「行けます。所要時間10秒」
シンはそこで電話を切る。緊迫のロールプレイングに生徒たちからまばらに拍手さえ上がった。
「と、まあ通報から出動までは大抵このようにスムーズです。一番現場に近い職員に連絡をとってセイブに向かいます。僕と小雪さんはバディなので、連絡は基本的に僕に入り二人で行動します」
本来連絡は京に入るが、そんな細かいところまで説明する必要はない。シンと小雪は暴れ終わって疲れている鬼パンににじりよる。
「先生ー、疲れてる場合じゃないでしょ。もう一回暴れてくれないと」
「はあ?」
「まあいいや。このように既に無抵抗の場合もありますが、ブレイクの程度によっては行動にムラがありますので対応は慎重に行います。通報によれば、『竹刀を持って暴れていた』とのことなのでまず、武器を封じます」
シンが思い切りよく竹刀を踏みつけると、鬼パンは反動で前傾する。
「桃山ぁ!」
「その上でなお、抵抗の意志があるようだったらこちらも実力行使に切り替えます」
シンが涼しい顔で鬼パンの間接を絞める。文字通り踏んだり蹴ったりの鬼パンは抵抗どころか美しく腕ひじきを決められ悶絶するしかない。怪我をされても困るので、気がすんだところで解放した。生徒たちからは拍手喝采である。
「もーもーやーまぁぁぁ~」
「先生、迫真の演技でしたね。完璧なまでにブレイクスプラウトでしたよ!」
「演技なわけあるか! ちょっとお前、後で教官室に──」
タイミングよく、終鈴が鳴った。鬼パンは時間にうるさい。予鈴で血相を変えて生徒を追い立てるくらいだ、授業の終わりもきちんと守る。それを知っている生徒は、終鈴と共に有無を言わさず号令をかけた。怒りも説教も尻切れトンボだ。
「あーっくそ! おいっ、次もここで実技講習だからな! 教室戻るなよ!」
手洗いや売店に向かって散開する生徒たちの背中に怒鳴る。律儀な何人かの生徒がそれに対して間の長い返事をしていた。
「せ、先生。腕、大丈夫ですか?」
竹刀を拾おうとしてもだえる鬼パンに、小雪が後ろから声をかけた。
「大丈夫に決まってんじゃーん、僕ほとんど力いれてないもん。それに小雪さんからハイキックもらうよりよっぽどマシだったと思うよー」
シンはいつにも増して満面の黒い笑みだ。講習開始前はあれだけ口をとがらせていたにも関わらず、いざ鬼パンを相手取らせてみれば、水を得た魚のようである。普段は京の奔放さに隠れてしまうが、シンはシンで単品で表に出すと途端に問題児になる男だ。
小雪は、嬉々として鬼パンをいじるシンを横目に小さく嘆息した。それから、生徒のいない今がチャンスと再び鬼パンに歩み寄る。
「……鬼ヶ島先生、この学年にスプラウトは2名在籍とのことでしたが」
「んー、ああ、そうだな。教えておいた方がいいか?」
「いえ。彼らが表だって悩みを抱えていないのなら、必要ないと思います」
「まー、二年はな、特に問題ないだろうな。……ちっと前に、一年が問題山積みってかんじだったが、それもまあ、な」
鬼パンは不服そうに顎を突き出しながらお茶を濁す。一年生と言えば──小雪がセイバーズに入社して初めてセイブしたスプラウトが、当にこの学校の一年生だった。鬼ヶ島は訳知り顔で何度か頷くと、それ以上その話はしたくないとばかりに背を向ける。頃合いを見計らったかのように予鈴が鳴った。
「遅ーーーーーい!!」
スパーンッ! ──生徒昇降口の前に立ち、全身全霊でアスファルトの地面を竹刀で打つ。どこの強制収容所だ。生徒たちはぺこぺこ頭を下げながら再びグラウンドの隅に駆けてくる。小雪がその光景を憐みの目で見ていると、シンに肩をたたかれた。
