『ふーん、まあいいや。それよりさ、仕事終わってからで構わないから店に来られない? 例のサークル、言われたとおりチケットゲットしといたよ』
「えっ、……マジか! 仕事早いね~、さすがニンフの看板娘!」
『っていうか前も言ったとおり、相手がしつこいだけだって。で、どうすんの?』
京は腕時計に視線を落とした。午後二時をまわって少し、ジャズバー"ニンフ”はちょうど昼の営業を終えたところだ。だからこそイズミも電話をかけてきたのだろう。
タイミングが良いのか悪いのか、のびたライオン男を両側から支えてシンと小雪が戻ってきた。京はようやく重い腰をあげてスラックスについた砂埃をはたきおとした。
「そっちの都合が良ければ今から行くよ」
『いいけど、君の方の仕事は?』
「ちょうど一件落着したところ。それにそのチケットを手に入れるのも、重要な仕事のひとつだしね」
二、三なごやかに会話をして電話を切った。眼前では本日の功労者がこれでもかというほどあからさまに不服顔を晒している。京は心中であれこれ迷った末に、とびきりの愛想笑いをかますという常套手段をとった。
「ということで、俺はちょっと別件に当たるから。そのライオンマンは、二人に任せて大丈夫だよな?」
「別件」
小雪はその単語だけをオウム返ししてきた。気まずい。シンの我関せずという態度が気まずさを助長する。京が次の言葉を模索しているのを見かねてか、小雪も興味薄にただ頷いた。
「分かった。報告書あげておく」
「あ、いや。調書までまとめておいてくれれば後は俺が──」
「いいから。……やっとくから」
語気が無意識に強まった。一応言い改めてはみるものの、それがこのもやもやの何を解決するわけでもない。バディであるはずの京は相変わらずの「別件」に当たり、自分たちは常に別働隊だ。それが気に食わなくて態度に出してしまう。
(子どもみたい……)
京の困ったようなつくり笑いを見てそれを悟る。役不足だと言われている気分になる。実際そうなのだろうし、もっとそれを冷静に受け止めるべきだということも分かっている。小雪の葛藤を知ってか知らずか、京はそれ以上食い下がろうともせず黙ってスーツの上着を着なおした。
「悪い、任せるわ。……“BLOOM”について新情報が入ったから、俺は今からそっちに行ってくる。帰ったらまとめて話すから」
「はいよ。ま、僕は別にどっちでもいいっていうか、必要なら聞くよ。面倒そうだし」
シンのあっけらかんとした口調に今度は京も吹き出す。
「正直で結構っ。シンの言うとおりガセじゃなければ忙しくなるかもな。それまでに彼の事務処理は終わらせといてくれるとありがたい」
すっかり大人しくなったライオンマン──なんだかんだで空気を読む男だ──を振り向きざまに指差しながら、京は一足先に退場。後に残されたセイバーズ二人は、セイブ対象を挟んで数秒棒立ちだ。
「って具合に正直に言うと、大抵うまくいくけど。京が相手の場合」
ライオンマンをサンドイッチしたままで、シンが突拍子もなく口を切る。
「はい?」
「俺はああ……」
小雪に続いてライオンマンも会話に参加してきた。発する単語はお決まりの自己主張だが。
「だから。今までみたいに思ったこと正直に言えばいいのに、って話」
シンと小雪とライオンマン、異色の三人四脚が続く。動植物園の駐車場までの僅か数百メートルが、異様に長く感じられた。
「言ってる、つもりだけど」
「きもい、うざい、朴念仁、ヘンタイばかあほ以外だよ」
「ライオンよりもぉぉぉぉ……」
「……それ以外って何」
「感情が真逆になった途端、押し黙るのは卑怯でしょ」
シンとしては的を射た手応えがあった。さっと赤みがさした小雪の顔を見て思わずにんまりしてしまう。
「そういうんじゃないから!」
「ライオンよりもおおおお!」
興奮する小雪、共鳴するライオンマン。その雄たけびが苛立ちを加速させる。小雪は社用車の後部座席のドアを開け放して、ゴミ袋でも投げ入れるようにライオンマンを放り込んだ。自分は乗り込まずドアを閉める。「つよーーーーーい!」というこもった絶叫が車内で轟いていた。
シンは堪えきれず声をあげて笑っていた。
「これ。知り合いも連れて行きたいからって言ったら三枚くれた」
ジャズバー「ニンフ」の指定席、ステージ前の丸テーブルにライブチケットが置かれた。イズミが差し出したそれに一旦視線を落として、おもむろに手に取る。
「これ……捌いてるのはスプラウト?」
「ではないんじゃない? スプラウト専のスタンダードだと思うけど。どっちにしろ下衆野郎よ」
それはそうかもしれない。そう思うからイズミの言葉を否定はしなかった。チケットをまじまじと見つめ、記載された情報を刻み付けた。
<ULTRA BREAKING NIGHT@7th T-base 開場18:00 開演18:30>
黒いチケットには同色の花が百花繚乱とばかりに描かれている。コアなバンドのライブチケットのようでもあったが、うがった見方をすれば全てが「BLOOM」を暗示しているようにもとれた。
「どうなの? なんか、役立ちそう? それ」
「役立つもなにも、一気に切り札ゲットってかんじかな」
「マジ? やったじゃん。じゃあ景気づけに一曲聴いていきなよ。いつものやつ」
イズミが嬉しそうに立ち上がる。彼女は何かと理由をつけては歌を聴かせたがった。京も半分はそれ目当てで通っているのだから、こういう申し出を特に断る真似はしない。ちなみにもう半分は情報収集が目的である。
イズミが歌いだしたのは宣言どおり“A puppet in the broken world ”。京の一つ覚えでイズミの十八番、そして怜奈の一番好きな歌だ。リズミカルなメロディとは裏腹に歌詞の内容は根暗で、スプラウトの存在意義を揶揄したものである。京としては、未だにこの歌の何がそこまで良いのか判然としない。だから一番好きな歌、という位置づけとは異なる。イズミはその点では少し勘違いをしているようだったがそれはそれで構わない。一番大切だった人が一番好きだった歌として、特別であることに変わりはない。
The big hole has opened in the world.
Fill a hole. Fill a hole.
A leader pulls thread.
Fill a hole. Fill a hole.
We keep on dancing.
In order to fill the hole in the world
We live so that you may wish.
世界には大きな穴が開いている
穴を埋めろ 穴を埋めろ
指導者は糸を引く
穴を埋めろ 穴を埋めろ
私たちは踊り続ける 世界の穴を塞ぐために
すべてはあなたの意のままに・・・・・・