SAVE: 06 ールサイドの悪夢


「そんなに滅茶苦茶な先生には見えないど」
 二階の窓から、校門でタクシーに乗り込む京を見下ろしながら小雪がつぶやく。十中八九鬼パンのことを言っているのだろう。
「あー、まあねー。でも実際あの恰好で年がら年中竹刀振り回してたら、もうそれだけで存在を否定したくならない?」
そうして鬼パンが振り下ろしてきた竹刀を、全校生徒の前でうっかり白刃取りしたことがある。殊、鬼パンのメンツをぶっ潰すことに関しては、シンの右に出る者はないとまで言われたものだ。その都度、昼夜を問わず昏々と説教されたことが思い出される。
 曖昧に笑ってお茶を濁す小雪を横目に、シンは惜しげもなくため息を連発していた。
 講習場所はグラウンドの隅、野球部のためのネットやホームベースが設置されているコーナーだ。天気が良ければ鬼パンは大抵屋外で体育を行う。できれば体育館が良かったシンとしては、今日の快晴は恨めしいもの以外のなにものでもなかった。乾いた土は風で舞ってスーツにこびりつく。
 二時間目の予鈴が鳴り、ちらほらと生徒たちがグラウンドに姿を見せ始めた。皆だらけきっている。それを例のごとく、鬼パンが牛追いかと言う勢いで追い立てていた。ところどころであがる女子性徒の悲鳴、男子生徒の絶叫、竹刀が地面にたたきつけられる音──阿鼻叫喚である。本鈴一分前には、生徒たちは微妙にずれているものの整列をし、点呼をとり、大人しく体操座りをしていた。本鈴と共に、何かしらの委員の生徒が立ち上がって号令をかけた。
「よぉし! いいかー、今から紹介するのは、忙しい中わざわざお前らのために講習に来てくれている方々だー。失礼な口の聞き方はするなよ! 敬語! 挨拶! 礼儀! 全部しっかりわきまえろ!」
 方々から気怠い返事があがる。それに食って掛かろうとし、時計を見て、鬼パンは諦めてシンと小雪に手招きした。
 二人が姿を見せた途端、生徒たちのテンションが急上昇する。それが「互い」に分かっていたため、鬼パンは行き場のない怒りを抱え天の仰ぎ、シンは勝ち誇ったように今日一番の笑顔をつくって生徒たちに手を振った。
「ちょっと! かっこよくない!?」
「すっげぇかわいい! お姉さん、いくつですかー!」
 毎年のことだ。シンが出れば女子生徒が色めき立つ。鬼パンが予想外だったのは、今年は小雪が居ることで男子生徒までがざわめきたったことだ。竹刀を握りしめ怒りに耐えている。
「えー、講習を二時間担当する桃山心太郎です。こちらは同じく、白姫小雪さん。難しい話や実技はないので、授業の息抜きのつもりでみんな楽しく参加してください」
 黄色い歓声に混ざって、先刻よりもしっかりした返事が上がる。かと思えば、すぐに調子に乗るのが藤和高校の生徒だ。
「シンちゃんって呼んでもいいですかー!」
「はーい、白姫さんは彼氏とかいますかー!」
これも毎年のことだ。「いいですよー」などと朗らかに答えるシンを押しのけて、鬼パンがしゃしゃり出る。その瞬間、空気が凍りついた。小雪は一連の流れを見て、どことなくほほえましいなどと思ってしまう。
「というふうに、あんまりふざけてると鬼パン先生が怒り狂ってしまうので、さくっと始めることにします。まずは簡単にスプラウトとブレイクスプラウトについて」
シンがあっさり鬼パン呼ばわりしたことで、また生徒が浮足立つ。男子生徒は笑い出し、女子生徒は鬼パンとシンの関係をひそひそと耳打ちし合っていた。
 マニュアルに沿えば、一応この説明は必須だ。しかし今や誰もが知っているそれを丁寧に説明しなおしたところで大した意味があるとも思えない。シンの説明は良く言えば要点を押さえたもので、悪く言えば大ざっぱだった。途中で小雪にバトンタッチし、補足をする。
「今までのところで質問がある人、いますか?」
「はいっ」
