SAVE: 04 大絶叫フェアリーランド


「お兄ちゃん、これ。もう入れないの? みんな帰っていくね?」
亜里沙の声がはっきりと聞こえる。内心、近づきすぎたことを懸念するくらいに。
「大丈夫。お兄ちゃんと亜里沙は特別に許されてるんだ。他の人に邪魔されないで、二人でじっくり中を見て回れるよ」
「ほんと!? すごい! ありさ、これすごく楽しみにしてたのっ。あ、でも……」
何の前触れもなく、亜里沙がこちらに振り返った。小雪は手に持っていた妖精のぬいぐるみに視線を落とす。
「パパとも一緒に入りたい。ね、呼んできてもいい?」
「パパは……実はね、もう中にいるんだ。亜里沙をびっくりさせようと思って、パパが計画したんだよ」
「えー! パパ絶対迷ってるよ! 早く探してあげなくっちゃ、ね!」
はしゃく亜里沙の手を引いて、男は迷路内に入っていった。幸せに満ち溢れた亜里沙の声とは対照的に、生気が感じられない抑揚のない声だった。ホラーハウスで聞いた亡霊のつぶやきを思い出す。
 二人の姿が洞窟内に消えたのを見届けて、小雪は思い切りよく一歩を踏みだした。そのまま走り出すための一歩だったが、あることを思い出して完全に立ち止まる。考えた末、出口へ向かった。階段を上りきったところで、ジャケットの内ポケットから携帯を引きずり出した。


