SAVE: 02 セーラー服と45口径


「……了解した。データ引っ張ってくるから、とにかくさっさと戻って来い」
 京がまた気だるく返事をし、小雪に合図して通話を終わらせた。
 交通量は午後になっても一向に減らなかった。動かない車の中で、京はほんの少しだけ苛立った様子でハンドルの端に指を打ち付けた。


 二人が帰社する頃には日は傾き、かろうじて西の空に留まっている状態だった。帰宅ラッシュのぎりぎり数分前に戻れたことだけは幸いだ、これから近隣の道は更に混み合う。
「課長」
 保安課に戻るなり、京は真っ先に金熊のデスクに向かった。金熊は席に着いたまま無言で数枚綴りの資料を京に差し出した。
「魚住愛海のセイブ許可を出す。……今からすぐ出るか」
「出ます。シンをこっちに出させますんで状況説明次第、応援によこしてください」
 保安課内には金熊とみちるしか見当たらない。荒木と城戸はまだ戻っていないようだった。午前の出動要請から随分経つから、そのまま別の事件の対応に向かったのかもしれない。だとすれば宛てにはできない。
 京は資料の一枚目をめくり、魚住愛海の詳細情報に目を通した。ほとんどのスプラウトの情報はセイバーズに登録されてあるから、システム課に問い合わせれば短時間で入手することができる。普段なら自分たちで取りに行くべきところだが、今回は金熊が代行しくれたようだった。
「アルバイト先……“デイライト”か、近いな」
早くも資料を小雪に押し付けて意気揚々と踵を返す京。小雪は慌てて資料を流し読みしながら
後を追った。
 資料の一枚目は「セイブ許可証」、課長権限で発行することが可能なセイブ業務に必要な事前の手続きである。現行犯であればこれが無くともセイブは可能だが、あくまで「ブレイクの畏れあり」の今の状態では必須だ。二枚目以降がシステム課に問い合わせたセイブ対象のデータで、愛海のアイナンバーから生年月日、現住所、アルバイト先がファミリーレストラン“デイライト”であることまで事細かに記されている。
「こんなに詳しく登録されてるんですね……知らなかった」
「名前さえしっかり分かれば後はシステム課でデータが取れる。と言っても登録さえない奴も中にはいるけどね。それ社外秘だから、読んだらシュレッダーな」
 保安課を出る直前に京がそんなことを言うものだから、小雪はドアの前で勢い良く踏みとどまった。みちるが察して資料の二枚目以降を受け取った。
「そうだ、みちるさん。俺たちが戻るまでの間に電話なかったですか? その子から」
 資料を指差されて、みちるがデータに目を落とす。電話は何件か取り次いだが、外部からの直通はなかったはずだ。今一度確認して、みちるはかぶりを振った。
「そりゃ残念。じゃ急ぎますかね」
「いってらっしゃい、二人とも気をつけてっ」
お決まりらしい彼女の見送りを受けて、二人は元気に手を振った。


 日が沈み周囲が薄暗くなると、思ったとおり表通りの渋滞は凄まじくなった。愛海のアルバイト先であるファミリーレストランはカンパニーから徒歩圏内だ。この時間帯に便利な車道の抜け道も熟知しているが、二人は歩いて向かった。
「いらっしゃいませー! デイライトへようこそー!」
ドアを押すとスマイル全開のウェイトレスが出迎えてくれた。制服はありきたりで地味だが、腰に巻いたフリルのエプロンは意外性があって可愛らしい、京のお気に入りだ。店内にはスーツ姿もちらほら見える、二人が客として訪れたとしても不自然ではなかった。席に案内しようとするウェイトレスをやんわり制して、京も負けじと営業スマイルを返した。
「ちょっと聞きたいんだけど、今日魚住さんは出勤してる? 魚住愛海さん」
「魚住ですか? はあ……一応、出勤してはいますけど」
愛海と同じくらいの年頃に見えるウェイトレス、怪訝そうに京を見ながら答えるが歯切れが悪い。一介の学生にスーツの男女が一体何の用だといわんばかりだが、それに加えて何か事情があるらしい、バックルームを何度か横目に確認した。その隙に京は店内を一瞥する。確かに「一応」と断るだけあってホールに愛海の姿は見当たらなかった。
「その、気分が悪いらしくて今バックルームで休んでるんです。愛海が、何か……?」
ただならぬ雰囲気に不安になったのか、アルバイトのウェイトレスから愛海の友人の口調に戻っていた。京は一瞬考えるようにバックルームを見て、すぐにまた笑顔を作った。
「いやいや。ちょとした知り合いでさ、食事に来たんだけどそういうことなら帰ろうかな。悪いんだけど、浦島京介が来たってことだけ伝えてくれる? たぶん、分かると思うから」
「あ、はい。ちょっとお待ちください」
 ウェイトレスが一礼してカウンターの奥へ消える。彼女が戻ってくるのを待ちながら、恵比寿のような笑みを浮かべ続ける京から、小雪は一歩そそくさと距離をとった。
「ちょっと。何で離れるの」
 目ざとい。小雪は胸中では舌打ちをかましつつも表面上は愛想笑いでごまかした。
「不自然だろー。恋人っぽくしてくれなきゃ」
「いつそんな設定になったんですかっ。ただの営業コンビのはずでしょう」
「……ラブラブ営業コンビって俺言わなかったっけ」
「知りません。そういう無駄な設定にこだわる必要ないと思いますけど」
「さっきからその、『設定』っていうの萌えるよねぇ」
「気持ち悪っ」
愛想笑い、崩壊。最後は思わず身震い付きで口に出してしまった。京の方も恵比寿スマイルが消え、一気に涙目である。大の大人がファミレスの入り口で涙目でしょげている姿は何とも痛ましい。会計を済ませて退店しようとしていた家族が、揃って小雪に非難の目を向けていた。
そんな緊張感の無い状況ごと、次の瞬間には消えてなくなる。
「ちょっと! 愛海!?」
カウンターの奥から尋常ならざる女の声が聞こえた。先刻のウェイトレスのものだ、確認するや否や京はカウンターに押し入って一気にバックルームへ抜けた。
「お客様!」
「う、浦島さん!」
 こういうときの京の判断と行動は矢のように早い。いや、おそらく判断する前に体が反応しているのだろう、それも経験のなせる業なら大したものだ。などと上から目線で感心している場合ではない。小雪も後を追った。
「逃げられた! 俺はこのまま裏から抜けるから、小雪は表回れ!」
「了解!」
 何が起こっているのか全く理解していないウェイトレスは、京を見て小雪を見て、混乱もそのままにただただうろたえている。彼女はおそらく京の名を愛海に伝えたはずだ。その結果がこれだとすると状況は芳しくない。
 小雪は入ってきた入り口を出て、全速力で裏口に回った。この辺りはこのファミレスを除けば比較的高層の建物が多い。夜の闇以上に周囲が暗く感じた。店の裏側はトラック一台分が裕に通れるくらいのスペースがあり、ゴミと資材がごっちゃになって置かれている。その先は袋小路だ。愛海はわざわざ壁を背にして立ち、こちらを睨み付けていた。息が荒い。肩を上下に揺らして呼吸に専念しないと酸素供給が追いつかないようだ。
「愛海ちゃ~ん……そう全力で逃げられるとこっちも全力で追いかけたくなるってもので……」
愛海と一定の距離を保った京、後ろから追いついてきた小雪にも後ろ手にストップをかけた。
「浦島さん……!」
「ちょっと……遅かったみたいだな」
小雪の合流がという意味ではない。セイブに至るまでの全ての過程がである。しかし今それを嘆いても仕方が無い。

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