SAVE: 02 セーラー服と45口径


「人聞きの悪いこと言うなよ。そういうのはまずシンに言ってやれ」
笑いすぎて涙が滲んだ目をぬぐいながら、城戸は飲み干したカップをシンクに置くため席を立った。
 保安課内に待機しているとき、即ち事件がないときはこうしてみちるの淹れたコーヒーをすすり、談笑を交わし、その合間にぼちぼち報告書を作成する。これが大きな事件の直後となると、荒木を筆頭に発狂人員が増加するが。
「さて。うちがこんなに寂れてるにも関わらず花形部署だと呼ばれる理由は、一重にその業務内容の認知度にある。保安課の主要業務といえば?」
「ブレイクスプラウトのセイブ、ですか」
「そうそう、正解。それがスプラウトセイバーズの仕事の全てだと世間には認知されてる。実際は、生活課みたいな細かい仕事の方が多いんだけど。ブレイクスプラウトのセイブがスタンダードにもスプラウトにも関連がある重要な仕事であるのは確かだ。じゃあその、ブレイクスプラウトをセイブするっていうのは、どういうことなのか」
 ブレイク──と言ってもタレントのバカ売れや息抜きのことではない。スプラウトのコアであるアイ細胞のバグのことを全体的にそのように呼ぶ。ブレイクしたスプラウトは、理性を無くし、ひどいときには猟奇殺人、無差別殺人、衝動自殺を引き起こしたりもする。その危険極まりないブレイクスプラウトを取り締まり、治療という名目でアイ細胞を弄り、法にのっとり処罰する。世間の「セイブ」のイメージはこれが主流だ。そしてあながち間違いでもない。
 京は、何がどこにあるのかさっぱり分からないごみ処理場のような机上から一枚のよれよれの調書を引っ張り出す。かなり年季が入ったもののように見えた。
「これ、昨日の自殺未遂の調書なんだけど」
 何故昨日の、正確には作成からまだ24時間経っていないはずの調書がこうもぼろぼろになるのか。更に言えば、既に報告書としてまとめてあってもおかしくないのだが。つっこみたいところはいくつもあったがここはすべてに目を瞑る。
「ブレイクしているかどうかは通常、システム課での検査を通さないと判明しない。昨日の、Yさんは軽度のブレイクであると判明してる。アイ細胞の狂ってる部分を削って、新たに細胞分裂させるリバイバル治療を行うことが決定済、これ以降は法務課……乙女たちの仕事にあたる」
京は一拍置くためコーヒーカップに口をつけた。
「……彼女の場合、ブレイクも初期段階だったからこういう治療法が取られた。でも、もっと重度だった場合。それこそアイ細胞の全部がバグに侵されてるような状態だったら? ……保安課の直接の業務ではないけど、そういう判断まで俺たちセイバーズはしなくちゃならない。
判断したら、実行しなくちゃならない。これが結構きつい」
 カップの底に僅かに残ったコーヒーが、京の目を映していた。スプラウトの目──アイ細胞が、黒い液体の上でゆらゆらと揺れる。
「小雪がこれからやってくのもそういう仕事、ってことだけはまず頭に入れておいてくれればいいかな」
「はい、あの……浦島さん」
 京は一生分の真面目さを使い果たす勢いで語ったつもりだったが、小雪は随分あっさりと返事をして流す。彼女も途中までは同じような緊張感で話を聞いていたのだが、どうにも見過ごせない問題を発見してしまったのだ。これは今対処しておかなければ大変なことになる──本能でそれを悟って、申し訳ないとは思いながらこうして口を挟んだ次第だ。
「何」
幾分不服そうに京が続きを促す。
「その……、何で名前で呼ぶんですか」
 不信感丸出しの小雪の疑問に対して、京は質問の意味が分からないといった風に肩をすくめて見せた。これがなかなかに腹の立つ仕草だ、トレーナーであり、先輩であることを差し引いても顔面に一発食らわせたくなる程度には腹立たしい。
「何でって……。ピンチのとき“白姫さん”なんて呼んでたら“メ”のあたりで撃たれるかもしれないだろ……!?」
「はあぁ?」
小雪は反射的に声を裏返して反論した。トレーナーであろうが先輩であろうが、おそらくそれは差し引いても問題ない。このわけの分からない論拠は今ここで全力で、徹底的につぶしておく必要がある。
「そうだ、だから俺のことも浦島さんじゃなくて京でいいから。浦島さんって、なんか他人行儀な感じもするしさー」
「わけの分からないこと言わないでくださいっ。じゃあ白姫で! 呼び捨てで構いませんから!」
「駄目だ」
「なんで!」
「だから言ってるだろ? “メ”で撃たれるってば」
(やばい……! この人、筋金入りの馬鹿だ……!)
