SAVE: 08 保安ダイナマイト・パニック


 それは、クレーム電話のよくあるパターンだった。本当に文句があれば生活相談課にでもかけ直すだろうし、いたずらか気まぐれならおそらくもうかかってこない。
 京は怪訝そうに首を傾げて再びナメクジのように机上にへばりついた。
「おつかれー! 金熊課長いますー?」
「出た……一番うるさいのが……」
 入り口で張り上げられた声に、京が心底うんざりしたうめき声をあげた。振り向かなくても分かる。この女はどうしてこう毎日毎日保安課に顔を出しにくるのだ。
「おたくの所属員にいつまでたっても報告書をあげないバカがいるからよ」
口に出してもいないのに質問の回答が迅速に返って来た。そのまま京の隣のデスクにどっかりと腰をおろし、我が物顔で足を組む。乙女は京の様子を物珍しそうにしげしげと眺めて、あろうことか鼻で笑い飛ばした。
「課長は外出中です、おひきとりください」
「あらそう、ちょうど良かった。じゃちょっくら長居させていただくとして」
「はあ? 何なんだよ、用がないなら──」
露骨に眉根を潜めた京の額、貼ってあった冷却シートを乙女が勢いよくひっぺ返す。突然の痛みに京は悶絶、静かになったところで乙女が長形3号の厚手の封筒を差し出した。
「……何だよ」
「このいかついのがラブレターにでも見える? 例の条件に、該当する人物。写りは良くないけどね」
目の前に剥かれたバナナを差し出された猿のように、京は封筒に手を伸ばした。そして案の定空振りに終わる。乙女の不敵な笑みと共に、封筒は彼女の頭上まで高々と掲げられた。
「欲しけりゃさっさと溜まってる報告書をあげることねー。あ、みちるちゃん良ければアイスコーヒーちょうだい。ストローつけてね~」
本格的に居座るつもりの乙女につぶせるだけの苦虫をつぶし、京は仕方なくパソコンを立ち上げた。今日は厄日であり、この女は鬼だ。もはやそう割り切るしかない。正常運転とは言い難い思考回路に鞭打って、ぽちぽちとキーボードをたたき始めた。虚ろな視界には煌々と光を放つディスプレイと、アイスコーヒー(ストロー付き)を乙女に手渡す笑顔のみちる、そしてその奥、入口付近に見慣れない影が立っているのが映る。京の訝しげな視線に気づいて、みちるも振り返ってトレイを持ったまま入り口に駆け寄った。
「こんにちは。ここは保安課だけど、受付には伝えてあるかな?」
 みちるが声をかけたことで、注目が一気にドア付近に集まった。中学生、それとも高校生だろうか、いずれにせよ「大人」の部類には入らない少年が手持無沙汰に立っていた。みちるの問には答えず、保安課内を探索するように眺めまわしている。
「浦島ってどれ」
ようやく定まった視線の先、みちるに向けて発したのはそれだけだ。
「えっと……」
みちるが答えあぐねていると、京が自ら挙手してのんびり立ち上がった。
「はいはい、浦島さんは俺だけど」
明らかに年下の輩から呼び捨てにされたのが気にくわなかったらしい、わざわざ訂正しながらひとつガツンと言ってやるつもりで近づいたが、すぐに勢いをなくす。少年は京よりも10センチあまり背丈が高かった。バスケットだかバレーだとかの部活に入っているのかもしれない。決して友好的ではない目を上から向けられるのは結構な威圧感だ。そんな気後れが相手に伝わったか、次の瞬間に京は「ガツン」とやられていた。
 少年は勢いよく課内に踏み込んで、ふらふらと突っ立っているだけだった無防備の京の両手をねじりあげた。
「はあ? なんっ、い、だだだだだだだだだ!」
何とも情けない悲鳴と共に崩れ落ちる京、を支えながら少年は顔色ひとつ変えずにサバイバルナイフを取り出した。当然それは京の喉元に突き付けられる。ここまでの行動はとてつもなく迅速で、無駄がなかった。だから京が涙目で息をのむまで皆ただ呆気にとられていた。
