文具コーナーに愛海の姿を認め、そのすぐ真後ろの参考書コーナーに堂々と陣取る二人。愛海は相変わらず生気のない表情で、ぼんやり突っ立っているだけのように見える。
「(浦島さん、近すぎませんか)」
「遠巻きに見てるほうがよっぽど怪しいでしょ。はい、小雪はこれ目通して」
参考書のひとつを取って小雪に手渡す。京も適当な本の適当なページを開いて、大胆にも半身を愛海の方へ向けた。このまましばらく様子見かと、小雪は一旦呼吸を落ち着けてページをめくった。と、開いたページの上に半ば押し付けるように京が手に取っていた本が投げ置かれる。
「ちょっと……っ!」
文句を言おうと横を向くが、既に京の姿はない。あろうことか、京は愛海の二の腕を掴んで立ちふさがっていた。
「二回目だな」
思わず苦笑が漏れる。それはもちろん京だけで、愛海は顔面蒼白で硬直しているし、小雪もまた同じくらいの青い顔で声にならない悲鳴を上げていた。
「何やってるんですか、浦島さんっ。痴漢扱いどころかまるっきり痴漢ですよっ」
間に割って入ろうとする小雪の顔を見て、愛海の表情がこれ以上ないほどに強張る。しまったと思ったが後の祭りだ、これで叫ばれでもしたら言い訳も思い浮かばない。しかしそれらの小雪の心配は全て無用の産物だった。
「……ひとまず、鞄に入れたものは棚に戻そうか。この位置なら俺が盾になって見えないだろ」
「お……お店の人に……」
「言うとしたら君がこのまま店を出たときだ。昨日の今日でこの場面だからな、不本意だろうけどちょっと事情を聞かしてもらうよ。……学校だとか警察だとかはそれ次第かな」
京が掴んでいた腕を放すと、愛海が震える手を鞄の中に入れた。そこに握られていたのは値段シールがついたままのカッターナイフだ。目の前の棚には全く同じ商品が陳列されている。小雪が目を丸くして京の顔を二度三度と見る。京も肩をすくめて苦笑いするしかなかった。
愛海がカッターナイフを元の位置に戻したのを確認して、三人は連れ立って店を出た。京が道路を挟んで向かい側のカフェを指差したので、そのままこぞって移動する。にこやかに立ち振る舞う京とは対照的に、愛海は肩を縮こまらせて下を向いていた。小雪がその肩をそっと手を載せると、小さく震えているのが分かった。
(無理もないか……)
彼女にとっては悪夢のような偶然だ。未遂とはいえ立派な犯罪現場に、二度も立ち合われるなど想定外もいいところだろう。更に言えば、彼女の行為自体は偶然ではない。それが知れているから京の態度にはどこか有無を言わさない雰囲気があった。カフェに入るなり、寄ってきた店員にコーナー席を手配させる。
「愛海ちゃんだっけ? 昨日はどうも。あの後は無事に学校に行けたかい?」
愛海の正面を陣取って京が席に着く。小雪に促され愛海も座り、俯いたまま小さく返事をした。
「そりゃ良かった。ちょっと気になってたからさ。……その昨日の件も含めて、良ければ理由を教えてもらえないかな。話せる範囲で構わないよ」
タイミングを見計らっていたのかウェイトレスがそそくさとやってきて、コーヒーを三つ手際よくテーブルに並べた。愛海の狭い視界にもそれは入ったはずだが、コーヒーに手をつける
素振りはない。間を埋めるためだけに、京がカップに口をつけた。重い沈黙の中、熱いコーヒーの湯気だけがのほほんと上がり続けていた。
「ちょっとした……仕返しの、つもりで」
黒く渦巻くコーヒーに向けて、愛海が搾り出すように答えた。涙声でもなく、震えているわけでもない。案外にしっかりした口調だ。
「仕返し。なるほど、相手は昨日駅に居た子かな?」
少し間を置いて、京の問いにしっかりと頷く愛海。
「秘密って言うか……弱みみたいなの、握られてて。何かあるたびにバラすとか言うから、ちょっとうざいなって。それで、……ちょっと脅かしてやろうと思って──」
