SAVE: 13 僕らのデー

─Dec.23rd─


「はーっ、もう辛い。疲れすぎでしょ小雪さん。早退させたら? あ、そういう権限は京にはないんだったっけ」
「シンお前、昨日あたりから全力でうざいな……」
「心外だなー。残り少ないバディとのひとときを最大限楽しもうとしてるだけでしょ? あーそういう意味でなら小雪さんがぼーっとしてるのも、まぁ納得はできるか。京の異動、ショックだったんじゃない? 小雪さんも結構かわいい反応するんだね」
 京は特に応えもせず、曖昧な笑みでお茶を濁した。
「かわいい反応、ね」
代わりとばかりに乙女が、意味深に呟いて踵を返す。そして意味深に京に視線を送る。京は一瞬かち合った視線をすぐに逸らして、手元の書類をいそいそと茶封筒に詰め直した。
「疲れてるんだろ。休めるときに休むように、言っとく」
「……お互いにね」
茶封筒を受け取ると、乙女はさっさと退室してエレベーターホールへ向かった。乙女が居なくなったことで、京の口からは無意識に安堵の溜息がもれていた。
 小雪が逃げ込んだ給湯室は、先刻乙女に出したコーヒーの香りに包まれていた。いつものブレンド豆をいつもの量、いつもの手順で手際よくドリップするみちる。たったそれだけの作業がなんだか魔法のように鮮やかに見える。小雪はやはりぼんやりしながら、人数分のカップをのろのろとトレイに乗せていた。
「やっぱり、寂しくなるね。浦島くんがいなくなると」
みちるの独り言かと思いきや、彼女は慰めるようにこちらに微笑を向けている。小雪は応えなかった。そうですね、と軽く肯定してしまえば済む話だ。それが何故かできずにいる。
 黙ってカップを見つめ続ける小雪に合わせて、みちるも黙ったままコーヒーポットを差し出した、刹那。
「……うるさい」
真一文字に結ばれていたはずの唇から、その言葉は絞り出された。聞きまちがいかとも思ったが、みちるは本能的に小雪から一歩距離を取った。あくまで結果として、その判断は正しかったということになる。
 ガシャァァァン!! ──給湯室から響いた非日常的な破壊音に、保安課に居た職員は皆作業の手を止めた。訝しげに各々顔を見合わせる中、給湯室に一番近い城戸が腰をあげた。
「おーい。どうし、た──」
「こ、小雪ちゃん……っ。大丈夫!?」
 城戸が給湯室を覗き込んだ途端、足元で何か固い物質が粉々に砕ける感触があった。見ると各人愛用のコーヒーカップたち──既に単なる陶器の欠片となっている──が床に散乱し、その中央に座りこむ小雪の姿があった。
「何やってんだ……っ。白姫、青山、怪我は?」
「私は何とも。それより小雪ちゃんが……」
「すみません大丈夫です。ちょっと眩暈、がして」
支えようとするみちるを制して、小雪は血の気の無い顔のままおもむろに立ちあがった。額を押さえた手のところどころに細かな切り傷ができている。城戸の嘆息がやけに響いた。気付けば入り口には残りの保安課メンバーがひしめき合っている。その中でもとりわけ金熊が大げさに天を仰いでいた。
「白姫君、そこはもういいから……ちょっと」
床一面に散らばった破片と心配顔のみちるを気にかけながらも、小雪は金熊について課長席の前に立った。背後には相変わらず我関せずと業務に当たる監査職員の気配。そして談笑しながら給湯室の後始末をする同僚たちの声。それら全てが、妙に遠くの出来事のように掠れて聞こえた。
 金熊の第一声は予想通り溜息混じりだった。
「ちょっと、気が抜けてるんじゃないか? 朝からどうも集中力に欠けているように見える」
「はい……すみません」
「もしそうではなくて、なんだ、体調が悪いのならそれはそれで申告すべきだろう。今ベルが鳴ったとして、だな。君はその状態でセイブに行くつもりか?」
「いえ……行くべきではないと、思います」
 小雪にしては珍しく歯切れの悪い受け答えだ、対する金熊も彼女への説教は慣れていないせいか勢いがない。そんな二人の様子を盗み見ながら、京はシンク横の掃除用具入れを引き開けた。ちりとりを手に取ったところでみちるに腕を引かれる。「浦島くん、ちょっと」という声がやけに早口で余裕が無い。
「とにかく先に医務室に行って、傷の手当てをしてきなさい。その後は休憩をとりながら資料室の整理、定時にあがる。いいね?」
金熊の短い説教が終わるのを待たずに、半ば引きずられるような形で京はみちると共に保安課を出た。暗黙の了解とでも言わんばかりに二人で息を潜め、ふらふらとおぼつかない足取りでエレベーターに向かう小雪の後ろ姿を見守る。彼女の姿が完全に見えなくなるのを見届けて、ようやくみちるが腕を離してくれた。嬉しいやら痛いやら。
「で……どうしたんですか? 強引なみちるさんも嫌いじゃないけど」
「自分でたたきつけたように見えた」
 冗談めかす京を完全になかったことにして、みちるは震える唇を制するために口元を覆った。京の表情は締まりの無い笑顔のまま固まっている。
「私が……軽い気持ちで浦島くんの話を出したの。そのせい、かもしれない。だって小雪ちゃん……」
「みちるさん、落ち着いて」
いつになく取り乱すみちるの肩を、セクハラにならない程度に何度かリズム良くたたく。
「考え過ぎですよ。仮にそうだったら俺が嬉しいだけじゃないですか」
「でも」
「後で俺が話します。実を言うと、はじめに小雪のこと怒らせてるの俺なんですよ」
軽口をたたくと自然に苦笑いが漏れた。いつも通りの一貫した態度の京に安堵したのか、みちるも何とか自分を納得させることができた。


 同日、19時30分。スプラウトセイバーズ藤和支社、自動販売機コーナー。
 投入口から自販機の中へ身投げしていく硬貨、あちこちぶつかって楽しげな音を響かせる。最後の硬貨を押しこんで、いつものようにいつものボタンを押した。何かとんでもない事件が起きて何故かこの自販機の指紋を採取するようなことがあれば、「しのぶ」のボタンからは間違いなく京の指紋ばかりが採取されることになるだろう。「しのぶ」も変わらず、冷たい機械の中を全身あちこちぶつけながら派手に登場してくれる。それを拾い上げたところで、嫌な足音が耳についた。ハイヒールと松葉づえの異質コラボレーションが織りなす、ゆっくりとした足取り。
「気づいてるんでしょ、あのコの様子」
「何が」
乙女の方を見向きもせずに、京はプルタブを開けた。喉が渇いていた。一刻も早く、このからからの喉を潤す必要がある、そう思ったからここへ来たのであって乙女の陰湿な待ち伏せに付き合ってやる義理はない。
 京の頑なな態度の本質を、見透かしたように乙女はただ長い嘆息をした。
「……ブレイクしてるんじゃない」
 喉が渇いて、痛かった。効かせすぎの空調で乾燥した空気が、呼吸するたびに気管を締めつけている気がする。京は緑茶を一気に半分ほど飲みほした。
「言っていいことと悪いことがある」
乾きが癒えず、痛みが消えない。
「ごまかしたって仕方ないでしょう。あんたが言わないなら私から金熊課長に」
「余計なことすんな」

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