「撃たれそうになっても、回し蹴りで銃ごとすっ飛ばす凄いバディもいるし」
「そうだね。最悪撃たれても、緑茶の缶投げてガードしてくれるバディもいるし?」
「……いや、流石に今日はしのぶを仕込むわけには……」
「大丈夫。まったく当てにしてない」
小雪がいつものように爽やかに傷をえぐってきたので、京は胸を撫で下ろした。
「あ、そうだ小雪。……一個だけ確認しとくけど。作戦の大まかな指示はイヤホンを通して臼井さんからされる。ただ細かい判断は自己判断というか、もしかしたらそういう状況になるかもしれない。その──」
「そのときは私、あなたを信じるから」
歯切れの悪い京の言葉の続きを、小雪が奪った。
「私はあなたのバディだから、迷ったときはあなたの判断を信じる。それで、いいよね?」
京は勢いに負けて仰け反りながら、ただ何度か頷いた。
「それでえっと、是非、お願いします」
「勘違いしないでよ、これ貸しだから! この作戦終わったら洗いざらい話してもらうんだからね、覚悟決めておいて! ……それまでは暫定的に信じる、いい?」
「りょ、了解!」
最後まで歯切れの悪い京に対して苛立ちを隠そうともせず、小雪は地団駄を踏むように去っていった。京はその背中を見送りながら、要領を得ず項を掻く。緊張してガッチガチかと思えば、こちらの台詞を横取りしたりいきなり怒り出したり。全く信用されてないのかと思えばそうでもなく、信用されているのかと思えば暫定版だったりする。
笑いがこみ上げてきた。保安課のお姫様はどうにもやはり、難しい気質をお持ちのようだ。京はそのまま、緊張ひとつしないで皆が待機する社用駐車場へ向かった。その一台の運転席にはシンが、モッズコートに黒縁眼鏡という井出達で乗り込んでいる。いかにもというか、ありきたりというか、変装のつもりならお粗末すぎる。非難しようと第一声を用意していたはずが間近で見るとそれはそれでありのような気がしてくるから腹立たしい。これだから顔の造型が整った輩は嫌味だ。結局何も言わずに後部座席に乗り込んだ。隣には既に小雪が乗っかっていた。
「京、そのダウンさー。もう四五年同じやつ着てない? そろそろ新調しようよ」
バックミラー越しにシンと目が合う。エンジンをかけながらの呆れ顔。
「はあ? いいのっ、俺はこれが気に入ってるの! お前こそなんだ、その黒縁。誰のウケを狙ってんだよ、誰の」
「べっつにー。ほら、僕の顔って印象深いじゃない。どこで誰が覚えてるか分からないからねー。小雪さんのも自前? そういうのもかわいいね」
小雪はピンクベージュのノーカラーコートを着ていた。普段は黒い、どこにでもあるようなデザインのトレンチコートで出社するのだが、いかにも勤め人ですといった風貌はイベント会場に不向きである。それも土曜の夜、半地下のライブハウスでひっそり行われるようなイベントだ。そういうわけで、潜入組は各々カジュアルな私服をドレスコードに設定した。
『おい、浦島班。気の抜けたやりとりをするなよ、作戦はもう始まってる』
各々が耳に突っ込んだイヤホンから、聞きなれない渋い声が漏れた。かなり低い上、ぼそぼそ喋るものだから鼓膜がかゆくなる。が、聞き取りやすいから不思議だ。京が代表して「了解」とだけマイクに返す。この声の主が作戦指示を行う臼井だ。
車はシンの安全運転で「7th T-base」と呼ばれる藤和駅近くのライブハウスに向かっている。現場周辺は既に本社保安課の笠原班が囲っているし、直に荒木と城戸も合流する手はずになっている。自分たちは悪目立ちしないよう開演時間を過ぎた当たりで入る予定だ。駅前のコインパーキングに車を置いて、エンジンを切った。刹那。
『こちら笠原。たった今イベントが始まった、漏れている音で判断する限りでは、よくあるクラブイベントと相違ない』
「浦島です。こちらも現場に到着。予定通り桃山、白姫と会場内に入ります」
