SAVE: 12 A puppet in the Broken world



「穴を埋めろ、か」
繰り返されるフレーズ、スプラウトの存在意義とされるそれを抑揚もなく呟いた。
 イズミに礼を言い、カンパニーに戻ったのは午後三時半。わき目も振らず課長席に向かう京を、シンが静かに呼び止める。
「ライオン男のアイから“BLOOM”が出た」
京の顔が驚愕の色に染まった。しかしどこかで納得もしていた。彼は紛れもなくブレイクスプラウトだった、それも京が判断する限り重度のである。にも関わらず負傷者どころか物理的損害も出さず、おまけに一応会話が成り立った。その報告は既に聞いているらしい、無言の金熊と目が合う。
「課長」
イズミからもらったチケットを差し出す。そこへ、黒いファイルから抜き取った数十枚に及ぶ資料を添えた。
「セイブ許可をください。名前はオオカミリョウジ。“BLOOM”売買の重要参考人で15年前の
プリズム狩りの主犯と思われるスプラウトです」
金熊を含めた保安課内の全ての視線が、自分に集まるのが分かった。空気が張り詰めるとは、おそらくこういうことをいうのだろう。内線を知らせるコール音だけが馬鹿みたいに鳴っていた。いつもは2コールまでに応答するみちるが、このときばかりは思い出したように慌てて受話器をとっていた。そういうきっかけでもなければ、いつまでも沈黙が続くような空気だった。
「悪いが……」
口を切った金熊の表情は重い。
「俺の判断で今すぐ出せるレベルじゃない。本社に上げて、そっからだ。良しんば許可が下りてもうちの単独というわけにはいかないだろう」
「分かってます。それでも、現場には俺の班を行かせてください。お願いします」
京は深々と頭を下げた。金熊は特に動じた風でもなく、資料とチケットの一枚をとって席を立つ。残りの二枚は京の胸元に突っ返した。
「上に掛け合う。いいか、俺ははじめからこの一枚のみを提出された。俺がしくじって、こいつのセイブに関する全ての業務が御上に一任されたとしてもだ。個人的に手に入れた二枚に関しては俺は何にも知らんからな」
全員に聞こえるように屁理屈をこねて金熊は離席した。おそらく支社長室に向かったのだろうが、ここ最近の京の行いの悪さを思えば支社長が苦々しい顔をするのは目に見えている。チケット二枚は、保険としては十分すぎるものだった。
「脇固めは俺と城戸が引き受けてやらんこともない」
 荒木が社内ネットに目を通しながら、面倒そうに吐き捨てる。有無を言わさず巻き込まれている城戸も素知らぬ顔をしているがまんざらでもなさそうだ。
「私は……どうしよう。お役に立てそうにないのが悔しいな。表立って動けないときは、私がオペレーションでもなんでも引き受けるから、言ってね」
みちるが幾分申し訳なさそうに笑う。
「じゃあ課長のネゴシエーションが破綻した場合、チケットは京と小雪さんが使うってことでいいのかな。僕はもぐりこんでもいいし、荒木さんたちに合流してもいいし」
「ちょ、ちょっとなんでそんな、さらっと決定するの? シンくんが一緒に居た方が」
「なんでって、カップルの方が怪しまれないでしょ。第一ターゲットの顔、直接知ってるの京と小雪さんくらいだしね。……っていうか、そこでじーんってなってる人。聞いてる?」
 じーんってなってる人──上司や同僚の心遣いに感極まって、半泣きの京のことだ。大の男がチケット二枚を握り締めて戦慄いている。口をへの字に歪めて瞳に涙を浮かべて、それを懸命に堪えている。
「いや。きもいから」
シンの直球かつ辛らつな台詞さえ、愛に溢れているように感じられた。
 それで良かったんじゃないのか、今までも──荒木の言葉が頭の中でめぐる。そうかもしれないと今なら頷くことができた。開いた穴の中で陰鬱に渦巻いていた、閉じ込めてきた闇が溶けて消えていく。繰り返されていたフレーズと共に。
「よぉーし! 俄然燃えてきた! 全力セーイブ!」
鼻水をすすりながらチケットと共に拳を高々と振り上げた。ここで示したい、スプラウトセイバーズ藤和支社・保安課の信頼と絆、団結力!
 待つこと十秒。沈黙の中、荒木がマウスをクリックする音がお粗末に響いた。城戸がめずらしく惜しげもなく欠伸なんかをしている。シンと小雪はライオンマンの検査結果について思ったことを真面目に話し合っていた。──思っていたのと、違う。
「ぜんりょくせいぶぅぅぅ!」
「あーはいはい。君の心とその笑顔ね。もうそういうのいいからさ、そっちの生活課からの案件片付けちゃってよ、就業時までにね」
駄々っ子のように無駄にアクセントを多用すると、ようやくシンが求めていた応答をくれた。しかしさも鬱陶しそうに、である。シンは更にてきぱきと先輩らしく業務を割り振ると、小雪にも指示を出して自分も資料室に向かう。
「いや、違う! 先輩は俺だ!」
割り当てられた業務に取り掛かったところで肝心なことを思い出したが、時既に遅し。保安課内は既にいつもの温度を取り戻していた。声を殺して笑う城戸の肩が、上下しているのが見えた。


