SAVE: 13 僕らのデー

─Dec.24th─


『とにかく、状況が変わった。全員一度カンパニーに戻ってくれ。浦島に、無線は?』
『つながってません、僕が伝えます』
淡々としたシンの声が割って入る。その後各自から「了解」の意を示す応答があっただけで、荒木の訃報を覆すような報告は何一つなされなかった。
 藤和の街のことなら、警察より市役所職員より知り尽くしている。そういう自負と余裕が皆にあった。そしてそれは小雪にも言えることだということを皆が失念していた。藤和の街は無論のこと、ブレイクスプラウトに対してセイバーズが、とりわけ藤和支社保安課がどのような動きをとるかは手に取るように分かるはずである。
「盲点だったよなぁ……」
 独りごちながら応接室のドアを開けたのは荒木。精魂果てたような様子で手近なソファーに座りこむ。保安課のドアではなくこちらを開けたのは、金熊からの事前の指示によるものだ。保安課には今、本社から事情聴取によこされた人間が少なくない人数出入りしている。金熊は午前中のほとんどを彼らの応対に費やしたらしい。
 再びドアが開いた。汗ひとつかいていない城戸のお出ましだ。車での捜索なのだから仕方ないと言えばそうなのだが、つい恨みがかった視線を送ってしまう。
「進展は?」
「あったらもっと意気揚々と帰社しますよ。……追跡の件、スプラウト反応じゃなくて単純にGPSでは追えないんですか?」
「そんなもんとっくの昔に試したよっ。携帯なら白姫宅でおねんね中、課長と俺からの着信で履歴はとんでもないことになってんだろうな」
軽口をたたくも互いに目が笑っていないから不気味だ。荒木はふぐ口を作りながらソファーに上半身をうずめた。ふてくされたように思いきり横になって、尻ポケットからよれよれになった煙草を一本ぬきだす。
「……吸うんですか、ここまできて」
 荒木が未だに煙草を身につけていたことにも驚いたが、それをあっさり咥えたのを見て城戸は目を丸くした。
「吸わねぇよっ。いいだろ、振りくらい」
やつあたりとしか思えない荒木の言い草に片眉をあげる城戸。静電気が走ったような空間、それも長くは続くかない。屋内とは思えないほどに全力で廊下を駆け抜ける足音が響く。それがドアの手前で途切れ、シンが息を切らせて入室してきた。
 投げ出していた身体を起こし、荒木がぶっきらぼうに片手を挙げた。
「どうだった」
聞くまでもない確認を一応。
「っていうかすみません。京、出ないんですよね携帯。やってるうちに僕の方の充電が切れちゃって」
シンの方も答えるまでもないと判断して、荒木の質問を完全にスルーした。
「お~ま~え~ら~はぁぁぁ……」
荒木が奥歯を噛みながらわしわしと頭頂部を掻きむしる。いつになく分かりやすく苛立つ荒木に遠慮して、というわけではないがシンは座ろうとしなかった。珍しく汗などかいて、頬を伝うそれを無造作にぬぐっている。
 次にドアを開けたのは、半日で四、五年分は一気に老けこんだと見える金熊だ。みちると共に両手にペットボトルの水を抱え、町内会のおじさんよろしく汗だくの連中に一本一本配って回った。
「……浦島は」
荒木が黙ってかぶりを振る。
「分かった。奴のことは放っておいていい、俺の方でなんとかしよう。……それより、申し訳ないが事態が深刻化した。三十分ほど前に白姫君へのセイブ命令が全社一斉通達された。これで彼女はまごうことなき“セイブ対象”だ。我々も今から“それ”を踏まえて動くことになる」
「……白姫をセイブしろ、という意味ですか」
「そうだ。分かりきったことを聞くな」
金熊は城戸の疑問を一蹴すると、開けただけだったペットボトルの水を煽るように飲んだ。皆それを見守るだけだ。普段なら間髪いれず響く歯切れの良い「了解」の一声はない。一気にペットボトル半量以上を空にした金熊、静まり返った応接室に彼のやけくそ気味の「ぷはぁ」という吐息だけが響いた。
「俺たち全員の責任だ。俺たちが事態と彼女の能力を甘く見た、結果こうなった。ただそれについて反省だの後悔だのを悠長にやってる暇はない、……セイブの意味だとかセイバーズの意義だとか、そういうのも後回しにしてくれ。とにかく、白姫君を見つけることが先決だ。……一刻も早く」
 先導するはずの金熊の歯切れが悪いから、皆の沈痛な面持ちが抜けきれない。各々が唇を真一文字に結んで自分に言い聞かせるように何度か頷いた。ただし足取りは重い。黙っているとたった今「考えないように」と釘を刺された項目が頭の片隅をよぎる。よぎって、そのまま居座ろうと渦をまく。
 シンだけが、ここへ入ってきたときと同じ機敏さで踵を返した。何を思ったか、荒木がその後を慌てて追った。おしゃぶりの役割しか果たさなかった煙草を、入口近くに屑かごに投げ入れる。
「シン」
エレベーターの到着を待っていたシンが半身だけ振り返る。
「お前、やれるか。白姫のセイブ」
「はい? そういうのは僕じゃなくて京に言うべきでしょ」
もっと言うならその手のおせっかいは荒木の柄ではないように思えた。が、それは喉元で留めておく。苦笑してさっさとエレベーターに乗り込むシン、荒木もそのまま同乗するようだったから「開」ボタンを押したまま待機した。
「お前だって白姫のバディだろ」
荒木は真顔で続ける。シンは一瞬面食らったような顔を見せたが、すぐにいつものポーカーフェイスに戻る。但しいつもより気持ち、唇の端を引きしめた。荒木の心遣いに敬意を払ってである。
「だから、早く見つけてやりたいと思ってます」
「だったら、いいんだ別に。悪かったな。つまらんことを聞いた」
 柄にもないことは本人も承知していたようで、荒木は視線を泳がせた揚句に階数表示を凝視した。こちらの事情などお構いなしに、エレベーターは決まった速度で下がっていく。4階へ。3階へ。2階へ、着くころにシンは緩んでいたネクタイを締め直した。冷静でいなければならない、少なくとも自分は。
 1階の表示ランプが灯ったところで目配せをして、シンと荒木は足早にロビーを横切った。


