同時刻、工場敷地内──。
「駄目です! 入り口という入り口が密閉されてます。中で何か、流水音ですかね、それらしき音がしてます」
城戸はスーツの襟裏につけたピンマイクに向かって声を張り上げた。そうでないと上空を馬鹿みたいに旋回しているヘリコプターのプロペラ音にかき消されてしまう。
「二人のスプラウト反応は、中から全く動いてないんですか!」
『動いてないから困ってる! 負傷しているのかもしれないな!』
イヤホンから半ばやけくその荒木のがなり声がする。荒木はI-システム課の二人と一緒に、ヘリコプターに乗り込んでいた。城戸がいかにも迷惑そうに夜空を見上げた。
「だとしたら、まずいですよ! どの扉も水圧でびくともしません! というよりですね、さっさとどこかに着陸してもらえませんか!」
『いや、俺だってそう……うぉ!』
荒木の意味深な奇声が聞こえたかと思うとヘリコプターは勢いよく高度を下げ、城戸がうろちょろしていた指定のポイント、つまり京と小雪のスプラウト反応が表示される倉庫の屋上の方へ降下した。
ヘリコプター内ではよろけによろけた荒木が操縦桿を握る男に対して、露骨に顔をしかめてみせた。
「豆塚ぁ、お前もうちょっと気の利いた操縦を……」
操縦席に収まっているのはI-システム課に所属する京の同期、豆塚登だ。藤和支社でヘリの操縦士免許を取得しているのは、この豆塚とシステム課長のみというのだから消去法で彼を借り出す他なかったのである。
言いわけか的外れな切り返しがくるかと思いきや、豆塚は前方を注視したまま淡々とマイクに向かって告げた。
「発破しましょう、発破。それしかない」
「は? ハッパ……?」
「発破です、荒木先輩。この倉庫の屋根なら少量の装薬で吹き飛ばせます。豆塚くんの言うとおり、もう手段を模索してる段階じゃないですよ」
システム課主任の柳下が、割と何でもないことのように言ってのけた。言うが早いかさっさとハッチを開け放つ。気圧の変化による爆風で、荒木はまた操縦席側に派手に転げた。
「待て! 柳下! それ、許可とか資格とか諸々要るだろう、絶対!」
「資格なら私が持ってます。そういうわけで、荒木先輩は法務課あたりに連絡してさっさと許可を得てください。同時進行でいきますから」
「ヒューヒュー! 主任かっこいいー!」
茶化したのは言うまでもなく豆塚だ。荒木は唖然として、妙な態勢で座りこんだままである。
(どうしてこうシステム課ってのは、どいつもこいつも奇天烈なんだよ……)
しかし今はその奇妙奇天烈の技能に頼らざるを得ない。
「さーあ、豆塚くん! 浦島君と白姫さんのサルベージ大作戦といくわよー!」
「あいあいさー! じゃないや、イエースッ! マム!」
(駄目だ、ついていけねぇこのテンション)
荒木はいろいろと諦めてだんまりを決め込むと、その旨をそれとなく城戸に伝えて倉庫近辺から一旦離れるように指示を出した。別働隊として派遣したシンにも同じように伝える。
柳下は一人倉庫の屋上へ降り立つと、テキパキと仕掛けを施す。両手で大きく丸印をかたどると、それが完了の合図だったらしい豆塚が再び降下して柳下を引き上げた。
「柳下、手際がいいのは一向に構わないけどな。これで肝心の二人もろとも屋根が吹っ飛ぶなんてなったら洒落にならないぞ」
「ご安心ください。そんなヘボいミス、私に限ってありえませんから。それより時間がありません。とっとと発破して、とっととひき上げましょう」
柳下は自ら早口にカウントダウンを始めると、宣言通り「とっとと」スイッチを押してしまった。その瞬間、ヘリの外では拍子抜けの地味な爆発音が鳴り、それに見合わぬ大量の粉塵と煙が舞いあがっていた。