「小雪さん、あれ。僕、あっち行っていいかなー……」
シンの視線は、ファーストベース側に張り巡らされた高い金網に向けられている。あの向こうは確かプールだ。耳を澄ますと生徒たちの楽しそうな声が聞こえてきた。
「え、こんな季節に水泳の授業ってあるの?」
「着衣水泳だ。二年がスプラウト講習、一年が避難訓練、三年があれだな」
小雪の疑問にはシンではなく、鬼パンが答えてくれた。春の代名詞である桜でさえ、蕾が開くとか開かないとかの時期、小雪の疑問は当然といえば当然である。聞こえてくる「楽しそう」な声は、よくよく耳を澄ますと寒さに凍える悲鳴だったりした。
「……僕、あっちの指導の方がいいなー」
生真面目に体育座りをし始める生徒たちを前に、不埒極まりないセリフをつぶやくシン。無論声量は最小限にしぼってあるものの、小雪と鬼パンにはしっかり聞き取れた。二年生も、やはり興味津々に金網の向こうを覗き込もうと首を伸ばしていた。
「おい、集中! さっさと号令かけろ!」
鬼パンの一喝で慌てて一人立ち上がる。免疫がありすぎて全く動じないシンに対しては、小雪が肘を思い切りつねり上げることで集中させた。
「はい、それじゃあ気持ち切り替えて! この時間は、女子でもできる護身術を少し教えたいと思います」
ばっちゃーん──生徒の返事の代わりに、プールの方から水しぶきがあがる音がした。二年生とシンの視線は八割がたプールサイドへ注がれている。
「これはブレイクスプラウトだけでなく、変質者や通り魔などあらゆる暴力に対して有効です、ので、しっかり……」
やぁだぁもう! ──
シバター、泳げてねぇぞー! ──
(誰よ、シバタ! しっかり泳げっつーの!)
鬼ヶ島の威圧と小雪の説明タイムが重なり、静まり返ったグラウンド。そこに空気を読まないプールサイドの楽しげな雰囲気がなだれ込んでくる。
「とにかくしっかり身につけましょうっ。私が桃山さんを相手に一度実践してみます」
シバっちいっぱいいっぱいじゃーんっ ──
シバター、もうちょいがんばれー ──
もうだめだ。場は完全に「シバタ」の泳ぎっぷりに支配されている。ここからでは声しか聞こえないから余計に気になってしまうのだろう。小雪にしてみれば、シバタが泳げてなかろうがいっぱいいっぱいであろうが関係がない。強いて言うなら、もっと頑張ってくれシバタ。
一呼吸入れようとまた大きくため息をついてしまった。横目で鬼パンを見る。サッカーボールに不安定に腰かけて、竹刀を武士さながらに地面に立てている。そして、震えていた。正しくは、わなないていたとでもいうのか。
「わー! しばたぁぁぁ!!」
「うるっせぇぇぇええええ!!」
鬼ヶ島剛、ついに噴火。顔面の神経の、寄せられるものはすべて寄せ集めて唸る。漫画ならおそらく彼の周りにオーラ的なものが放出されているはずだ。二年生もシンも、そして小雪もこれにはさすがに一歩後ずさった。
「誰だ講習担当! 降りて来ぉい! ぶちのめぇぇす!」
「鬼ヶ島先生~! 上がってきてくださぁぁい!」
「ああ!?」
鬼ヶ島が、教師と鬼神とチンピラの精神を行ったり来たりしていると、プールの金網に今にも泣きそうな顔をした女性教諭が張り付く。年のころは小雪と同い年か少し下くらい、さくら色の半袖Tシャツに黒いジャージパンツを履いた、幼さの残る顔立ちだ。などとシンが冷静に分析していると、その女性教諭の隣に次々と生徒たちが張り付いてくる。たちまちに、どこかの動物園のようになった。
「鬼パ~ン! ピンチピンチ! 柴田がおぼれた!」
「超暴れてんの! あれ近づけないって!」
「どうしましょう! 鬼ヶ島先生~!」