「トップをここへ連れて来い。今すぐ」
 その幼さの残る声と抑揚、そして何より内容に、京だけが覚えがあった。先刻のいたずら電話──なるほどと小槌をたたいている余裕はない。周囲の連中は未だ状況が飲み込めず、ある者はかまぼこを摘まんだまま、ある者はペットボトルの蓋に手をかけたままただ凝り固まっている。
「全員ふっとびたくなかったらさっさとしろ! このフロアくらい木端微塵になるぞ!」
少年は鬼気迫る表情でジャケットの内側をめくってみせた。発煙筒に良く似た筒状のものがいくつも並んで貼り付けられている。彼が忍者でこれが秘伝の巻物か何かだったらそれはそれで物珍しいし、彼がお菓子業者の若手営業員でこれが「う○い棒」の試作品か何かだったらあまりのインパクトに箱ごと買ってあげてもいい。しかしおそらくそうではない。ここにいる連中で実物を見た者はいなかったが、「それ」が「そう」であることに異論がある者はいなかった。
「ダイナマイト……?」
それがリレーのバトンか何かでない限りは。
「ぎゃーーー!!」
「伏せろっ! いや、ちがう少年! 早まるなーー!!」
「降参! 投降します、全員投降しますぅぅぅ!」
 うららかな昼下がり、愛妻弁当を広げるランチタイム、それを冷やかす何でもない午後、それらはダイナマイトな少年(表現に誤解が含まれています)の出現によってすべて一瞬にして掻き消えた。皆腰を低くして少年、および京と距離をとる。
「全員ケータイ出せ」
ドラマだか小説だかで見たことのある光景が、当に繰り広げられようとしていた。少年の次の要求は実にセオリー通りだ。皆それぞれに顔を見合わせる。
「もう一回だけ言う。……ケータイをこっちに出せ」
「言うとおりにしてぇ~……」
 台本を読んでいるかのように抑揚のない少年の台詞に比べて、京の半べその声は実にリアルだ。荒木が折りたたみ式のケータイを床に置いて、カーリングの要領で入り口へ滑らせた。それに倣って他の者も次々とケータイを取り出す。この儀式で特に慌てる必要はない。皆が皆、放棄したのは社用ケイタイだけだ。いざとなればいか様にでも外部と連絡はとれる。
「き、君さ~、さっき電話かけてきたよね? 俺のことはそのときに知ったのかな~?」
ナイフの刃先をちらちら見ながら、京が対話を試みる。が撃沈。少年は京には見向きもせず、ここへ来たときと同じように課内を一瞥した。
「この中で一番偉いのはどれだ」
この質問に対しての保安課の反応は速かった。そして一貫していた。全員目をむいて荒木を指さす。保安課主任、荒木仁。課長不在の今このときにおいて、献上されるべきは彼しかいない。
「待った! 辰宮がいるだろ、同クラスだぞっ。権限云々で言えばあっちの方があるくらいだ!」
「往生際が悪いですよ荒木さん! 私は法務課! 明らかに部外者です!」
「なぁにが部外者だっ。ストローつけてアイスコーヒー飲んでる奴がよくもいけしゃあしゃあと!」
「それとこれとは別問題でしょう!」
 荒木は必死だった。課長不在の今、確かに保安課を守らねばならないのは彼だ。それだから細胞のひとつひとつが、彼に正しい選択を教えていた。売り飛ばすなら辰宮だ、と。
 しかし計画は失敗に終わる。少年はしっかりと荒木に視線を合わせた。
「……おい、お前。社長に連絡しろ」
(結局俺かよ……!)
デスクに備えている固定電話を顎で示される。視界の端で、乙女が辺りもはばからずガッツポーズをしているのが何とも腹立たしいが、今は逆らわず、逆なでせず言うことを聞いた方がいいだろう。言われるままに一応受話器をあげた。

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