SAVE: 12 A puppet in the Broken world


「名前は?」
「浦島、京介」
 あの日、路地裏の一画で銃を取った少年にその質問は投げられたのだろう。京は何故か躊躇なく彼の名を答えた。
「浦島くん。もしも撃つなら、狙うのは額じゃない。アイだ」
「撃たないと言ったはずだ」
「失敬。それじゃあその言葉を信じさせてもらう」
懐から出したのは、先刻丁寧にしまったロイドサングラス。それをかけ直して、ケースの蓋を軽快に閉めた刹那。またしてもそれが合図の代わりになった。
「浦島ぁ!」
随分切羽詰まった、それなのにどこか耳慣れた怒号が階段を二段飛ばしで駆けあがって来た。声の主、荒木を先頭に笠原班の精鋭がずらりと狭いロフトに並ぶ。前衛三人がしゃがみ後衛三人が立ったまま、こなれた記念撮影のようにフォーメーションをとり皆一様に銃を向けた。前列の真ん中──修学旅行なら先生ポジション──に荒木は陣取っている。
「浦島! 分かってるな!?」
「大丈夫です! このままセイブします!」
「馬鹿か! 寝言は寝てから言えっ。どくんだよ、そこ! 邪魔だろ、どう考えても!」
荒木は早口に吐き捨てると、銃身に添えていた左手を京に向けて邪険に振った。犬を追い払うときのあの雑な仕草である。
「……は!?」
「京、ほら……邪魔だって」
理解が追い付かず素っ頓狂な声をあげるしかない京、に不憫そうな眼差しを送りながらも機敏に撤収を促す小雪。なすがままに腕を引かれること数歩、思いなおして足を踏ん張った。
「いやいやいや! おかしいでしょ! こいつは俺の……!」
「生き別れた親父か!? 腹ちがいの兄貴か!? でなけりゃ却下だ! 俺はもう始末書は書かん!」
 開いた口がふさがらない。荒木の決意は無駄に固く、無駄に潔く、どこまでも吹っ切れている。間の悪いところに城戸とシンがもたもたと合流してきた。まず城戸が顔を背けて笑いを殺す。シンは少しも悪びれず半笑いで合掌だ。マイクの電源を入れたままなのか、その堪えた笑い声が耳元でも同時に鳴った。
「大神良治、ブレイク促進剤「BLOOM」の製造、売買、およびプリズム狩り事件重要参考人として連行する。そのまま両手を頭の後ろで組め!」
笠原の溌剌とした声が響く。大神は肩を竦めた後、言われるがまま両手を挙げ静かに組んだ。
「確保ぉ!」
記念撮影フォーメーションのまま六名は突撃、あれよあれよと言う間に無抵抗の大神を床に押さえつけることに成功した。その一部始終をロフトの隅で物欲しげに見つめた京。15年間汗と涙をにじませた黒いファイルの事件は、これこのようにして早送り動画のようにあっさりと幕を閉じることになった。
 いつのまにかシンが隣に並んでいた。気の抜けたコーラのようにぼんやりしている京の肩に、そっと手を置く。笑いをこらえた口の端が痙攣していた。
「まあ、こんなもんだよね。実際」
 変装用にかけられた黒ぶち眼鏡が京の苛立ちに拍車をかけたが、彼は大人げなくキれることもなく泣きじゃくることもなく、深々と溜息をついた。15年分の疲労をたっぷりと込めた特製の溜息だ。
『おい浦島班、仕事は終わってないぞ。呆けてないで下の鎮圧に合流しろ』
空気大量の気の無い返事をしようと無意識に息を吸い込んだ。それを阻止すべく小雪が、シンが揃って京の背中を平手で打った。返事どころか呼吸が阻害され派手に噎せる。老人のような京の咳をBGM代わりに、通信にはシンが答えた。