 西日が照り付けるスプラウトセイバーズカンパニー藤和支社。
 荒木と城戸は藤木を連れてガレージに居た。いつもと同じように城戸が運転席へ、荒木は藤木を後部座席に乗せた後、助手席に乗り込んだ。エンジンをかけるや否や、藤木がバックミラー越しに荒木を睨みつけた。
「さっきの……スプラウト反応が消えたってどういうことなんですか。暗に亜里沙の身に何か起こったってことですよね……」
 城戸がちらりと荒木に視線を移した。発進していいのかどうかを確認したのだろう、荒木は顎先だけで車の発進を指示した。
「あれもGPSと同じで衛星に頼ってるんですよ、当然それが通用しない場所はあります。目安にはしますが絶対的信頼を置くべきシステムじゃありませんよ」
「だからって……! フェアリーランドにそんな場所があるっていうんですか!? 適当なことばかり言わないでくださいよっ」
「藤木さん」
城戸が耐えかねて口を挟んだ。後部を確認するふりをしてバックミラーに一瞬だけ視線を移す。顔を真っ赤にして小柄な体を怒りにふるわせる藤木の姿が映る。
「亜里沙ちゃんが何か事件に巻き込まれていて、それを私たちが救えなかった場合確かに責任はこちらにあります。でも現時点では亜里沙ちゃんが事件に巻き込まれているのかどうかも分からない状態ですよね。児童の監督責任は基本的には保護者にあります。心配なのはごもっともですけど、私たちに当たっていても解決はしませんよ」
城戸の口調はあくまで丁寧で、穏やかな笑みも絶やさない。それにも関わらず荒木より威圧感があるのは本人にそれなりの悪意があるからだ。
「そんなこと……!」
「それとも、事件に巻き込まれている確信が何かおありですか」
 藤木は何か言いかけてそのまま言葉を詰まらせた。荒木は助手席で「余計なことを言うな」とばかりに眉をしかめている。城戸は見た目ほど気が長くない。荒木が回りくどく攻めているのに業を煮やしたらしく、口を挟んだようだった。荒木も長い付き合いでそれは分かっているから、隣で笑ってごまかそうとする城戸をいちいち責めたりはしない。荒木も仕方なく、本題に入ることにした。
「娘さんがプリズムスプラウトだったとしてもね、あなたの慌てようは異常でしたよ。状況から考えれば迷子か、悪くても連れまわしだろうってのが当初の見解です。移動してるスプラウト反応もひとつでしたからね、仮に誰かと行動を共にしてるとしてももう一人はスプラウトじゃないってことです。……こういう場合、多くは警察の管轄になります。ご存知ですね?」
 事前にそれを知った上で介入行動を続けた場合、セイバーズには警察からペナルティが課せられる。スプラウトセイバーズカンパニーは、あくまでスプラウトをセイブするための民間企業だ。その一線を意図的に踏み越えることは許されていない。
 藤木はそれこそが気に食わないというように、荒木を睨みつけるのをやめなかった。
「……あなたたちはいつもそうだ。『セイブ』だとか何だとか言って、一体何を守ってるつもりなんですか? ブレイクスプラウトをセイブしてるのはご立派かもしれません。でも結局あなたたちは、加害者ばかりを救って被害者を救わない……! そんな組織を私は高尚だとは思えませんよっ」
 荒木はまた、煙草が吸いたいなと思っていた。一年前なら社用車の中でも迷わず火をつけただろう。手持無沙汰に口もとを手で覆うと、伸び始めた無精ひげが手のひらに刺さった。
「別に否定はしませんよ、ごもっともと言えばごもっとも。高尚だとは俺も思わんが、なけりゃないで困る組織だ。……そんな憎たらしい組織に慌てて駆けこんできたのは藤木さんの方ですがね。警察に駆けこんだ方が話ははやかったと思いますよ。それとも、警察では何かまずい理由でも?」
 バックミラー越しでも、藤木が表情を凍らせていることが分かる。荒木は疑惑を持ってかまをかけているわけではない、確信があって揺さぶっているのだ。藤木にもそれが分かったからこうまで唇をふるわせているのだろう。睨みあいは完全に形勢逆転したように見えた。
 そこへタイミングを見計らったかのように荒木のケイタイが鳴った。着信表示を確認してすぐさま応答する。
『白姫です。地下迷路に入っていく亜里沙ちゃんと若い男を発見しました、このまま後を追います!』
「白姫、一人か。浦島はどうした」
『捜索のために一旦別行動にしました』
「……わかった。浦島には俺から連絡する。こっちも現場に向かうから、深追いするなよ」
通話口の向こうから歯切れのよい返事が聞こえた。小雪との通話を切るとすぐさま京にかける。本来なら「別行動」に対して小言を言っているところだが、内容は小雪から聞いたものと自分が伝えたものを繰り返しただけに留めた。
「荒木さん、白姫ですか」
分かりきったことをわざわざ聞くのは、要するにさっさと内容を教えてほしいという城戸の柔らかな脅迫だ。それに抵抗するように、荒木は回答を藤木に向けた。
「亜里沙ちゃん見つかりましたよ。状況が状況なんでこのまま警察に連絡を入れますが、よろしいですかね」
「ひ……必要ないでしょう! もう向かってるんだし、あなたたちだけで解決できる問題じゃないんですか!」
声が上ずっている。最初から興奮で上ずってはいたが、今のはとりわけ裏返った。対して、荒木はこれまでで一番低く落ち着いた声を作った。
「藤木さん、我々をあまり舐めてもらっちゃ困ります。確かに権限はないが、警察の上をいく情報力がある。民間企業の強みです。……あなた、亜里沙ちゃんとは別に息子さんがいますね、スプラウトではなく、実の」
 荒木がそこまで言うと、藤木はがっくりと肩を落として頷いた。自ら率先して話す気力はないらしい、荒木にしても無理やり話してもらう必要はもはやなかった。必要な情報はほとんど城戸が集めてくれたし、小雪が追っている男が藤木と別れた妻との息子・加賀見有一であることはほぼ間違いなかった。荒木は再びケイタイの通話ボタンを押し、電話帳から藤和署の刑事課直通番号を呼びだした。
 加賀見有一には窃盗と傷害の前科がある。一年前に出所してからは妙に羽振りが良く、藤木のもとに金の無心にくることもなかったらしい。それ以外の用件で連絡をしてくることもなかった加賀見が、ここ最近になって藤木の元に一本の電話をよこした。今の今まで微塵も関心を示さなかった、スプラウトの養子──亜里沙についてしつこく聞いてきた。だからと言って──。
「だからと言って、有一が、犯人だと決まったわけじゃないじゃないですか……」
藤木は自分に言い聞かせるように呟いた。通話中の荒木に代わって、城戸がバックミラーに向かって微笑む。
「だから私たちも向かっています。憶測はやめて、今は亜里沙ちゃんの保護を最優先に考えましょう」
 うなだれたままの藤木が小さく頷いた。荒木が通話を終えても、城戸は隙のない優しげな笑みをバックミラーに向けたままだった。この穏やかな表情が意味するところは「いい加減その減らず口を閉じてもらえませんか」だ。荒木の冷ややかな視線に気づいて、城戸は笑顔の仮面を苦笑いに変えた。

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