京は屋上の扉を豪快に開け放した。それ相応の派手な音と共にスプラウトセイバーズの両名が参上する。刺激云々で言えばかなりのレベルだっただろうが、女性スプラウトは一瞬肩をふるわせただけで飛び降りることも、舞い戻ることもしなかった。と言うよりもこちらには見向きもしない。肩をすくめるシンに向けて、京は声を潜めた。
「清々しいくらい無視してくださってるな……」
「ワッ! とか言ったら落ちそうだけどね」
シンは声を潜めない。それが逆に功を奏して、対象が肩越しに振り向いた。害虫でも見るかのような荒みきった視線だがこの際そのあたりはどうでもいいらしい、振り向いた女の顔を見るなり京は真顔で指を鳴らした。
(イエスッ!)
冷めた目元のすぐ下、泣きぼくろが印象的な影のある美人だ。実際に影だの裏だのがあるかは定かではないが、うららかな昼下がりにビルの屋上から紐なしバンジーをしようとしている女だ、そういう設定の方が場にふさわしいだろう。気分も盛り上がったところで、京は第一歩を踏み出した。途端に、女の冷めきった目が大きく見開いた。
「近寄るな人間ども! ……それ以上近づいたら飛び降りる! 私は本気よ!」
どうやら京の一歩が彼女の興奮スイッチを押してしまったらしい、ほとんど悲鳴に近い金切り声をあげて女は呼吸を荒らげた。遠目にも分かる血走った目からはうっすら涙が滲んでいる。
京は踏み出した足を一旦元の位置に戻した。戻して、後頭部を撫でるように掻く。派手な寝癖があったが今はそれどころではない。見過ごすことのできない重要な問題が発覚したのだ、数秒前まで締まりのない笑顔を晒していた浦島京介はもうどこにもいない。
「シン……聞いたか、今の」
相棒が隣で黙って頷く。聞き間違いでないことを確認すると、京は小さく溜息をついた。
「『人間ども!』って台詞がB級くさいよな。もうちょっと何とかならないか……」
「確かにセンス無い。『来ないで!』とかの方がやる気出るよね。『来ちゃダメッ!』とか」
「それいいな! 来ちゃダメ……来ちゃダメッ……。よし、やり直そう! 一旦撤収!」
京とシンがこぞって踵を返す。開け放していた鉄扉を丁寧に締め直し、閉じ切る寸前で思い出したように女に視線を向けた。
「悪いけどもう一回仕切り直すから、前半部分さっき言ったやつでよろしくっ。扉開いたらスタートってことで!」
扉が事もなげに閉められる。屋上には再び静寂が訪れ、一陣の風が吹き、女の長い髪をそよそよと揺らした。待つことおよそ30秒──。
「大丈夫ですか!」
ドバンッ! ──再び軽快に扉が開け放たれた。自分たちの登場にも何かしら改定を加えたらしい、これ見よがしに血相を変えて肩で息をしている。
「……っふざけるなぁ!」
「おい……っ、台詞違うぞ! 俄然B級くさいっ!」
「うるさい! いきなり来て訳のわからないことを……! そこで見てろ! これがスプラウトの死に様だ!」
女の視線が一気に自分の足元に向けられた。この時点でようやく京が青ざめる。
「だー! 待った待った、分かった! 俺たちが悪かった! まずは互いの緊張を緩和するのが先決だと思って! ね?」
土壇場の「待った」は一応聞きいれられたようで、女は未だに背筋を伸ばして柵の向こうに立っていた。もはや視線だけでなく全身から敵意がにじみ出ている状態だ、睨みに堪えかねて京は一旦視線を外すと、仕切り直しとばかりい咳払いをした。
「えーと、名前を聞いてなかった、よな? 俺は浦島。スプラウトセイバーズ保安課のスーパーエースってところかなっ。そっちのSサイズのは桃山って言って、俺の補佐というかおまけというか引き立て役なんで、あまり気にしないように」
言われたい放題のシンはここでも特に気にせず「どうもー」などと言いながら手を振っている。引き立て役にしてはスーパーエース本人よりも明らかに華がある顔立ちだ。シン本人もそれを分かっているから、いちいち躍起になって否定したりしない。
「で、君の名前は?」
「お前ら人間に名乗る名前なんかない。さっさと消えろ、目障りだ」
女の口調はその容貌に似合わず粗野で、抑揚が全くない。京とシンは顔を見合わせて、何かしら目で確認をとりあった。
「さっきから、なんか台詞B級なんだよな……まあいいや。じゃあ仮に、よし子ちゃん!」
京は彼女から名を聞きだすのを早々に諦めると、頭に浮かんだ適当な女性名を声高に叫んだ。実のところ現時点で対象の名前は判明していなくても構わない。全ては気分、彼らのモチベーションのためだ。名付けたからには、ここから先はスーパーエースの本領発揮である。
「よし子ちゃんが死にたいと思って死ぬこと自体は、根本的には自由だ。でも、悲しむ人がいるだろ?」
「ははっ」
思いのほか、反応があった。渇いた笑いが背中を向けられていても響く。それが自嘲の笑いだということに気づかないほど京は──スプラウトセイバーズの社員は鈍感ではない。
よし子(仮)は再び肩越しに振り向いた。先刻よりも随分落ち着いたように見える。否、精神状態にもいわゆる嵐の前の静けさというやつがあることを、京もシンも経験上知っていたからより一層身構えた。
「試してみようか? 私がミンチになって一体誰が悲しむのか」
「冗談にしては笑えないな。いるだろ、親御さんとか友だちとか」
「あはははははは!」
たがが外れたようにけたたましく笑いだすよし子、シンが京の発言をなじるように肘で小突いてきた。
「……親も友もスプラウトにはいない。みんな試験管の中で生まれて何一つ手にせず、ただ存在するのが役目だ。人口だか国力だか、そういう数字を増やすためだけに。ただ存在するしか許されない国家の人形でしかないのさ。……私たちは、はじめから生きてなどいない」
「よし子ちゃん(仮)……」
シンが思わずその名(仮)を呟く。全く否定してこないところを見ると、よもや本当にヨシコなのかと勘繰りたくなるが、今となってはその話題に立ちかえることもできない。京は京で、寝癖がついたままの後頭部を面倒そうに掻きまわしていた。
「いきなりクライマックスというか、ラスボスめいた台詞になったな。じゃあこっちもそれなりにいきますか」
一歩踏み出す。よし子は警戒心を顕わにして身構えたが、視線はこちらに向けたままだ。二歩目は温存する。おそらく次の一歩を踏み出したら一気に鉄柵まで全力疾走する羽目になるだろう、その辺りの塩梅は京もシンも心得ている。
「よし子ちゃんの言うことも一理あるけどね。……親の腹から生まれたって〝親"がいない奴だっているさ。友人も恋人も、人間だったら用意されるってわけじゃない。君が言う『生きてる』奴なんてこの世界じゃ一握りだよ。贅沢な悩みだ、そりゃ」
「……っ、分かった風なことを言うな!」
よし子の絶叫と共に、風が通り抜けた。先刻よりも強く、冷えた風だ。今手を離せばそれだけで目下の公園に真っ逆さまといったところだが、よし子にその動向は見られない。京は二歩目の踵を徐々に浮かせ始めた。
「……“ブレイク”だと思う?」
シンは救出劇に参加するつもりがないらしい、京より数歩下がったまま特に準備をする素振りもない。
「この距離じゃな……。けど、可能性は否定できない」
京も振りかえらないまま後方のシンに向けて声を張った。それが結果的によし子へ向けたもののように聞こえたのはこの際不可抗力だ。