「これ! やっぱり変よ、『ホラーハウスは現在リニューアルのため休止中』いくらなんでもこんなところに迷い込むなんて」
肩は重いし、かなり痛いが小雪の横顔が間近にあるのは悪い気はしない。そういうよこしまな感慨が顔に出たらしい、次の瞬間には小雪は思いきり眉根にしわをよせて、小さく舌打ちまでかましていた。日に日に彼女の悪態のつきかたがひどくなっている気がしたが、今はそれを指導している状況ではない。
京は立ち上がると柳下に軽く礼をして保安課へ急いだ。
荒木の指示を仰ぎ、京たち三人は伊佐保フェアリーランドへ赴き、藤木亜里沙を捜索することになった。荒木と城戸は引き続き保安課内で藤木父に付き添い、状況に応じて出動できるように態勢を整えておくとのことだった。というのは半ば建前で、荒木の待機は、藤木の言動にいくつか気になる点を見出してのことだった。
システム課からは、応援として社員1名が30インチのノートPCと共に派遣された。豆塚登、京と同期同輩、更に同類のやかましい男だ。荒木は彼を目に入れるなり思いきりうんざりした顔を見せたが、豆塚は気がつかず口笛を吹きながら長机の上でモニターを開いた。そして元から応接室の奥に設置してある無線機器の調整を始める。黙って仕事をしていれば、この男もそこそこできる奴なんだがな──というのは荒木の感慨で、それも京に対するものとほぼ同類だった。
「よーっしゃ! セッティング完了! さぁー始めようぜっ! 美少女プリズムスプラウト誘拐事件、俺様が華麗に解決してみせるぜ!」
豆塚が勝手につけた事件名のせいで、ソファーで意気消沈していた藤木の顔が青ざめる。荒木は手近な雑誌を丸めて豆塚の後頭部を一撃した。フェアリーランドが特集されたなかなか分厚い観光雑誌だ。
「やかましいっ。お前は黙って浦島たちを誘導してくれりゃあいいんだよ。くれぐれも黙って、静かに、だ!」
「へぇー、すんませーん。っつーかなんで俺がよりによって浦島なんかのサポートを……」
荒木の額に青筋が浮かぶ。こいつは不良高校生か何かに近い気がする。教員の類はやったこともないしその資格も持ってもいないが、豆塚の首に頼りなくぶら下がっているだけのネクタイや首筋にかかるくらい長い明るい色の髪を見ているとどうにも腹立たしい気分になってくる。荒木自身の年がら年中緩めたままのネクタイに関しては、この際棚にあげるようだ。
「あの……! やっぱり私もフェアリーランドに戻って一緒に探しますっ」
元から白い方なのかもしれないが、藤木の顔からはとにかく色という色が失せていた。今にも卒倒しそうな中年男性を、城戸が柔らかな笑みを向けながら丁重にソファーに座らせる。荒木が隠すでもなく溜息をついた。
「顔も居場所もおおよそ把握してますから、後はうちのに任せて大丈夫でしょう。今のあなたが行っても現場が混乱するだけだし、まぁ……二三、確認したいこともありますんで」
荒木は久しぶりに煙草をふかしたい気分だった。禁煙してから随分たつ。火の付いていない煙草をくわえて気を紛らわせることも少なくなってきたところだ。後一歩のところで挫折するというのも馬鹿らしい、後頭部を掻きながらそう思いなした。
亜里沙の父、藤木国雅は洋食器ブランドのオーナーをやっているらしい。城戸はブランド名を聞いて何か感心したような反応を示していたが、荒木にはそれが有名なのか高級なのかどうかもピンとこない類の話だった。言われてみれば、ポロシャツにチノパンという今のラフな出で立ちよりは、光沢のあるスーツに身を包んでいる方が似合いそうなタイプだ。そもそも、スプラウトを養子として引き取る人間は経済的に成功している人間が主だ。その点に不審はない。裕福であっても子宝に恵まれない家庭、子も孫も離れて暮らす老夫婦、スプラウトと養子縁組を組む背景は様々だが社会情勢を反映していることは確かだ。
しかし、藤木の場合はどうやら事情が違うらしい。というのは城戸の迅速な調査によって判明したことなのだが。それがはっきりするまでは、セイバーズ社内に引き留めておくべきだと荒木は判断していた。