丸刈りにした──誰がどう見ても野球部の──男子生徒がやけにまっすぐ挙手する。小雪が指名すると、律儀に立ち上がった。
「お二人は、鬼ヶ島先生の教え子だって噂本当ですか!」
「えーと……。私は違いますけど、シ……桃山さんはそうらしいです」
ごく普通に答えたつもりだったが、ここでも男子、女子それぞれで歓声とどよめきがあがる。どうやら小雪がシンの名前を呼びかけたことで相当テンションが上がったらしい。凡ミスだ。シンが隣で笑いをかみ殺している。鬼ヶ島はサッカーボールに坐って、苦虫をつぶしているばかりだ。恐るべし、高校生の反応力。
「えー、他に質問がないようなので、実技に入りますね。これは、もし皆さんがブレイクスプラウトに出会ってしまったらどのような行動をとればいいかという流れなので、とても大切です」
小雪は釘を刺した上で、スプラウトセイバーズへの通報の流れを説明した。それから実際にシンのモバイルにかけ、オペ課の対応を真似してもらい、保安課が出動するまでの流れを見せた。
「えっと、それでは実際にロールプレイングしてみましょう。ブレイクスプラウトの役を、先生にやってもらいます。先生、すみませんがちょっとそれっぽく暴れてもらって構いませんか?」
小雪に、他意はない。そしてそれを鬼ヶ島含め皆が理解しているから誰も止めない。止めているのは各々がふきだしそうな笑いくらいだ。鬼ヶ島は口元をひきつらせながらもホームベースの上で竹刀を振り回して暴れ始めた。
 一番はじめに笑いを噴き出したのは、シンだ。それに続き生徒たちが腹を抱えて転げまわる。
「シンくん……」
「もー無理! 小雪さん最高っ! これまるっきりいつもの鬼パンじゃん!」
「桃山ぁ! この野郎! 白姫さんだっけか、あんたもさっさと次進めて!」
「す、すみません」
 シンは朝礼台の後ろに隠れて(全く隠れきっていないが)声をあげて笑っている。この後、通報されて駆けつける保安課職員の役をやってもらうのだが、まともに駆けつけられるのだろうか。小雪は未だ騒然となる体育座りの群れに進み出て、先刻の丸坊主くんに社用携帯を手渡した。
「え! 俺っすか!」
小雪が頷くと、彼も半笑いのまま先刻習った番号をプッシュする。それはシンのモバイルにではなく、実際のスプラウトセイバーズ藤和支社、オペレーション課に繋がる番号だ。その方が臨場感があるし、実感も湧く。
『はい、スプラウトセイバーズ藤和支社』
電話の向こうの整った声に、男子生徒がうろたえる。小雪が先刻教えた通りに通報するよう指示すると、しどろもどろに架空の状況説明をした。無論、オペ課は今回の講習内容を把握済みだ。
『承知しました。至急職員をそちらに派遣します。スプラウトを刺激しないように、できるだけ安全なところで待機してください』
 オペ課の対応が終わったところで小雪にモバイルが返却される。電話は切らず、スピーカーモードでこの後の対応も聞いてもらうことにしてある。シンと小雪にとっては聞きなれた、しかしいつでも背筋が伸びる出動要請ベルがモバイルから鳴り響いた。五秒間の空白、静まり返ったのは電話の向こうもこちらも同じだ。
『外部より入電。竹刀を持って暴れるスプラウト、ブレイクの可能性あり。現場は管轄内藤和高校。保安課職員は現場に急行してください』
同じ文言が二度、繰り返される。ほとんど同時にシンのモバイルが鳴った。
「はい、桃山」
これもスピーカーモードにしてある。
『シン、今どこだ。藤和高校にB、竹刀所持』
打ち合わせでは荒木がこの役をやるはずだったが、「本当」のセイブでも入ったのか金熊の声だった。金熊の言う「B」は、ブレイクスプラウトを指す。セイバーズでは日常的に使われる隠語だ。

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