鬼が出るか蛇が出るか、いずれにせよ出てくれないと困る。ラフな服装とは裏腹に地下への階段を一段踏みしめる毎に身が引き締まる。突き当たりの扉からバスドラムの音が漏れていた。その前にもぎりのアルバイトがひとり。京はダウンジャケットから少し端の折れたチケットを三枚引き抜いて男に手渡した。
「あんたたち、さあ。これはじめて?」
「あ、分かるの? なんかルールとかある?」
三人ともが息を呑んだ。咄嗟に切り替えした京に無言の賞賛が送られる。男は不敵に笑ってかぶりを振った。それからチケットの半券の代わりに、京の手の中に使いきりタイプの点眼薬をねじこんだ。
「好きに楽しんだらいい。使うも使わないもあんたたち次第。使ってみて気に入ったら、ホールの四隅のバイヤーから買うか、参加者同士で交渉して。……但し一切は自己責任でな」
「なるほど。分かりやすくていいね」
「Have a nice BREAK.」
異様な説明がいとも簡単になされ、異様な決まり文句と共に扉は開かれた。鼓膜を突くバスドラム、目まぐるしく変わるレーザービーム、皆腰を振り思いのままに踊る。そしてその中にグラスの最後の一滴を名残惜しむようにアイに点眼薬を落とす男、女、カップル、グループ。
京はダウンの内側に仕込んであるマイクに向かって声を潜めた。
「予想以上の数使用されてます。どう動きますか」
『桃山は女性スプラウトを中心に声をかけまくれ。浦島、白姫はしらみつぶしにバイヤーを当たれ。しばらくは情報収集に努めるんだ』
「了解」
指示内容はシンと小雪にも、各自がつけているイヤホンからダイレクトに伝わっている。それだからシンは一瞬京に視線で確認をとって、当たりをつけた女性グループの方へ近づいていった。臼井の人員配置はやたらに的確である。
京はホールの一角で視線を止めた。オールスタンディングの会場内で特定の場所にだけ小さなテーブルと椅子が設置されている。占いだとかカウンセリングだとかのスペースによく似ている。小雪を連れてその椅子を引く。ニット帽を目深にかぶったいかにもな男がふてぶてしく座っていた。
「連れ、かわいいね。彼女?」
覚えの無い声だ。この男も雇われ人員にすぎないのか。
「そう。可愛い娘にはまけてくれたりする?」
「ルール違反だぜ。安く手に入れたいならそこいらで交渉しな、リスクも高いけどな」
「ぼったくられるってこと?」
「……あんたたち、初めてか?」
「んー、人づてに一回。思ったより良かったから、出回ってるうちに買っとこうかなって」
「良い判断かもな。そろそろ製造もルートも打ち切るって話だ」
京は興味があるようなないような、微妙な相槌を打ち続けた。この当たりの塩梅や物怖じしない演技は場数のなせる業なのだろう、小雪は隣でできるだけ同じ空気を保つように努めていた。
「そうだ、優待制度はあるぜ。あんたたち、知り合いにプリズムいたりしないか?」
「……いたら、どうなんの?」
「紹介してくれるだけで十回分プレゼント。悪くないだろ? もし知り合いにいるならウルフってバイヤーに声かけな。そいつが全部しきってる。ほら、ロフトのテーブル席に座ってる奴、見えるだろ?」
京はそちらを見なかった。おもむろに立って小雪の手を引き、その場を後にする。
「京……っ」
「浦島です、対象を捕捉しました。このまま接触します」
早口小声で独りごちた。その呟きは隣にいる小雪だけでなく、マイクを通してシンへ、指揮官の臼井へ、待機中の荒木と城戸にも伝わったはずだ。
「……了解。浦島と対象が接触後、十分でライブハウスごと制圧にかかる。いいか、浦島。十分だ」
「ありがとうございます、充分です」
金熊の口添えが利いているのだろうか、臼井は何かしら事情を知っているようだ。本来なら現時点で、すべての作戦行動は本社の精鋭部隊に移行されるはずだ。与えられた時間の一秒も無駄にはできない。