SAVE: 13 僕らのデー

─Dec.23rd─


 おわかりの通り、これこのようにして保安課のデスクチェックは熾烈を極めた。京の引き出しからはその後も大量の七味の袋(牛丼屋がつけてくる)や真空パックの紅ショウガ(やはり牛丼屋がつけてくる)が発掘され、金熊の引き出しからは入社当初の保安課メンバーの集合写真や若かりし「金熊主任」の写真などがサルベージされ、皆業務そっちのけで盛り上がる。そして、
「金熊課長!」
──職員総出で怒られる。最近良く聞くフレーズとなった「あなたがそんなだから」攻撃が始まると、流石の金熊も肩をすぼめて平謝りだ。気の毒やら申し訳ないやらで、職員一同それ以降はいつも以上に黙々とそれぞれの業務に専念した。
(こういう日に限って鳴らないんだよなー……)
 京が壁掛け時計の横にあるスピーカーを盗み見る。ほぼ同時に荒木が同じ行動をとっていた。視線がかち合って互いに苦笑いをこぼす。出動要請ベルは、空気を逆方向に読んですっかりなりを潜めていた。それにしびれをきらしたらしいシンが、意を決したようにノートパソコンの蓋を閉める。
「京ー、僕、巡回行くけどどうするー?」
「あー……いや、そうだな。任せる。小雪と二人で行って」
京のめずらしい解答に、シンは幾分訝しげな表情を見せたがすぐに上着を手にして席を立った。巡回、パトロール、なんて羨ましい逃げの口実なのだろう。しかし監査の魔手が四方八方に伸びている今、下手に離席するのもまずい。彼らの行動を把握しておきたいのも事実だ。
「小雪さん、どうしたの? ……だいじょぶ?」
 シンのその言葉に反応したのは、小雪本人と監査の二人を除く保安課職員たちだった。とりわけ、当然のように京は席を立つ。大仰な京の反応を煙たがって、ようやく小雪も苦笑いを見せた。苦笑いだと判断せざるを得ないほど顔色が悪い。
「ごめん、大丈夫。なんか眩暈がして」
立ちあがろうとする小雪の肩を鷲掴みにする京、そのまま押しこんで椅子にへばりつけた。
「ちょっと! 何すんのっ」
「眩暈とか! 駄目、仕事! 絶対安静! からだが資本!」
「大きな声出さないでよ……」
「ほらっ、な? 『大丈夫』ではないでしょ。はい荷物まとめてー。家まで送りますー」
 監査の動きは把握しておきたい。しておきたいが、こちらの方が京にとっては分かりやすく一大事なのである。先刻まで神妙にとっていた荒木とのアイコンタクトもあっさり放棄、本日一番の俊敏な動きで社用車の鍵を手に取る。そこで運命的に目が合った。監査職員と、だ。
「……浦島職員、君、役職は」
「は? ……ありませんけど」
こちらはこちらで、本日一番の不躾な質問を投げてくれた。律儀に答えはしたが、ついでに不快を顕わにする。
「では勝手な判断をしないでください。監査期間中はあくまでも通常業務を通常通り行う、そうでなければ疑わなくていい場面で疑いをかけることになります」
至極丁寧に発せられた「平社員は黙ってろ」の内容に京は言葉を失った。あんぐりと口を開けて固まった京の代わりに、シンが、城戸が、金熊までもが堪えていた笑いを吹きだした。「ぷー」という放屁のような切ない効果音がこだまする。そこへただただ長い小雪の嘆息が覆いかぶさった。
 結局パトロールにはシンと城戸が出向き、小雪はそのままデスクワークに勤しんだ。話しかけたいが無言の重圧がそれをさせてくれない。京は誰が見ても鬱陶しいレベルで小雪の横顔をちらちらと確認し続けた。飽くなき観察の結果、昼食は持参の弁当をしっかり平らげていたこと、みちるが淹れたコーヒーもいつも通りぐびぐび飲み干していたこと、仕事の速度は全く変わっていないこと、いつも通り京の方には見向きもしないことなどが判明。これらを踏まえ、14時前には何とか「大丈夫そうだ」という判断に至った。そう判断したのを見計らったように小雪が突如として席を立つ。
「どこ行くの!?」