 このイベントに参加していたスプラウトは48名、スタンダードがスタッフも含め35名、総勢83名がフロアスペースでセイブされた。聴取と移送とだけで気付けば22時、書類作成と詳細報告を明日以降に回して事態を無理やり収束させたのが23時を回って少し経ってからのことだ。全員そろってほとんど明かりの消えた藤和支社に帰社、愚痴だの冗談だのをかわしながら唯一煌々と明かりのついた保安課のドアをくぐった。
「ただいま戻りました~」
「あ~重い! 肩重いわ~。なあ、防弾ベストって意味あったのか? 罰ゲームみたいな重量だよな」
「気分を盛り上げるっていう点では一役買ったんじゃないですかね?」
「っていうかシン、いい加減その眼鏡外せよ。無性に腹立つんだよな」
 全員が全員、談笑しながら思いきり無防備に入室した。入り口横の総務机に昼間と同じようにみちるが座っている。無警戒だったせいで皆思いきり驚愕、言うなれば麦茶だと思って口にしたそれが麺つゆだったときのビックリ感。
「みちるさん!? うわ~待っててくれたんですかっ」
「うん、当然。みんな、おかえりなさい。……お疲れ様」
 緩んでいた。ネクタイも気も涙腺も、とにかく様々なものが京は緩んでいた。従って、みちるの労いの言葉ひとつで泣ける。無言でみちるの両手を握る京を、今回ばかりはみちる本人も周りの連中も黙認することにした。嬉しそうにみちると「せっせっせー」を楽しむ京の背後、課長席からわざとらしい咳払いがこだました。呼ばれているようなので行かねばならないだろう。
「浦島」
「お疲れ様です。戻りました」
「……終わったか?」
「ええ、まあ。終わりました、なんかこう、たいへん中途半端な感じに」
抽象的に質問されたので、こちらもこれでもかというほど抽象的に返す。言葉とは裏腹にあからさまに不服そうな京を見て、金熊は憚らず噴き出した。
「なんだそりゃ。臼井から大体の報告は受けてるけどな。ふてくされんでも聴取にはまた融通利かせる、それで一旦納得してくれ」
「いや別に……既に充分無理を通してもらってるんで」
「お前の意向というより俺の意向だ。プリズム狩りもBLOOM事件も、やっとスタート地点ってとこだ。悪いが引き続き頑張ってもらうぞ。浦島含め、保安課全職員な」
 ドラマティックな締めは、前触れなくいきなり保安課全職員に波及した。既に帰り支度が済み鞄を抱えていた城戸とシンが慌てて数歩後ずさる。荒木と小雪がぎりぎり体裁を保って短い返事をしていた。


 保安課の明かりも消え、いよいよカンパニー自体が暗闇に包まれようとしていた。社内に堂々と残っているのは夜勤のオペレーション課のみで、彼らは基本的に3階の秘密基地から一歩も出ることはない。それだから社内に居残ろうと思ったら、まずこそこそしなければならなかった。そこそこ明かりが取れて、誰に見咎められることもなく、ぼんやりぐったりのんびりできる場所。そういう条件の場所を探していたら食堂横のラウンジに辿り着いた。非常灯と自動販売機から漏れる白い光の他、馬鹿でかい窓から月明かりも入る。安い革張りの長椅子に、京は腰を落ち着けた。何をしたいわけでもなく、ただぼんやりしたかった。
 そんな無我の境地タイムは五分と続かなかった。「ピッ」という電子音の後、あちこちにぶつかって転げ出てくる缶。突如として響いた無遠慮な自販機の音に、京はびくついて振り向く。直後に背後から白い手が伸びてきたものだから今度こそ小さく悲鳴をあげて仰け反った。今時の幽霊は手に「しのぶ」を持って誘ってくるのか。
「……小雪ちゃん」
白い手が無言で差し出してくる「しのぶ」を受け取る。やけに男前だ、などと乙女な気分に浸っている場合ではなさそうだ。小雪はそのまま若干の距離を置いて京の隣に腰かけた。彼女の手にも「しのぶ」が握られている。プルタブを押し上げる軽快な音が薄闇の中に響いた。

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