「えーSSCTより保安課浦島班へ。通信テストも兼ねて『ホラーハウス』への誘導を行う。入り口ゲートから西部へ観覧車を目印に直進」
SSCTというのは、スプラウトセイバーズカンパニー藤和支社の略称で、支社記号として書類
などに使用されるものだ。これを口頭で好んで使うのは本社とシステム課の格好つけ連中だけで、保安課はこれを名乗られてもすぐに理解できない場合が多い。
無線機とネット回線を組み合わせた通信機の感度は良好で、すぐに京の明瞭な声が返って来た。
『あー……なんだ登クンがしゃしゃりでてきてんのか。それはまたうざったいなー』
「下の名前で呼ぶんじゃねー! いいからさっさと目的地に向かえよ、うすのろ野郎どもが!」
荒木は先刻の、豆塚に対する感慨を改めた。不良高校生どころではない、自分が中学にあがるかあがらないかの頃、よくこういう啖呵をきっていたような覚えがある。
「浦島、対象はホラーハウスから移動していない。どういう意図があるか知らんが警戒を怠るなよ」
『了解です。ま、さくっと見つけて無事に藤木さんの元に帰しますから。あんまり心配せずにお茶でも飲んで待つように言ってくださいよ』
「ああ、隣で聞いてる。そうさせてもらうからヘマせずしっかりやれよ。シンと白姫もな」
右耳に挿した小型のイヤホンから荒木の声が聞こえなくなったのを確認して、京は眼前の洋館らしき建物を見上げた。ビタミンカラーの色鮮やかなアトラクションに紛れて、これだけはあからさまに別物として浮いている。灰色の煉瓦に仕掛けられたスピーカーから何か獣だかカラスだかの泣き声がしきりに流されていた。入り口には立ち入り禁止の札と共に赤いロープが張られている。それさえも何となく不気味な雰囲気を醸し出していた。
「僕たちの声は全部カンパニーに筒抜けなんだよね?」
シンは耳の奥のイヤホンが気持ち悪いらしい、顰めつらで耳の穴をいじっている。
「報告要らずで結構だけどな。イヤホンは外すなよ、荒木さんからの指示も入ってくるから」
毎回こういう手段が取れれば、おそらく連携という意味では相当に効果を発揮するはずだ。しかしヘマもちょっとした会話もカンパニーにダダ漏れというのは喜ばしいことではない。どちらにせよ、人手があるからこそとれる手段であることには違いなかった。
風に乗って僅かに漂うのは潮の香りだろう、海沿いの特有の風は少し冷たく感じた。
元気の良い男の子の手を両側からとって、空中ブランコのように遊ばせる若い夫婦が通り過ぎた。それから三段がさねのアイスクリームを二人で仲良く食べあうカップル、中学生くらいの男女の組は何をそんなに急いでいるのかジェットコースターを指さしながら全力疾走だ。平和だ。ここは少しだけ現実と切り離されたおとぎの国のようだった。そこからさらにもう一段階切り離された空間にホラーハウスが建つ。
「じゃ、入ろうか」
「待って! 順番は!?」
ロープを股ごす途中の態勢で、京は振り返った。小雪が必死の形相で京の腕を掴んでいる。
「いや、順番とかって言われてもな……まじめにアトラクしにきたわけじゃないから、全員一緒でいいでしょ」
小雪は全くそこまで考えが及ばなかったというように息を飲んで、京の腕を掴んだままロープを股ごした。これは──。京は何か素晴らしい案を思いついたらしく、シンに顎先で先に行くように指示した。
「バッカらし……」
「何が馬鹿らしいだっ。中見てみろ、元々多人数で入れるようにできてないだろ」
ちなみに全ての会話はリアルタイムで荒木たちのいる応接室に流されている。音声だけでは細かいニュアンスまでは伝わってこないが、京がシンに「バッカらし」と批難される程度のことをしでかしていることだけは十分に理解できる。
『おい、わけわからんことで揉めてないでさっさと探索にかかれ』
イヤホンから荒木の一喝が聞こえると、小雪も思い出したように京の腕から手を離し何食わぬ顔でシンの後に続いた。その口元が引きつっているのを京が見逃すはずもなく、彼は一番後ろを悠長に微笑みながら進んだ。