SAVE: 13 僕らのデー

─Dec.24th─


 そうして戻ったカンパニーのエントランスには「平常通り」とは程遠い異質な空気が漂っていた。一目で分かる、本社の人間が我が物顔でロビーを徘徊している。それも少数ではない。ある意味で敵陣の中にいるような居心地の悪さが場を支配していた。
 ロビーに足を踏み入れた途端、視線が突き刺さる。それらをかいくぐって突き当たりのエレベーターを目指した。
「浦島っ。ばか、こっちだこっちっ」
意図的なウィスパーボイスがどこからともなく聞こえてきたかと思うと、受付カウンターの陰から生活安全課の主任が低い姿勢のまま躍り出てきた。そんなことをしなくても小柄な彼なら誰の目にとまるということもないのだが。
「5階は本社保安課で埋まってんだよ。役職持ちは全員そっちの対応でてんやわんやで……じゃない、お前、無線。せめて携帯には出ろよ、金熊さんが哀れでしょうがない」
「や、すいません。っていうか何で……」
「だからっ。上とはもう連絡とれないぞ、他部署は知らぬ存ぜぬで通していくことになってる。……白姫さんのセイブ命令が出たんだ、これも聞いてない、な?」
 エントランス横、生活安全課に入ってすぐの待合用ソファになだれ込むように腰かける。京は渡された無線を握ったまま、ほとんど無意識に額に手をあてていた。
「展開早いなー……」
「でもないだろ、何時だと思ってんだ。お前らがもたつきすぎなんだよ。あ! どうもこんにちはー! そちらの番号をお取りになってお待ちくださいねー!」
生活課主任は突如立ち上がると、笑顔満開で来客対応にあたる。その豹変ぶりにびくついて、京はただただ目を丸くしていた。本社保安課が出張ってこようが、対応で上層部が全く機能しなかろうが、仲間内からセイブ対象が出ようが、ここ生活安全課はいつも通りの業務をこなすしかない。藤和の街に籍を置くスプラウトたちが、今日も様々な悩みや相談を抱えて列をつくっている。機械から次々と吐きだされる整理券の番号は、夕方のこの時点で300を超えていた。
「はあぁ? 婚姻届出すだけじゃだめなの?」
窓口に仲良く並んでいたカップルが、素っ頓狂な声をあげる。
「そうですね、保証人の用紙が別途必要でして……」
「保証人てさぁ、借金じゃないんだから」
「申し訳ありません、スプラウト同士の婚姻には必要な手続きですので……」
眉尻と頭を同時に下げる生活課職員。見慣れた光景だ。また別の窓口では中年女性が見るからにご立腹の様子で身を乗り出している。
「だからね!? ほんとにあんたたちは頭が悪いねぇ! 去年も同じこと言ったでしょうも、控えてないの!? ないわけないでしょ、責任者出しなさいよ!」
「失礼いたしました、至急確認いたしますのでっ。どうぞお掛けになってお待ちください」
「待ってるわよ! どんだけ待たせりゃ気が済むの、お役所気どりもいい加減にしなさいよ!」
 こちらは立ち上がって直角に敬礼だ。どの窓口も何かしらの理由で頭を下げている。この流れが始業直後から就業間際まで延々と続く、それが生活安全課だ。クリスマスイブだろうが勿論お構いなし。当然、他部署発信のいざこざに巻き込まれてやる暇など彼らにはない。
 京は黙って腰を上げた。
「浦島、金熊さんから伝言。『白姫さんの携帯は自宅』『但し周辺は本社が囲ってるから近づくな』『無線持ったら荒木主任に連絡』『出る前に水分補給』、それと、『何でもいいからお前が見つけろ』だそうだ。伝えたぞ? 過保護だな、金熊さんも」
 生活課主任は京と自分が座っていたソファの位置を修正しながら、独りごとのように早口に告げた。京がどういった反応をしたのか、彼は特に気に留めなかった。顔をあげたときには京の姿はもうなかったし、遠ざかっていく足音が──その勢いが、生きていることを確認できただけで充分だ。
「忙しいのよ。俺たちのセイブ業務もさ」
今度は完全に独り言になった。フロアは彼の呟きを一切かき消すほど、喧騒にまみれている。ひっきりなしに開いて閉じるエントランスの自動ドアを尻目に、生活課主任はいつものように山積みにした資料を持ち上げた。


