SAVE: 07 社員旅行はの味


「・・・・・・なんで」
やっとのことで搾り出した言葉がそれだった。シンはこれ以上見ているのがつらくなったのか、ふいと視線を明後日の方向に逸らす。
「なんでって。嫌なの、京と二人は」
単純明快である。この暗闇の林道を覗き魔と二人きりで歩くことほど危険なことはない。一部始終を見ていた豆塚は腹を抱えて笑い出し、残りのシステム課連中も悪いとは思いつつ俯いて肩を震わせていた。
 京はショックを通り過ぎて思考が停止したようだ。口を半開きにしたまま暫くその場に立ち尽くしていた。シンに出来るのは、とりあえず慰めることでも発破をかけることでもない。大笑いしながら先に歩を進める豆塚たちと小雪を見送って、シンは凍りついた京の傍にしゃがみこんで黙って京の復旧を待つことにした。


「白姫さんはさぁ、保安課みたいな野蛮な部署より、うちとか、オペ課が向いてると思うんだよねぇ」
 歩き始めてものの数秒で、豆塚が突拍子もないことを言い出した。この男は終始酔っているのかそうでないのか分からない。終始というのは、当然就業後バスに乗り込んでから今の今までという意味だ。
「あーまあね。それは俺も思うね。保安課に綺麗どころが揃う意味が分からないというか」
「青山さんを引っ張った時点で、なんか作為を感じるよなぁ。あ、知ってる? 青山さん、昔はオペ課にいたんだよ」
「一応……知ってはいますけど」
話を振られたようなので、先導する小雪も肩越しに振り返って応答した。とにもかくにもシステム課の連中に緊張感は欠片もない。夜の散歩に出てきたノリである。
「それがまさか保安課の、地味~な経理業務に異動になるなんてなぁ……」
「それってあれだろ? 城戸と浦島が裏で一枚かんでるって噂の」
 よく、喋る──別に聞きたくもない噂話に、小雪は反応せず、周囲に目を配りながらただ歩いた。
「だいたいあそこは、一癖も二癖ある奴ばっかりだろ。中でも浦島が一番何考えてるか分からなくて怖いけどね、俺は」
「あいつ、年がら年中ブレイクしてるようなもんだろ」
 小雪は振り向かない。だから誰がどういう風にその話をしているのかまでは掴めなかった。振り向こうかどうかを数秒、躊躇った。“ブレイク”という言葉が、まさかこんなところでこんな風に使われるなんて思ってもみなかった。胸が騒ぐのは、自分がスプラウトだからか、スプラウトセイバーズだからか、それとも話題に上ったのが浦島京介だからか、判断しかねる。それでも確かに胸がざわついた。
「お前らさ。言っていい冗談と悪い冗談があるだろ。プライドってもんがねーのかよ、仮にもセイバーズだろーが」
 小雪は、今度こそ立ち止まって振り返った。豆塚だ。他の連中はまだ酔いが残っているせいもあるのだろうが、苦笑で誤魔化している。
「豆塚さん……」
「……今、白姫さんの中で俺のポイントが確実に上がったのが分かっちゃったわ……」
「あの──」
「そうだっ、忘れてないよね!? 王様ゲームの命令はまだ有効だからね!?」
「──何か聞こえませんか?」
 小雪はここにきて一つ悟りを開いた。豆塚登の対処法、その一。ひたすらスルー。ちなみに、何か聞こえたのは本当だ。全員で耳をそばだてた。
「子どもの、泣き声とか」
聞こえたままを小雪が口にすると、何人かが目に見えて青ざめた。深遠の闇、暗い森の中、微かに響く子どもの泣き声。状況だけを並べるとかなりハイレベルのホラーだ。が、当初の目的をきちんと把握していれば、喜ぶべき状況である。
「やっぱり湖の方!」
小雪は確信を持ってスタートダッシュを切った。少女らしき泣き声は次第に大きくなる。そこにもう一つ別の「鳴き声」が輪唱してきた。
「わああああああん! 怖いよぉぉ、ママぁ、暗いよぉぉぉ!」
 遊歩道の終わり、急に道が開けて、どうやら湖畔のボート乗り場にたどり着いたらしいことが分かる。夜は管理者がいないため電灯ひとつない。黒く広がった湖面は、少女でなくても十二分に恐ろしかった。
「居た! 子ども!」
「そして犬!」
小雪の絶叫にかぶせて、豆塚が見たままを補足した。漆黒の湖の中央に、おそらくボートであろう頼りない物体がゆらゆらと揺れている。その上に喚く少女、と何故か犬がいる。少女の喚き声に合わせてすがるような鳴き声をあげていた。
「雑種だな!」
「ああ、しかも混ざりに混ざって何ベースか判別できないな……あの座り方から見ると、オスか」
「尾の下がり具合からみても、水を怖がるタイプの犬みたいだな。湖面に放り投げれば本能で泳ぐかもしれんが……」
システム課の面々は各々前に進み出て、早速ターゲットについて分析を始めた。彼らの興味の対象は主にお犬様である。その横で犬を抱きしめたまま泣き喚く少女は、一瞬で対象外にされたようだ。
「──じゃなくて! 犬の詳細なんか今はどうでもいいでしょっ。助けないとっ」
「助けるって言ってもねぇ。ボートはあれ一艇だけみたいだし……」
なおかつそのボートにはオールが見当たらない。だからこそああやって長い時間湖面の中央にぷかぷか浮かんでいるのだろうが。
「何はともあれ、まず犬を投げるのが先決じゃないか?」
「何はともあれ助けるのが先です! もうっ! いいです、私行きますから!」
なるほどここにきてようやく、京の言っていた言葉の意味を解した。システム課だけでは心許ない──つまり、こいつらは全く以て現場では役立たずということだ。
 言うが早いか小雪は浴衣のまま湖へ飛び込んだ。
「うわぁ! 白姫さんっ」
どれくらい深いのかとか、水はそこそこ綺麗なのかとか、不安要素は全て後回しにした。一歩間違えれば入水自殺希望者のようだが、飛沫を上げてクロールする入水自殺者もおるまい。システム課男子一同は、小雪の豪快な泳ぎっぷりに皆感嘆をあげ拍手さえした。
 しかし、ボート上の少女にしてみれば、なりふり構わず救助に向かう小雪は猛突進してくる得体の知れないモンスターにしか見えない。少女と犬は、再び互いに抱きしめあって更なる大絶叫を上げた。
(なんか……ここのところ子どもに泣かれてばっかりのような気がする……)
ひたすら水を掻きながら、フェアリーランドで保護した藤木亜里沙のことを思い出していた。子どもが本気中の本気で泣き始めたら、凄まじいまでの騒音となる。あのとき身をもって実感したはずだったが、今回はそれに犬の「スゥー・・・・・・ン」という効果音までプラスされているから厄介だ。
「白姫さーん、ふぁいとー」
「おーえす。おーえす」
「すぅーー……ん」
「うわあああああ! ママぁぁ! パパぁぁ! 怖い、怖いよぉぉ!」
「白姫さーん、負けるなー」
「おーえす。おーえす」
少女、犬、システム課。少女、犬、システム課。繰り返される円舞曲、どの楽器も耳触りだ。

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