 踏切の遮断機が、人が来るのを待っていたかのように下りてきた。ひとところに立ち止まるという行為がどれくらいぶりか知れない、京は通せんぼされたところで両ひざに手をついて呼吸を整えた。その瞬間に溜まっていた汗がどっと流れてきたのが分かる。アスファルトの地面にひとつ、ふたつと滴が落ちた。
 三両編成のこぢんまりとした電車が通り過ぎると、向こう岸で同じく踏切待ちをしていたサラリーマンと目があった。携帯電話片手に分かりやすく眉を潜めている。通話相手の部下が何かヘマをしでかしたか、あるいは家族が面倒事でも起こしたか、そういった類の不快を顕わにしていたがすぐにそのどちらでもないことが知れる。男は踏切が上がると同時に、京から充分に距離をとって通り過ぎて行った。なるほど、真冬にスーツで汗だくの男は到底まともな奴ではないというのが傍目からの評価らしい。
 男の訝しげな視線は気にならなかったが、ある意味おかげ様で思い出したことがあった。随分長いこと、自分は携帯を確認していない。つまりホウレンソウを絶っている。自己嫌悪や体力の消耗も相まって、京は力なく携帯のディスプレイを確認した。それには一縷の望みも、少なからずたくしていた。
 実際は保安課の面々からの着信が画面を埋めているだけだ。その中に小雪の名はない。
 嘆息をひとつ。それから留守電の録音内容を確認すべく携帯を耳に押し当てた。シンをはじめ、誰もかれもが「一度帰社するように」という旨を告げて慌ただしく電話を切っている。数秒間、ディスプレイを凝視して京は踵を返した。朗報であろうが訃報であろうが情報は得ておきたいと思った。そんなことを今さらに思ったのだ。

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