SAVE: 09 ア─Part.2─


もしかしたら今、いつも通りを演出すべきは自分なのかもしれない。辿り着いた結論が自嘲してしまうほど浅はかだった。口をついて出た疑問は、図らずともいつも通り冷めた口調になった。
 京はまた深く、長く、天井に向けて溜息をついた。
「できるな? 俺はもう、たぶん、だめだ」
「ちょっと……待って、なにそれ。さっきアイは撃たれてないって……」
「悪い、小雪。みんなによろしく伝えて……」
力ない笑みをこぼして、京はうなだれた。
 ──沈黙が訪れる。外界から完全に遮断された倉庫の中では、虫の音も風の音も聞こえるはずが無く、それはすぐに沈黙から完全なる静寂に変わった。その静寂が完成して二分が経過、二分というのは京の体内時計で計った時間だから決して正確ではないが、二分にせよ三分にせよこれ以上の無音には耐えられそうにもなかった。
「一応冗談のつもりだったんですけど……」
不謹慎だったとはいえ、あまりにも無反応の小雪に苦言を呈そうと片目をこじあけた。いや、もうちょっと低姿勢に言った方が良かったのではないか。この無言の怒りは平手打ちでは済まないという予告ではないか。
 後悔先に立たず、視界が開けた瞬間小雪の姿が目の前にあった。予想通りまずは一発か、伸ばされた右手が頬に触れる。随分優しい平手打ちだった。その手が、指が京の頬を撫で、左瞼にある銃弾による火傷に辿り着いて静止する。
 小雪は力なくその場に崩れ込んだ。床にぶちまけた“ブルーム”の容器の上に座りこむと一瞬小さく息を吐いた。それがスイッチになったのか、小雪のアイからぽろぽろと透明な滴が流れ、落ち、彼女の手の項で弾けた。
「本当に死んだら、どう、しようかと……」
 後悔先に立たず、京はもう一度その言葉を思った。小雪は目の前でダムが決壊したかのように泣いている。察するに、張り詰めていた糸がこの結構くだらない冗談のせいで切れてしまったのだろう。虚勢だったり責任感だったり、そこには少しの過信もあったかもしれない。
「ごめん……」
 京はほんの数十分前に、自分がここへ駆けつけたときの小雪の表情を思い出してしまった。そこに驚愕とは別に、ある種の感情があったと思うのは自分の思い上がりだろうか。
 深く考えるのはやめておいた。今の朦朧とした意識下で何を考察しても短絡的な結論を導きだしそうな気がする。
 手を伸ばせば届く距離に彼女はいた。実際手を伸ばしたら髪を撫でることができたし、決壊したダムの水をぬぐうこともできた。しようと思えばおそらくキスもできた。一瞬(という名の随分長い時間)迷って、それはやめておいた。撃ち抜かれた腹は冗談抜きで結構痛いし、今下手なことをしでかして平手打ちをくらったら、冗談抜きで本当に死ぬかもしれない。
 小雪の号泣はいよいよ拍車がかかってきたのか、京のシャツとネクタイをタオル代わりにする始末だ。もはや彼の苦悩などはそっちのけである。京は再び天井に向かって小さく嘆息すると、そのまま泣きじゃくる小雪の頭を撫でて気を紛らわせることに専念した。
 そのままの態勢で数分が過ぎた。ついというか、うっかりというか、二人は揃って気を抜いていた。おかげさまで遠くで鳴り始めた轟音に、違和感を覚えるのに随分時間がかかった。
「何の音?」
いち早く小雪が立ち上がる。嗚呼、短い至福の時終了、などと悠長に嘆いている場合ではなさそうだ、確かに何か地鳴りのような音が聞こえる。実際かすかに周囲が揺れていた。
 小雪は慎重に扉に近づいて耳をそばだてると、続いてノブに手をかけた。
「え、ちょ、開かないんですけどっ」
「いや、そんなはず──」
 ドドドドドドドド──痛みをこらえてのっそり身を起こそうとした京、そののっそりした台詞を遮って轟音が間近で響いた。京も小雪も、共に締まりなく口を開けて目を見開いた。大量の水が──それも鉄砲水のような勢いで──天井付近の巨大配管から排出されている。段ボールの山はあっという間に濡れ、みるみるうちに床上1センチに水が溜まった。
「そういうことね……っ、こりゃ地味にやばいかも」
京は腹を押さえつつ立ち上がると、ドアロック付近に照準を合わせて銃を構えた。6発全弾連射して、半分は案外狙ったところに命中してくれた。小雪が察して再度ドアノブを握るが、やはり扉は開かない。
「ねえ! この水量だと十分かからないで満水になっちゃうんじゃない? どこか他に出口とか……京?」
 言っている間に、水は小雪の膝下付近まで迫っていた。いわゆる子ども用プールの水深である。そしてこの「暗闇ドキドキ☆子ども用プール」で、どざえもんになりつつある男が一人。子ども用プールの水深でも、寝転がれば溺死することはできる。
「京~! ちょっと、こんなときにくたばらないでよ! 冗談でしょ!」
水も滴るいい男とは程遠い、哀れなくらいの濡れ鼠だ。そんな京を引きずり起こして理解したのは、今度は本当に「冗談抜き」というやつらしいことだった。腹を撃ち抜かれておいて簡易の止血のみで動きまわった挙句、水泳大会強制参加となればどんな体力自慢もダウンして然りである。
「ほんとに……起きてよ、お願いだからっ。いつもピンチのときだけヒーロー面して駆けつけてくるくせに、肝心なときにこれ!?」
皮肉が言いたいわけではない。責める気持ちはもっと無い。浦島京介はいつもへらへら笑いながら、自分のために危険な行動を平気でやってのける。そんなことは馬鹿でも分かる。分かっているからまた涙が出そうになる。
 京の唇がいよいよ青くなってきた。非常口を示す緑色の電光ボードの下で、それはより一層際立って見えた。京の応答が無いから小雪が黙れば、後は放流水の凄まじい音だけが場を支配する。
 深呼吸をした。
「まず……証拠品」
いくらかクリアになった頭の中で、反芻する。黙っているはずの京の声が頭の中で響いた。