「豆塚くん、降下、確認っ」
「イエーーッス、マァーム!」
ヘリコプターが接近したことで、視界を遮っていた粉塵が蹴散らされて消えていく。照明の下には見事に丸く空いた直径5メートルほどの穴、そしてぷかぷか波に揺られる小雪と京(半ば死骸)の姿があった。
荒木はほっと胸をなでおろした。そしてすぐに、それがまだ確定要素でないことに気づく。
「白姫! 無事か! 浦島はっ」
京本人からの応答はなかった。彼は小雪の首にマフラーのように絡みついて、ようやく態勢を保っているような状態だ。二人は上半身までずぶぬれで、小雪の方は寒さからか歯をがちがち鳴らしているようだった。
「今引き上げるからそのままじっとしてろ! おい、豆塚っ。急げっ」
「へいへいさー。ったくよー、何やってんだよ浦島の奴は。泳げなくって気絶しちまったとかじゃねーだろーなー」
肩眉を上げて笑いを噛み殺している豆塚を含め、次の瞬間にその場から余裕と笑顔は消えて無くなった。ヘリコプターのヘッドライトは煌々と正確に、小雪と京を照らし出す。それは夜の闇が、水の揺らぎが今まで覆い隠していた様々な色を、ここに居る全員に正しく認識させた。小雪と京の顔は、死体のように白い。操縦桿を握ったままで、豆塚は息を呑んだ。引き上げた二人は憔悴しきっていて、とりわけ京の方は息をしていることそのものが不思議なくらいだった。
口火は、小雪が切った。
「『1220』です、京のアイナンバー……! 腹部と、アイ付近撃たれてますっ、早く……、早く処置してください……!」
青ざめた柳下に、すがるようにしがみついた。淡水と涙と血液、それらが混ざりに混ざった液体にまみれて小雪は震えていた。
荒木が静かに無線のスイッチを切り替えた。
「浦島京介、白姫小雪、回収完了。なお、浦島が腹部とアイにそれぞれ被弾。現在、意識薄弱、非常に危険な状態」
荒木の淡々とした報告は、藤和支社で指揮を執る金熊へ、地上で待機していた城戸へ、そして敷地内にある屋内駐車場に張りこんでいたシンの元へも当然届いた。聞き終えて一度スイッチを切る。「待ち合わせ」をしていた女がようやく現れたからだ。コンクリートの地面を打つハイヒールの音、その感覚がやけに狭かった。その音が、女にはいささか不似合いな黒いファミリーサイズの四駆の前で止む。すぐに乗り込むのかと思いきや、運転席のドアの前で何かしきりに探し始めた。シンにはそれが何かすぐに分かったが、待ってやる義理もなければ情も持ち合わせていない。
「こんばんは。マミヤノリカさん、ですよね。スプラウトセイバーズです」
女は──麻宮は、過剰に肩をびくつかせて持っていた煙草ケースを落とした。亡霊にでも出くわしたかのような引きつった顔でシンを見る。女にそのような顔で凝視されること自体が、シンにとっては新鮮だった。
「あ、すみません、一服しようとしてたんですよね? 最後に吸わせてあげてもいいかなーと思ってたんですけど、ちょっと気が変わっちゃって」
シンはにっこり微笑んで銃を構えた。自分に向けられた銃口を見た途端、麻宮が小さく悲鳴を上げる。
「な……何が、セイバーズよ。私は人間よ? あんたたちセイバーズに人間をセイブする権限は与えられていない。そうよね!?」
シンは答えの代わりにまた笑顔を作った。そしてそれとほぼ同時に引き金を引いた。弾は麻宮の顔の隣を通り過ぎ、運転席の窓を貫通し、助手席の窓に放射状のひびを入れた。麻宮は悲鳴を上げる間もなく、腰を抜かしてずりずりとへたりこんだ。
「そうだね。僕らにあんたみたいな人間を『セイブ』する『義務』はない。……本音を言えば頼まれたってごめんなんだよ、あんたみたいな屑の相手」