「ナイフを出した、と。それがうまくいかなかったから今度はカッターナイフ」
「それは……!」
「そう勘ぐっちゃうのはしょうがないよな。ああいうのは『ちょっと脅かす』には向かないよ、ハイリスクノーリターンで良いことなし。そこらへんは分かるよな?」
愛海は肩をすぼめて頷いた。その反応に、京が満足そうな笑顔を見せる。
「よし。それが分かるならお利口さん。念押しで言っておくけど、愛海ちゃんがやろうとしてたことは昨日のも今日のも、立派な犯罪だ。もう二度としないって、ちゃんと誓えるな」
「……はい。しません」
京がコーヒーの残りを音を立てて飲み干す。愛海は間髪入れずとはいかないまでも比較的すぐに返事をしたが、それが気に食わなかったのか京は空になったカップを無意味に見つめていた。そして、思い立ったようにテーブルに身を乗り出した。
「今の言葉、嘘はないな? 下向いて言われても信用できない。俺の目十秒見られるか」
斜め向かいに座っていた小雪が仰け反った。横目に入れた愛海は思いのほか平静で、言われたとおり顔を上げ、京の目を覗き込んだ。無言で十秒、行きずりの女子高生と見つめあう光景が誕生。どこからどう見ても異様だったが、当人同士が真剣なので小雪に口を挟む理由はない。
十秒より少し長かったように思うが、京がようやく体を起こす。にっこり笑って伝票を手に取ると席を立った。
「あの……」
「信じるよ。まぁなるべく穏便に、“仕返し”する方法を考えてちょうだい」
「二人は、学校関係の人かなにかですか……」
確かに! ──小雪の背中に冷や汗が流れた。偶然と必然を足して彼女の事情に立ち入ることになったものの、あの説教と対応は立ち入りすぎである。そうかと思えばわけの分からない見つめ合いを半ば強要されたりもしているわけで、彼女にしみれば学校に突き出されるより迷惑だったかもしれない。小雪が上目に京の様子を伺った。
「俺たち? まさかっ。外回り中のラブラブ営業コンビに見えなかったかー。まぁでも企業柄、人の相談に乗ることは多いから……」
(よくもまあ、こんなにさらっと嘘を……)
ウインクを飛ばしてくる京に愛想笑いを返す小雪。セイバーズは状況に応じて身分を偽ることが公的に許されている。それを繰り返していると、こんな風に実に爽やかに嘯くことが可能になるらしい。ある意味感心も覚える。
京は席を立ったまま、テーブルの端にセットされてあった紙ナプキンの一枚を手に取った。自分の名前と、電話番号を流れるように記入する。書かれた番号に、小雪は目を見張った。
「穏便な仕返し方法が思い浮かばなかったら、ここに電話してくるといい。俺が外回りしてても電話まわしてもらえるようにしとくよ」
紙ナプキンを愛海の手に乗せて、京はカウンターに向かった。店を後にし、自称営業マンらしく爽やかに愛海と別れる。そのまま無駄な爽やかスマイルを保って、京はコインパーキングに向かった。その後を小雪が足早に追う。
「浦島さんっ」
「スプラウトだよ、彼女は」
小雪の質問の内容は想定してたらしい、京が歩きながらあっさり答えた。愛海に渡したのは、スプラウトセイバーズカンパニー・保安課の直通番号だ。当然電話口に出た人間はそう名乗る。そこに電話するよう仕向けたということは、京の中で──あの会話の中で──愛海がスプラウトであるという確信があったことになる。小雪にはそれが分からなかった。
「どうして確信が? そんな話は出なかったと思いますけど」
「うーん……こればっかりはねー。場数踏んでコツ掴む奴もいれば、長年やっててもさっぱりって奴もいるから」
腕時計とパーキングの料金メーターを見比べてこれみよがしに顰め面を作る。この時点で似非営業マンタイムは終了したようだ。