SAVE: 07 社員旅行はの味


「よーしいいかー。全員一本ずつ引けよー」
金熊がスタート合図代わりの決まり文句を口にした途端、大人しく御前の前に胡坐をかいていた社員たちは揃いも揃って一目散に割り箸を奪いにかかった。もみくちゃになる金熊、宙を舞ういくつかの割り箸、そして出遅れてただただ呆気にとられる小雪。ころころと転がってきた番号つきの割り箸を、隣にいたみちるがいそいそと拾ってくれた。
「ごめんね、小雪ちゃん。王様じゃないみたい」
「いえ、ありがとうございます。ゲットしていただいて・・・・・・」
金熊がもといた場所ではまだ乱闘が続いている。醜い。醜すぎる。
「おい! いい加減諦めろ、手持ちの割り箸でいくぞ! 王様だ~れだっ」
 仮にも保安課長が、髪を振り乱して「王様だ~れだ」はないだろう、などと胸中でけなしているのは小雪くらいのものだ。皆自分の割り箸を天に掲げ、祈り、懇願してその番号を確認した。
「お、何だ俺か」
荒木のあっけらかんとした申告とは対照的に、方々でこれでもかというほど落胆の声があがる。そのどよめきを遮るように、荒木はさっさと命令を口にした。
「5番、7番。3日間空気椅子勤務。食事時間含む」
「はい!?」
「ちょ、ちょっと荒木主任。それ主任にメリットひとつもないでしょうよ・・・・・・!」
「あー? あるわけないだろ、恒例だ恒例。一発目は空気椅子だろうが」
どうやら5番、7番を引いたらしいシステム課が早速異議申し立てをはじめるも、荒木は取り合わずさっさと割り箸を一本引いて離脱した。響くおたけび、愕然とする該当者たち、あからさまに胸を撫で下ろす無関係の人々、小雪にとっては全てが理解不能である。
「・・・・・・課長、さっさと第二回の王位継承を行いましょう。王政国家は二代目からが本物ですよ」
至極真剣な眼差しで金熊を見つめる京。彼は本気だった。金熊の手に舞い戻る割り箸たちに、念力を送る。王位よ、我が手に!
「よーし、二回目引くぞー」
再び力の抜ける掛け声がかかると、その気だるさとは裏腹に、皆一斉に割り箸めがけてダイブした。今回も女性陣はあぶれ出てきた割り箸を拾いにいくのが精一杯だ。
「誰だ! 王様ぁ!」
「名乗り出ろ、くそったれ!」
引いた割り箸に番号が書かれているのを確認するや否や、皆やけくそに王を探す。この雰囲気だと、名乗り出た途端リンチに合いそうだ。しかし、そんな心配をよそに次代の王は飄々と手を挙げた。その瞬間にシステム課の女性社員から黄色い悲鳴があがった。
「おいシン、さっさと済ませろ。できるだけ当たり障りの無い適当な命令でな」
「愚民は黙っててよ」
仮にも後輩のシンから愚民呼ばわりされても何も言い返せない京、空しい番号が書かれた割り箸を握り締めて言葉を飲み込んだ。
「えー、じゃあ。5番が王様のー」
 この時点でまた、黄色いのか黒いのかもはや分からない悲鳴があがった。
「腰をもむー」
 やはり、女性社員からの悲鳴は既に黄色いそれではなくなっていた。どちらかというと苦悩と嫉妬の入り交ざった絶叫である。その上更に男性社員共からは、やれ外道だのセクハラキングだの罵倒が飛ぶが、シン本人は場をかき乱したことになんら責任を感じていないようだ。
「ちょっと誰よ5番!」
「さっさと名乗り出てよー」
 名乗った途端、刺される気がする──小雪はおそるおそる自分の割り箸に目を落とした。8番だ。かろうじて死を免れる。隣にいたみちるも、あからさまに安堵の溜息をついていた。二人で顔を見合わせて苦笑いする。保安課の二人は普段気にも留めないが、他部署他支社を含め世間一般のシンの人気はちょっとやそっとのアイドルでは太刀打ちできないものがある。
 さて、血の5番を引き当てた人物がおそるおそる挙手をした。
「えーと、いろいろ申し訳ないんだけど、できればお手柔らかに・・・・・・」
城戸が苦笑しながら5番の割り箸を掲げた。刹那、宴会場は静まり返り空気そのものが凍りついた。誰かが固唾を呑む音が響き、それが一人ではないことも知れた。
「カメラ……」
神の啓示でも受けたかのように、空ろな瞳でそうつぶやくシステム課の女性社員。そのお告げは瞬く間に広がり、皆我先にとデジカメやスマートフォンを担ぎ出してきた。藤和支社を代表するイケメン二人のマッサージタイムという設定は、彼女たちにちょっと別の喜びを見出させたらしい。
 からからと笑い続けるシン、の腰を溜息交じりに揉みほぐす城戸。常に笑顔を絶やさないことで知られる城戸が、渾身の溜息をついたとあってはシャッターを切らずにはいられない。女性社員は皆、シンと城戸を取り囲んで一心不乱に撮影し続けた。
「シン、お前よく笑ってられるなぁ・・・・・・」
 ピロピロリーン! 