間髪いれず京も席を立った。小雪の手にはサーモンピンクの可愛らしい財布が握られている。
「……お腹すいたから菓子パン買いにいくんだけど。今出たらまずい?」
「いえ……。いってらっしゃい」
そそくさと席に座り直す京。なるほどお昼過ぎのこの時間、健康で仕事に精を出していれば小腹も減る。仕事よりも超近距離ストーキングに精を出していた京は、めずらしく午後のお茶さえも飲みほしていないというのに。伝票整理と監査の応対で忙しそうなみちるを横目に、京も席を立った。
 廊下の角の自販機コーナーに向かって、120円をポケットの中で弄びながら歩いた。当然のことながら軽食自販機の前に小雪が立っている。分かっていたから来たわけだが、いざこうして鉢合わせしてみると確かに自分がストーカー一歩手前のような気がしてくる。ぼろくそに言われること覚悟で隣に並んでみた。
「……何してんの」
小雪は硬貨も投入せず、かなりぼんやりと自販機を見つめていた。話しかけられてはじめて京の存在に気付いたようで、今さらになって小さく悲鳴を上げる。
「びっ、くりした……いきなり話しかけないでよ」
「おいおい、しっかりしてくれよー? 監査マンたちにどやされるぞー」
京は苦笑しながら軽食自販機の方に120円を投下した。
「え、あ……ありがとう」
「いえいえ」
京は自分用の「冬季限定高級緑茶ゲキアツしのぶ」を手に入れるために、目の前の自販機に新たに硬貨を投下した。小雪はまだぼんやりとした動作で、購入ボタンを押している。「しのぶ」が二本、豪快に転げ落ちてくる横で小雪お気に入りの「リアルうぐいすパン」が控え目に落ちてくるのが見えた。京は「しのぶ」の一本を小雪に差し出して、そのまま指で下向き矢印をつくった。
「ちょっと付き合ってくんない? どうせ食べるでしょ、うぐいす」
ラウンジに、という意味の下向き矢印であることはすぐに察しがついた。小雪は一瞬言葉に詰まっていたが、このリアルすぎて食べるのが可哀そうと絶賛評判のうぐいすパンも、しのぶも京の奢りという形ができあがっている。頷くしかないではないか。
 わざわざ迂回して、資料室側の廊下から非常階段に出て、ラウンジに降りた。保安課メンバーに探りをいれてほしくない類の話なのだろう。では具体的にそれはどのような話なのか。考え始めた途端、顔が熱くなるのが分かった。それにラウンジで仲良く「しのぶ」をすするというシチュエーション、まるっきりあの時と同じではないか。
(やばい、迂闊すぎた……)
京に促されるまま長椅子に腰かけてから、小雪は即効で自分を呪い始めた。午前中に覚えた眩暈と酷似した間隔が全身を走る。京が隣に腰かけて、缶のプルタブを開けただけでちょっとした混乱が小雪を襲った。
「ちょっと、話しとかなきゃならないことがあって、さ」
「う、うん?」
「春の人事異動で本社に行くことになっちゃって。昨日打診来て、シンにはもう言ってあるんだけど」
そのシンの反応を思い出して、京は宙を見ながら口をへの字に曲げた。「だーよねー。あれだけやって処分なしはありえないもんねー。お上直々の監視付き? どんまーい」これである。最後の「どんまーい」あたりが例えようもなく腹立たしいのだ。さて、もう一人のバディは少しは寂しがってくれるだろうか、と顔をあげたときだった。
「なにそれ……。聞いてない」
「え、うん。今言ったからね」
予想外の低温反応に、京は思わず必要の無い作り笑いを浮かべた。それは当然のように小雪の神経を逆なでしたらしく、凝固していた顔の筋肉(とりわけ眉間)はみるみるうちに収縮、奥歯を噛みしめたのが傍目からも分かった。
「なんでそんな、何でもないことのように言うの」
「待った! 何でもなくはないよ? だから俺だってこう……できるだけ真剣なかんじで、ね?」

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