「城戸さん、発想の転換ですよ。泣き喚いてでも、転げまわってでも手に入れたいお菓子ってことは、ゴリラのマーチとかの比じゃないんですって、たぶん」
「あぁ、まあ。そうか、そういうことなら」
「お・ま・え・らっ。状況わかってんのか。少しは緊張感を保たんかっ」
金熊が諭す。いつもならこの手のふざけきったやりとりは京とシンの担当だが、今回は京がグロッキーのためシンと城戸という斬新なコンビだ。
「外野は黙っててっ。それで、えーっと央太くんだっけ? キミは、由衣子ちゃんを取り戻すためにどういう努力をしたの。それ、言って。できるだけ詳細に且つ具体的に」
「……全部やったに決まってんだろ。知ってるはずの話は全部したし、二人で行った場所にだってもう一度……写真だって、映画だって、思いつくこと全部やったんだよ! それでも駄目だった! 何一つ思い出さない! あんたたちが由衣子を壊したから……!」
「質問を履き違えないで」
小雪の声が、普段の数倍低い。
「私は、由衣子ちゃんを取り戻すためのキミの努力を聞いたの。央太くん、キミが今言ったのは全部、“由衣子ちゃんの記憶を取り戻す”ための単純な試みだよね。……誰だってできることやって、半べそかいてんじゃないわよ、鬱陶しい」
(うわ、言った……)
(言いやがった……)
シンと城戸が目を見合わせた。金熊は介入したくないようで、天を仰いで(と言っても保安課のしみだらけの天井だが)嘆息する。
「屁理屈並べんな……! お前らが、お前らさえ……っ」
「甘ったれるのもいい加減にしなさい! リバイバル手術による記憶障害はいわゆる精神的記憶喪失じゃない。記憶した媒体がもう無いんだから、思い出すなんて発想自体まちがってんの! あんたが好きなのは、あんたの記憶を持ってる由衣子ちゃんなの!?」
──思い出ってのは、君が思ってるよりずっと強いものだと思ってる──
小雪が覚えている限りでは、これは京の言葉だった。よし子(仮)の自殺未遂事件の際に、屋上で口にした言葉。乙女がかつて央太に言ったそれとほとんど同じ内容だ。偶然とは思えない。であるならば、もとは乙女の持論なのだろうか。それとも二人の間の、共通理解なのだろうか。
乙女はいつの間にか腕組みをして楽な姿勢で立っていた。小指を耳の穴に差し込んで一気に引き抜くと、ふっと軽く息をふきかける。
「……という説教が、央太くんにどれだけ理解できたかはさておき。まあ、君の努力が由衣子ちゃんの努力に遠く及ばないことだけは確かね。日記の存在は知ってる? 由衣子ちゃんが、手術前につけていた日記、というか記録帳」
央太は一度だけ小さくかぶりを振った。
「君の名前は報告書には記載されてない。私が君のことを知っていたのは、そのノートに、君の名前がびっしり書かれていたからよ。彼女の、君との思い出の全てがそのノートには記されてあった。……術後の自分のために書いておくんだって話してくれたわ」
「知らない、俺は。そんなの」
「あらそう。見たくないものほど、わざわざ目を凝らさないと見えないようになってんのよ、世の中は」
小雪に続いて乙女までもが、やけに冷たく言い放つ。彼女たちは忘れていた。完全に、視界から彼の存在を抹消していた。見たくないものは目を凝らさないと見えないようになっている──二人にとってそれは今、キング・オブ・役立たずと化した京の存在だった。
「由衣子ちゃんはさ、選んだんだよ。ちゃんと」
瀕死の人間が今わの際に出す、しゃがれきった声だった。京の顔色は、発熱の赤から血の気の失せた青、そして白へと変わり、今はもう古墳から出土された土偶の色と化している。
「君に二度と会えない道よりも、どんな形でももう一度会える道を」
「……うるさい」
