「はあ、なるほどあそこですか。えーと……その、お父さんがアイスを買ってる間、亜里沙ちゃんはどこに?」
「ですから! その間に居なくなってしまったんですよ! あの子は抜きんでて可愛いから、これはもう誘拐に違いないんです、決定的です!」
荒木は顔を背けるようにして眉間のしわをほぐしはじめた。その理由がまかり通るなら、荒木も娘が誘拐されてないか逐一疑わなければならないではないか。社内ではそうそう娘の話などしない荒木だが、彼が愛娘を文字通り猫かわいがりしていることを保安課で知らない者はいない。故に「抜きんでて可愛い」のあたりが癇に障ったが、荒木はそれをおくびにも出さずまた黙って一度頷いた。
「それって俗にいう迷子じゃ……」
そういう健気な態度をあっさり水の泡にするのがシンだ。現時点で一人大混乱祭りを開催しているこの男性に、その真実はあまりに酷だ。しかし、そのわけのわからない祭りに全員が業を煮やしていたのも事実である。これ以上間のびさせてもしょうがないだろう、荒木も食ってかかられるのを覚悟で早期決戦を試みた。
「迷子、か誘拐かどうかはさておき、いずれにせよこの案件は警察の仕事に当たるんですよ。まあ似たような業務をしてるイメージがおありでしょうけど、我々の専門は──」
「そんなことは重々承知してますよ! 亜里沙はスプラウトです、それもプリズムアイの! ここまで言えば十分でしょうっ」
やはり食ってかかられた。しかし荒木の想像していたものとは違う理由でだ。また言葉を飲み込んで、我が課のスプラウト連中に視線を送る。一番顕著に顔色を変えたのは京だった。それだけは予想通りといったところか。
「分かりました。では、亜里沙ちゃんのアイナンバーを教えていただけますか。港湾区を中心にして検索をかけます」
小柄な男性は、渡された小さなメモ用紙に流れるように4桁の数字を書いた。荒木はそれを受け取ると二つ折りにする。
「浦島」
呼ばれて京が席を立った。幸い今日は人手が足りている。たまには一つの案件を効率重視で分担してもバチは当たらないだろう。京はシンと小雪にも手招きして、連れだってI-システム課へ向かった。
「お父さんはこちらへ。もう少し状況を詳しく説明して頂きたい」
保安課の真向かいに設けてある応接室に誘導する。荒木が視線を送った先で、城戸も席を立って応接室に向かう準備をしていた。
結局、保安課はいつもと変わらずのがらんどう状態となる。金熊はやれやれといった具合で大きく伸びをして、再びデスクワークに没頭した。
「フジキアリサ。藤木亜里沙ちゃん。あら、ほんとに可愛い子ねー。これならお金目当て以外でも誘拐されちゃいそうね」
I-システム課の主任、柳下奈々が42インチのモニターを興味深げに覗き込む。柳下は、肩下まであるストレートの髪を項で一本に結んでいるだけの簡単ヘアスタイルなのだが、それだけで清潔感と色香が同居しているような不思議な魅力のある女性だ。制服代わりに常時着用している白衣も、それに一役買っているような気がした。
柳下に釣られて、京とシン、小雪まで巨大なモニターを覗き込んだ。4人で覗き込んでも一向に狭苦しくならない。26インチのノートパソコンが主流の保安課とは雲泥の差である。
モニターには栗色の厚いボブスタイルがよく似合う、人形のような少女が映し出されていた。少しはにかんで頬を赤らめているところが、また可愛らしい印象だ。
「確かに。荒木さんとこの双子に匹敵するかわいさかも」
シンが何気なく口にしたそれに、小雪がまた興味津々に食いつく。
「へー、主任のお子さんって双子なの? 男の子? 女の子?」
「あ、小雪さん会ったことなかったっけ? 奥さんがまた美人でさー、何を血迷って荒木さんとくっついちゃったのかミステリーもいいとこっていうか」
「シンくん……」
「こぉら、二人とも! 無駄口叩いてないでモニター注視! 浦島君を見習いなさーい」
シンの身も蓋もない発言よりも数倍、耳を疑う言葉が柳下から発せられた。見ると、京は黙々とキーボードを叩いて、対象のスプラウト反応を画面地図上で検索している。──不気味だ。普段なら口にガムテープを貼っても喋りつづけるような男が、口を真一文字に結んでいる時点で相当な非常事態が発生しているような気さえする。
「あ、あの京……?」
「小雪はさー」
かと思うと突然口を開く。視線はモニターに向けたまま、手元ではマウスを動かして画面上の地図を拡大している。説教だろうか。
「〝プリズム"については、知ってるよな?」
「は? プリズムって……プリズム・アイでしょ、そりゃ当然」
身構えていた手前拍子抜けして、思わず素っ頓狂な声をあげた。
プリズム・アイ──培養課程で、突然変異により発生した多色の光彩を放つアイ細胞の名称である。ダイアモンドよりも美しいと言われる外観に加え、細胞寿命、分裂能力、再生能力どれをとっても通常のアイ細胞とは比較にならないエリート細胞であることが既に実証されている。プリズム・アイが生まれる要件は未だはっきりとはしておらず、大変貴重で「高値がつけられる」のが現実だ。
そう言えば──先刻、藤木氏がそれを口にした途端、荒木は対応を改め京は顔色を変えた。それからずっと無口になっていたような気がする。
「プリズムは人間にとっちゃ最高級の宝石、あるいはそれ以上の価値として認識されてる
B15年くらい前にも、プリズムスプラウトばかりを狙った誘拐や連続殺傷事件が多発した事例があるし、藤木父がそういうのを知ってる人間だとすれば、まああの狂乱っぷりも納得がいくよな」
「それはまあ……そうかもしれないけど」
「プリズム専門の売買ルートなんてのも、セイバーズが把握してるだけでも結構ある。資料室に概要は揃ってるだろうから暇なときに目通しとくといいかもな」
ぞっとしない話だ。赤井理研工業によるスプラウトの遺体売買が発覚して、まだ一カ月経たない。それが免疫となってか、京の話はそう遠い世界の話ではないと実感することができた。具体的な恐怖と抽象的な怒りで全身の毛が逆立つ。スプラウトの命には、どうしてこうも金が絡んでくるのだろう。
「居た!」
京が軽快に叫んで、マウスをダブルクリックする。画面上では亜里沙のスプラウト反応を示す赤い球体が柔らかく点滅している。場所は港湾区、伊佐保フェアリーランド内、アトラクションの一画──。
京は地図を拡大しながら半眼になった。赤い点は決まったルートを進行しているというよりは、何かにつられてあっちへうろうろこっちへうろうろしているという感じだ。全員がモニターを見つめて京と同じ顔つきになった。
「居るよね、百貨店とかにこういう動きしてる子」
シンが身も蓋もなく切り捨てる。プリズム殺傷事件や売買ルートのことまで深刻に話した直後にこの結果だ、お粗末すぎて京は何も言わない。と、その肩を抑えつけて小雪がモニターに身を乗り出した。
「待って。これ何かの建物内ってことよね? 一人でアトラクションに乗ってるってこと?」
更に地図を拡大してみるがアトラクション名までは出てこない。京はフェアリーランドのホームページを開き、園内地図と照合することにした。
「この位置だと……ホラーハウスかな。確かに子ども一人で入るってのも妙な話だな」
「京、さっきのホームページ」
言われるままにマウスを動かしてトップ画面に戻る。体重をかけられている右肩がそろそろ痛かったが何となく注意できずじまいだ。それを見透かしたように小雪が更に体重をかけて身を乗り出した。お知らせコーナーを指さす。