──まず証拠品、それが確保できたらすぐに身の安全。バディ負傷時、それも意識がない場合なんかはとにかく落ち着いて、冷静に行動すること、だな──

「そうだ、落ちついて。冷静に。ナンバーの、確認」
 水が、腰の下まで迫って来た。逆に考えれば、今ならまだ目視でアイナンバーの確認が可能だ。段ボールの塔を背もたれ代わりにして京を支えると、よれよれのネクタイを外し、よれよれのシャツのボタンを外した。撃たれて血まみれになろうが水に濡れようが関係なく常時よれよれのものたちだ、この際若干強引にいっても問題ないだろう。
 京の左胸に4桁の数字は確かに刻まれていた。あらかじめ教えてもらっていたものと同じ「1226」の並び、それをしっかりと確認し、頷く。

──アイナンバーさえ把握しとけば、すぐに治療ができる。だからバディなら、知っとく義務がある。……ちょっと、小雪ちゃん、聞いてる? 別にセクハラで言ってるわけじゃなくてさ……──

「目視で確認できるときは必ずすること。うん、大丈夫」
 呼吸は安定している、それだけで随分救いになった。ひとつ心配なのはこのまま体温が奪われ続ける状況が続くことだ。京と小雪がこの倉庫に逃げ込んでからどのくらい経ったのか、京がここへ駆けつけてからは、そもそも自分が潜入してからどのくらい経ったのか、もう曖昧になっている。
 水位が上がるにつれて身動きもとりづらくなってきた。できることは全てやった。後は簡単、信じて待つだけだ。

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