「“二度と会えない道”を進むしかなかったスプラウトを、俺は知ってる。どちらか一人がその道を歩めばもう一人もそっちにいくしかない。……そっちを選んで由衣子ちゃんを巻き込んでいるのはお前の方だろ」
「うるっせぇんだよ、でたらめ言うな! 都合いいことばっか並べて、あの時も、今も! もう騙されない! 俺は絶対にセイバーズなんか信じない!」
央太はゴミでも放り投げるかのように、京を前方に突き飛ばした。京の体力はもともとゼロに近かったが、長時間ヘッドロックをかけられていたこともあり、いよいよ底をついたようだ。へなへなと倒れこむ他術が無い。央太が鬼気迫る表情で懐に腕を突っ込むのが見えた。
「シン! 小雪!」
一番手っ取り早い指示を床に向かって叫ぶ。名前を呼べば、おそらくそうしてくれるだろうと踏んだ。床に転がりながらも何とか振り向くと、例の筒状のブツが高らかに宙を舞っていた。視界の中央では戦乙女が、美しきおみ足を150度近く上方へ突き出している。
「京! 生きてる?」
シンが寄って来た。
「いや、違うだろ……」
「は、何が。抜群のコンビネーションでしょ」
シンが荒っぽく京の体を引きずり起こす。こうじゃない。こんなはずじゃなかった。
「逆だろ……普通! 俺を介抱するのは小雪の役目で、“あれ”をやるのがお前の役目だろ!」
京が口元を引きつらせながら指さしたのは、腕拉ぎ逆十字固めを見事に決められて悶絶する央太の姿だ。当然、決めているのは小雪ということになる。
「いや。僕、ああいう荒っぽいのはちょっと」
遠くを見るような虚ろな目で、その光景をぼかそうとするシン。視界は誤魔化せても、央太の断末魔は否応なしに全員の鼓膜を震わせていた。
「おーい、携帯回収! 誰か警察やさんに連絡してー」
「その前にオペ課に事情説明してこい。青山くん、内線つなげて」
「あ、金熊課長。そう言えば私こないだの報告書をもらいに来たんでした。ちょっぱやでもらえます?」
職員それぞれが、断末魔を聞きながらも歪んだデスクや、散乱した書類を片づけ始める。冷静なのか鈍感なのか、はたまた肝が据わっているのか、央太には気にしている余裕はなかった。
京が千鳥足で再び央太の前に向き直る。視線だけで、小雪にそろそろ解放するようにと指示を出した。正直、真っ直ぐに立っているのが困難だ。床が揺れているのか、天井が揺れているのか、安定しない足場に合わせて京もふらふらと体を揺らした。ただし視線にだけは、全精神力を集結させる。央太の目を射抜くよう努めた。
「スプラウトの心は“ここ”にあるとでも思ってんのか?」
アカンベーをする。無論、目的は彼を小馬鹿にするためではない。スプラウトの証、命の代名詞であるアイを確認させるためだ。央太に目立った反応はない。
「無くなったものは一から作ればいい。央太クンが覚えているなら、知っているなら、何も問題ないはずだろ。思い出ってのは……記憶ほどヤワじゃない」
もう一度、その言葉を口にした。正しい意図が伝わるように。央太は少しだけ顔をあげた。そして少しだけ、奥歯を噛んだ。
「……うるせぇ」
「どうするかは、自由だけどな」
京はいつも通りのしまりのない笑みを浮かべると、まだ歪んだままの自分のデスクに腰を落ち着け──
「うわっ! 京!」
「何やってんだっ。担架持って来い、担架!」
──ようとしてそのまま、そこらじゅうのものをなぎ倒しながら大往生した。図らずとも自身の予言通りとなったわけである。うず高く積み上げていた書類の山が、時間差で落ちてきた。
「何やってんだか。目立とうとするからよ」
乙女は興味薄にその場を立ち去ろうとする。本来の目的であった報告書を手に入れたのだ、この面倒極まりない現場に長居する理由はない。