意味不明にしか思えない理屈に何故か反論がうまくいかない。絶望を感じて一瞬口ごもってしまうと後はもう言葉が続かなかった。ただただ唖然とするしかできない。
 荒木と城戸は助け舟も出さず、仲良く顔をそむけて笑いを噛み殺していた。
「あの、主任。全然面白くないんですけど」
「白姫、無理だ、諦めろ。その方が早い。……おい、城戸っ。城戸、息してるかっ」
城戸は心配する荒木の手を制して、腹筋を抱えながら席を立った。笑わずに現場に居合わせる精神力が限界に達したらしい、給湯室に撤退するなり壁を叩きながら声を上げて笑い始めた。
「あー、白姫。気の毒だが、良い風に考えれば堅苦しくなくていいじゃないか。気の毒だが」
 何故二回言う──そう切り返したいところだが、流石に主任相手にそこまではいえない。
「そういや昨日から気になってたんだが、お前ら面識あるんだったか。その時点で運の尽きだったとしか言いようがねぇな。何しててこんなのと知り合っちまったんだ?」
「だからそれは運命的な──」
「彼が女子高生にからまれてるところを助けたんです。駅のホームで」
 小雪はもううんざりとばかりに京の言葉を遮った。事実をコンパクトにまとめるとこうなる。これ以上運命だのなんだのをこじつけられる前に話を終わらせなければ。そう思ったのが伝わったのか、場は一瞬にして静まり返った。数秒間の静寂を裂いたのは、予想外にも奥の席で伝票整理をしていたみちるの、小さな「クスッ」という笑いだった。それが引き金となり、荒木が、給湯室で死にかけていた城戸が、そろいも揃って笑い出す。 
「う、浦島ぁぁ! 普通逆だろう!? からまれたって……もう勘弁してくれよっ!」
「凄いB級運命だな! なんっのストーリーも生まれんだろ、それ!」
主任バディはなかなかコンビネーションが良いらしい、二人で労わりあいながら笑いを沈静化しようと深呼吸を繰り返す。
「ご、ごめんね浦島くん、小雪ちゃん。……流石にちょっと可笑しくって……」
計らずも爆笑のスタート合図をしてしまったみちるが申し訳なさそうに合掌している。もうどうでもいい。どうとでもなれ。小雪は力なく座って、乾ききった笑みをうっすら浮かべていた。
 その緩みきった空間に、次の一瞬で緊張が走る。古い電話のベルのようなけたたましい音、それが5秒間感覚を支配する。次に流れるのはオペレーション課からの緊急出動要請だ、この状況なら出るのは荒木と城戸になる。
「南藤和駅ホームより入電。男性スプラウトが線路上で小躍りして言うことをきかない状態。“ブレイク”の可能性あり。保安課ただちに現場にきゅうこ──」
 ブチッ──放送は明らかに途中で切れた。しかしオペレーション課で何かあっただとか、機材に不具合が生じただとかは誰も勘ぐらない。荒木が上着を羽織りながら大きくため息をついた。
「あいかわらず美森のアナウンスは無駄に詳しいな」
「そのくせ途中で切れましたしね」
「ったく、しまらねぇな……」
荒木のぼやきに合わせて城戸が苦笑する。この二人にしても相変わらずマイペースのようだったが、目の色が確かに変わった。

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