SAVE: 08 保安ダイナマイト・パニック


「あ~、そうだ。そうだったな。社長は今海外出張で、どのみち今すぐここには来られないと思うな。うん、困ったな」
愛想笑いを浮かべてゆっくり受話器を置く。少年の視線が、まっすぐに荒木を射抜く。
「じ、次長にかけてみるか~? 城戸、次長の直通って何番だっけなあ」
「え! あー……そうですねー。普段かけませんからねー。オペ課に問い合わせますか」
「そうだな! まずオペ課に聞いてみるべきだな!」
 京は、拘束されたままで非常にレアな光景をその瞼の裏に焼きつけていた。保安課配属以来のプレミアムな光景だ。荒木の爽やかな愛想笑い、焦る城戸(明らかに話を振られたことを迷惑がっている)、荒木を献上したことでいくらか安堵をおぼえている最悪極まりない同僚たち、この世はなんと醜いもので溢れかえっているのだろう──。
「ひとつ言っておく」
京がエゴで溢れかえった保安課職員(+α)を嘆いていた最中、荒木の懸命な時間稼ぎにも動じることなく少年は笑いもせず、怒りもしなかった。
「お前らに与えられた選択肢は三つだ。今すぐトップを連れてくるか、こいつを見殺しにするか、全員ふっとぶか」
 静寂が場を支配する。普段は気にも留めない壁掛け時計の秒針の音が、やけに耳についた。誰ともなしにしきりに生唾を飲む。しかしこの静寂も、そう長くは続かなかった。廊下の奥からエレベーターの到着を告げる甲高い音が聞こえた。誰か、来る。軽快な足音。
 皆が皆、入口を凝視した。
「浦島ぁ、お前今日はもう帰っていいぞ。昼からは俺が残れそうだか──」
 高級緑茶「しのぶ」の缶を二つ抱えて、金熊がいつも通り保安課に足を踏み入れる。踏み入れた瞬間、その場の異質な空気に気づく。部下という部下が、眼球を血走らせてこちらを凝視してくるのだから当然といえば当然だ。
「か、かちょぅ……」
すぐ隣で、がちょうが締めあげられているような声がする。視線だけをそちらへ向けると、京と見知らぬ少年がやけにがっちり抱き合っているのが見えた。無論、ナイフとダイナマイトも否応なく視界に入る。
「何なんだ、この愉快な状況は……」
思わず口をついて出た。昨今の若者の思考や言動が、ことごとく金熊の価値観から外れたものであることは今さら百も承知である。しかしなんだ。「今ドキ」は、ダイナマイトさえファッション感覚で身につけられる時代なのか。
 金熊が悠長に、ジェネレーションギャップを噛みしめているのをいいことに、荒木はある決断をくだしていた。京よりも自分よりも、今この状況にふさわしい供物は彼だ。
「社長! 出張からお戻りになったんですねー! いやー、おつかれさまでしたっ」
 いつも二言目には「面倒くせぇ」を口にする荒木が、皆の聞いたこともないようなハイトーンボイスで叫ぶ。その効果か、皆目と耳を疑いながら一気に荒木に視線を集中させた。
「はあ? 荒木、何言って──」
「しゃっちょぉー! もーう、何突っ立ってんですかっ。状況見て! お分かりになります?
 彼、社長に会いたくてこんな乱暴なことしてるんですよー」
(ナイスだ! 辰宮!)