「だって僕デメリットないもーん。いいじゃないですか、みんな嬉しそうなわけだし」
 カシャ! シャララーン!
「嬉しそうってあのな、・・・・・・おい、なんで浦島まで撮ってんだ。気持ち悪いな」
 カッシャン! ──京が構えたケイタイの画面の中で、城戸が片眉をあげた。様々に響く間の抜けたシャッター音は一向に止む気配がない。
「次の社内報で袋とじにして載せたら話題になるかなあと思って」
「冗談じゃないとしたら、俺は金輪際お前の肩は持たないからな・・・・・・」
うんざり顔の城戸は、自らの判断でマッサージを切り上げて立ち上がった。これで荒木とシン、保安課の二人が立て続けに抜けたことになる。金熊が再び割り箸を回収し始めると、モバイルを嬉しそうに眺めていた女性社員たちもすぐさま戦闘体勢に切り替わった。
 その後も王様ゲームは盛り下がることを知らず、次々と王が生まれては民に無理難題を課していった。溜まった始末書の肩代わりから一日役職交代まで、それらは酔いが冷めて日常に戻ったときにごく普通に支障をきたすレベルだ。
「2番! 7番に逆十字固め!」
そうかと思えば単に笑えるレベルのものも、なくはない。笑いながら2番の割り箸を掲げるシステム課社員とは対照的に、7番の割り箸を掲げた者は口を真一文字に結んでいた。7番、金熊太郎。スプラウトセイバーズカンパニー藤和支社保安課長、54歳。
 2番の青年の笑顔が瞬時に凍りついた。
「ルールだからな」
金熊が潔く立ち上がる。2番の青年は、もうほとんど垂らしていただけだったネクタイを外しながら、深々と一礼した。どちらも腹を決めているようだ。
「すんません、金熊課長・・・・・・」
「ルールだからな」
無表情の金熊に、青年は今一度軽く頭を下げた。そして、後はもう一切躊躇うことなく、無抵抗の金熊に突進していった。両者共に、アーメンである。
「いででででで! 馬鹿野郎! 加減しろっ、ギブ! ギブだ!」
「課長! 盛り上がりにかけるんであと十秒我慢してください! ルールです、ルール!」
「馬鹿言うな! いででで、いで! おいっ! おおい!」
 ぴろぴろりーん! カシャッ!──金熊の絶叫の後ろで、また間抜けなシャッター音が響く。京とシンが揃ってモバイルを金熊に向けていた。こういうときだけは、とてつもなく息が合うのがこのコンビだ。
「シン、これ社内報の巻頭特集に送ろう」
「っていうか表紙でしょ、表紙。もしくは特別付録。ポスターかタペストリー」
 中堅社員に逆十字固めをくらう壮年課長の図など、笑いを通り越して侘しいだけだ。金熊は開放された後もしばらく肩で息をしながら、畳の上を転げていた。見かねた小雪が駆け寄るが、京とシンはその一部始終さえも連写してデータに収めていた。

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