 同日、午後6時20分。
 車道を埋め尽くすヘッドライトの眩しさに、京は思わず手をかざした。そのせいである時点から見ないようにしていた腕時計の針が視界に入る。冬の日没は早い。夜の帳が下りようとしているのに街は、京の視界に映る全ての景色は昼間以上に明るく、色とりどりに輝いていた。街路樹の全てが青白く発行している。待ち合わせをするカップルや家族、学生グループ、それぞれが持つモバイルディスプレイの明かりさえも、イルミネーションのようにところどころで光っては消えた。
『こちら城戸。現在勝山周辺、渋滞にはまってます』
『荒木だ。城戸、郊外に抜けろ。車は捨てるな』
『了解、港湾区方面に流します』
『シンです。管轄駅構内、情報全部流したんで捜索範囲から外してください』
『青山です! トーワタクシーが捜索協力してくれるそうです! 必要ならセイバーズの名前で使ってください』
『よぉし! 助かる、青山でかした!』
 無線のチャンネルを合わせた瞬間、堰を切ったように仲間のやりとりと情報があふれ出た。京は走りながらそれを聞いた。
『浦島、聞いてるか。現在地どこだ』
歩道の人混みをかきわけている最中に、荒木からの呼びかけ。バス停に並ぶサラリーマンたちに混ざって、京は周囲を一瞥した。
「乙木の、中央通りです」
『分かった。お前はそのまま心当たりを片っ端からあたれ』
「……了解」
 バスが到着し、帰路につく人々は次々に乗り込んでいく。その列とバスの乗客にも視線を走らせた。この半日だけで、どれだけの人の顔を確認しただろう。そのどれもが京と目が合うと不審そうな眼差しを惜しげもなく向けてくる。しかしそれも一瞬だ。
 京は再び走りだした。吐く息が白い。おそらくとんでもなく気温が低いのだろう、そういえば道行く人は皆コートにマフラー姿だ。自分はコートはおろか、スーツのジャケットさえ着ていない。左腕に抱えたままのくしゃくしゃのジャケットを横目に見て、着るべきかどうか一瞬考えたが結局そのままにした。息は白いが、背中は汗でぐっしょり濡れている。信号待ちで立ち止まる度に、周囲の視線が集まるのが分かった。
 笑いがこみあげる。「滑稽」という言葉はこういうときに使うんだろうなだとか、割とくだらない思考がぐるぐると回っていた。
「ないんだよな、心当たりとか言われても……」
 金熊が、荒木が、保安課の皆が期待しているような特別な心当たりなど、京にはなかった。白姫小雪にとって、自分は職場の先輩でありバディであり同じスプラウトであり──それだけだ。出会ってからこうなるまで、それ以上と呼べるものは何もなかった。だからこういうとき、彼女が行きそうな場所が何一つ思い浮かばない。
(ないのかよ……! あれだけ一緒に居て……!)
 記憶をまさぐった。初めて会った瞬間から、昨日別れるまでの小雪との全ての記憶を。よぎっては消える彼女の表情は、そのどれもがとんでもなく顰め面だ。「気持ち悪っ」だとか「うざっ」だとかの辛辣な言葉を平気で吐いて、極めつけに豪快に舌打ちまでかましてくれる。そんなやりとりばかりを重ねてきた。好きだと言ったら、馬鹿じゃないのと返された。──割と真剣だったのに。
「もうっ! どうしていつも笑って誤魔化そうとするの!? 全然真剣さが伝わってこない! ちゃんと誤ってよ!」
 突如思考に割り込んできた甲高い声に、今日はびくついて振り向いた。若い女性が、泣き声混じりにモバイルフォンを耳に押し当てていた。クリスマスの街中は悲喜こもごもだ。こういう日に喧嘩をするカップルもいれば家族もいる。別に珍しくもない光景だが、京は他人事に思えず何となく注視してしまった。

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