 外道レベルではいい勝負の主任コンビが、ここにきて息を合わせた。他の者も二人の策に乗っかることを了承する。即ち、「金熊課長=インスタント社長大作戦!」である。
「ちょっと待て、状況がさっぱり理解できんっ。何だ、彼の要求は社長への目通りかなんかか?」
「だ・か・ら! とにかく社長からお話を伺っていただけますか!」
「社長ー。とりあえず助けてくださいよ、命張って」
小雪が率先して金熊の背中を押した。シンがむやみやたらに社長コールを煽る。いつのまにか手拍子が生まれ、皆、心を無にして「金熊社長」という生贄を差し出した。
「しゃ、ちょ、う! それっ、しゃ、ちょ、う!」
「お前らぁぁ~!」
「で、結局あんたが社長でいいんだよな」
緊張とみそっかすほどの罪悪感で上ずった方々の声を遮って、極上に冷めた声が場の空気をまたしても支配した。無駄にハイテンションだった社長コールが尻すぼみに止む。
 静まり返った室内、金熊は動じずおもむろに頭を掻いた。
「まぁ……そうだったとして、君の要求をまず聞こう。できればその、死にかけてるうちの部下も放してやってくれると、こちらとしては話がしやすいがね」
「がぢょうぉぉう……!」
京の詰まった鼻からは、弾力のありそうな鼻水が出たり引っ込んだりしている。金熊は極力そちらは見ないように、真っ直ぐに少年の目を見た。
「要求はひとつだ。今すぐ、スプラウトセイバーズを解体しろ。テレビ局に電話して、そう宣言しろ。新聞社でもいい」
 石のように固まっていた連中は、皆おそるおそる顔を見合わせた。
「どうした。早くやれよ。『今日を以て、この腐りきった組織を解体します。スプラウトのみなさん、ごめんなさい』って。一番視聴率の高い番組で、土下座しろ」
 少年の言葉に、何人かが胸中で溜息をついた。がたいはでかいが、やはり思考は少年そのものだ。実に短絡的で衝動的で、その割にリスクの高い言動を平気でやってのける。
「早くやれ! できないなら俺が建物ごとぶっ飛ばしてやる!」
「そのダイナマイトでかね? 吹っ飛んでも、この一室程度だろうな」
「……それで十分だ。社長と、ここにいる奴らがみんな死ねば、スプラウトセイバーズは無くなるだろ」
 金熊が本当に代表取締役であれば、確かに一時的に壊滅状態には陥るかもしれない。しかしそれもごく僅かな時間だろう。代わりはいくらでもいる、それは社長ですら同じことだ。そんなことを思いながら、金熊は自嘲して小さく肩をすくめた。
「分かった、電話をかけよう。……条件を飲むんだ、そいつはもう放してやってもらえるか」
 各々の視線が一気に京に集中した。抵抗することを早々に諦め、鼻水だけでなく魂さえも出たり引っ込めたりしている段階だ。熱が上がったのかもしれない。しかし、少年は頷くことはなく京のつむじを一瞥しただけだった。
「私が、代わりに人質になるってのはどうですか」
 京の頭の中を、天使の声が横切った。その声に誘われて閉じかけていた瞼をこじ開ける。夢でも幻でもない、白姫小雪という名の天使が、凛とした眼差しをこちらに向け静かに挙手していた。
「そうやって人質をとってないと不安っていうことなら、誰でも構わないわけよね。私ならそこの死にかけの男とそんなに力の差もないと思いますが」
小雪は少年に問い、それから金熊に視線をずらした。それが許可を求めるためでないことは金熊も聞いているだけの棒立ち社員たちも承知の上だ。
(元気な状態の浦島と、ならかろうじて納得できる内容だけどな)
(いや、力の差に限定すれば嘘とまでは言えませんよ。ものは言いようですねー)
既に緊張感やら集中力といった、この場に必要なはずの諸々の感覚が消えうせている荒木とシン。少年の動向に注意を払いつつも、耳打ちなんかをし始める。
 実を言うと、そんな大雑把な警戒で現場は事足りていた。少年の注意は始終、既に手中にある京と金熊に払われている。シンをはじめとする他の連中が、あくびをしようが手遊びをしようがほとんどお構いなしだった。
(まあ、ここで小雪さんと人質チェンジして、力づくで解決ってのが一番手っ取り早くていいけどね)
そううまくは事は運ばないようだった。少年は小雪の申し出に対してイエスもノーも示さない。シンは小さく溜息をつきながら壁の上方にかけてある簡素な時計に目をやった。昼休みは後わずかだ。
「それとも京……そのくたばり損ないじゃないと駄目な理由があるのかな」
「別に。こいつじゃなくたっていいよ。でも人質交換はしない」
こちらの目論見を察しているのか、少年は要求に応じない。再びごく狭い範囲に少年の注意がしぼられると、小雪はこれみよがしに舌打ちをしてみせた。

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