負けじと声を張り上げた。
「それを判断するのが京の役割でしょ! もーっ! 完全に興奮させちゃってるじゃない!」
抱きつき、抱きつかれた状態で更に意気んでいるせいか小雪の顔も赤い。時折京から漏れてくる嬉しそうな笑い声がたまらなく不愉快だ。小雪は両腕に力を込めた。この際あばらの一、二本折れても自業自得で片づけることができるだろう。
「こ、小雪ちゃ、もうちょっと優しく! ぅおぉえぇっ!」
「ライオンの檻のおにいさーん! “俺は”何ですかー? ぜひぜひ続きを聞かせてほしいなー!」
腕の力はこれっぽっちも緩めず、京を挟んで男性スプラウトに呼びかけた。
「俺は……俺はぁ! ライオンよりより強い! それを証明してみせる! だからここを開けろぉお!」
小雪の問いに律儀に答えたかと思うと、男性スプラウトは檻の鉄柵を前後に揺さぶりはじめた。反動で京が剥がれ落ち、当然小雪とシンも派手に尻もちをついて地面に転げる。シンだけが終始他人事のようにからからと笑っていた。大きなかぶ作戦は失敗に終わったようだ。
京は尻をはたきながら厳かに咳払いなんかをしてみせた。
「そういうわけで、我々の決死の努力によって彼の目的が判明した」
「ねえ。もし本気で言ってるなら頭蹴らせてくれない?」
間髪いれず冷ややかな視線と脅しをくれる小雪。愛想笑いを浮かべ、京はまた咳払いをした。
「冗談はこの辺にして……。とにかく、なだめすかしてなんとかこっちに注意を向けよう。隙を見て押さえこむのが得策だろうな」
「最初からそうしてほしかった」
京を交渉役に据え、京を中心にしてシンと小雪は点対称に身構える。形は変わっても力づくで解決を図る方針は変わらないようだ。京はセイブ対象から数歩後方に立ち静かに深呼吸する。
「でー? なにキミ、ライオンより強いって?」
「そうだっ! 俺は強い! ライオンを倒せる、最強なんだ!」
注意をひきつけるという目的はいとも簡単に果たされた。男は興奮したままライオンと京の方をちらちらと交互に見比べている。
「そっかー。でもここ動物園でしょ? 公共の場ね。ちょっとここでライオンとバトルとかはできないからさ。ひとまずうちに来ない? ライオンいるよー。いっぱいいるよー」
「本当か!?」
「うん、いるいるー。もうすんごい獰猛なのがいるから。そっちのが絶対最強だから。だからひとまずその檻からは離れよっか、うん」
「嘘じゃないだろうな……」
「嘘ぉ!? 俺が嘘つくような奴に見えるの? 失礼だな! 俺の目、よく見てよ!」
和やかに会話を始めたかと思えば突如として目を剥いて怒り出す、そんな京の挙動におののいたスプラウト。京はここぞとばかりに距離を詰めて恒例の「見つめ合い」を始めた。
京自身はこのときわざわざ時間をはかったりしない。息をのんでカウントアップをしてしまうのは何となく周りの方である。それが六秒か七秒か、とにかく十秒に満たないところで強制終了した。とんでもなく鈍い打撃音と共に、だ。頭突きのクリティカルヒットを食らって、京は白眼を剥いて倒れ込んだ。
「うわっ、京!」
シンと小雪が同時に駆け寄った。駆け寄ったのは同時だったが京を支えたのはシンひとりだ。小雪はその間に男に飛びかかって逆十字固めを決めていた。
「離せええええ! 俺は、俺はあああああっ」
「うるっさぁぁぁぁい! 女子ひとりの逆十時も返せないで何がライオンよ、ちゃんちゃらおかしいっての! このまま聴取するのと、カンパニーでお茶でも飲みながらカウンセリングするの、どっちがいいの!?」
「俺は後者で。できれば立会いなし、カウンセリングルーム貸切で」
頭突きのダメージもなんのその、むくりと起き上がった京の第一声がこれだ。小雪の怒りの矛先は元凶にではなく、隙あらば傍観者でいようとするシンへ向けられた。
「シンくん! もうそれいいから、こっち手伝ってよ!」
「え、あ、はーい」
シンは小雪の言う「それ」をあっさり見捨てて、既に泡吹く寸前のスプラウトの連行に手を貸す。協力して手際良くセイブをこなす二人を、京はちょっと待ってポーズのまま見守るしかなかった。そんなふうにしてアスファルトの地面に子どものように座り込んでいたところに、どこからか微振動が届く。脱ぎ捨ててそのままにしてあったスーツの上着が、ケイタイのバイブレーションで震えているのが見えた。手繰り寄せて表示も確認せず応答した。
「へぇい……保安課、浦島ぁ」
『あっはは! やる気ないんだねぇー? 仕事中くらいはビシっとしてるのかと思ったよ』
通話口の向こうから軽快な笑い声が聞こえる。分かってはいたが思わずディスプレイを確認しなおした。
「イズミちゃんか、びっくりした。いや一分前まではビシっとしてたんだけど、ちょっとのっぴきならない理由で……」
一分前といえば、セイブ対象のスプラウトにがむしゃらにしがみついていたところだ。あれを「ビシッ」というカテゴリに加えてよいかは甚だ疑問であるが、京当人には違和感はないようである。