 京たちの予想に反して、本社は温情というか「理解ある大人の指示」を下してくれた。本作戦の主体として動くのは藤和支社保安課の浦島京介とそのバディ。更にサポートとして荒木・城戸組が動くことまで許可された。但し指揮は本社保安課にある。特殊部隊とも精鋭部隊とも言われる本社保安課の臼井班と笠原班がバックアップ(という名の元締め的存在)として配置される。
「しかも拳銃携帯命令付き。……課長、お偉いさんにカラダ売ったんじゃないだろうな」
 銃器庫で防弾ベストを着込みながら、京は自分の想像内容に青ざめた。隣で同じく準備をしていた城戸が思い切り吹き出す。
「いや、城戸さん。だって俺、一発無許可でぶっ放しただけで十枚どころじゃない始末書あげたことありますよ。それがこんなとんとん拍子にっ」
「普通に課長の交渉術のおかげとかは思わないの」
「俺が聞いたのは、宇崎さんが結構口利いてくれたって話だ。お前、実は気に入られてるんじゃないのか」
一足先に準備を終えた荒木が話に加わってくる。他意はない。ないが、京の豊かな想像力というやつは留まることを知らず、全身に走る悪寒を隠そうともせず身震いしてみせた。京たち藤和支社を含む第二エリアの保安統括部長・宇崎とは以前の合同作戦でひと悶着もふた悶着も起こしている。それが原因で実質謹慎処分まで受けたのだ、条件反射で悪寒くらい走る。
「そう嫌ってやるなよ、あの人も鬼じゃない。ああいう人だから上に立つし、上にいればこその苦悩みたいのもあるんだろう」
宇崎に命じられて一日中資料のホチキス止めをやらされていた男の台詞とは思えない。達観している。いや、荒木は何か悟りを開いている。そう決め込んで京は去っていく彼の背中を有難そうに拝んだ。
 独特の雰囲気がある、言うなれば物々しい銃器庫の中で体操着に着替える男子学生のように談笑を交わす男性陣。対照的に、小雪の顔は少なからず引きつっていた。拳銃携帯命令が発令される作戦に参加するのはこれが初めてだ。撃たれたことはある。訓練で撃ったことも、当然ある。ただそれだけのことだ、実戦はおそらく違う。
「初めてか。緊張してる?」
無表情に近い小雪の顔を覗き込む、京の表情はいつもどおりだ。
「たぶん、してると思う」
「正直で結構。ま、実際撃つことはないよ。そういうのは本社の連中の方が得意だし、俺たちにはもっと信頼できる武器があるわけだしね」
京はさしてあるわけでもない上腕二頭筋を軽くたたいて、得意げに笑ってみせた。

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