SAVE: 09 ア─Part.1─


「……だ、そうだ。金熊課長、この寸劇のような展開はそろそろ終わりにしたいのだが? 直に監視チームも到着する」
「はっ。では先にお出迎え準備を。白姫君、青山君に言ってお茶の準備をっ」
 まるで接待だな──その準備に取り掛かるためちらほら席を立ち始める保安課の面々。それに紛れて、京もまた会議室を出た。ばたつき始めた給湯室を見向きもせずに、真っ直ぐ自分のデスクに向かう。椅子にかけっぱなしにしてあった上着──袖部分はブレイクスプラウトの手枷代わりにしていたため見事にしわになっている──を無造作に抱えた。再び保安課を出て、廊下へ。次に向かうのは会議室ではない。
「京っ、どこ行くんだよ」
 真っ直ぐエレベーターを目指す京の背中に、シンが慌てて声をかけた。
「は? 帰るんだよ、やってられるか」
京が片眉を上げてあまりにもあっけらかんと答えるものだから、シンもうっかり納得しかけた。踵を返して数秒、いやいやいやと自分に突っ込みを入れたときには既にエレベーターの箱は京を乗せて階下に下っていた。
(うっわー……めんどくさ。これって見なかったことにしたらまずいのかなー)
シンは彼を止めなかったことではなく、呼びとめてしまったことを後悔した。後悔は丹念にしたが急いで次のエレベーターに乗り込むような真似はしない。自分が血相を変えて京を引き留めに行く展開など、それこそ安いドラマのようだ。想像しただけで悪寒が走る。ここはふさわしいキャストに友情出演していただくのがベターだろうと、モバイルの短縮ボタンを押した。
エレベーターが一階に到着するなり、京はわき目も振らず早足にエントランスを目指した。外出のときも退社のときも、普段なら受付の女性に必ず一声かけて出て行くのだが、今日ばかりは素通りさせてもらう。彼女の視線が一瞬こちらに向けられたような気もした。
 究極にイライラしながら自動ドアをこじあけるようにして外へ出る。待機中の社用車の列も素通りしていく、そこへ立ちはだかる腕組みをした女を目にして、京の苛立ちは更に増幅されたようだった。
「あーら偶然。外出かしら? 昼食時間はとっくに過ぎてますけど?」
「乙女……なんでいるんだよ」
これも普段なら呆れ気味に言う台詞だ。今は苛立ちだけが先行する。思わず眉を顰めて乙女を睨みつけた。
「その一、宇崎サンに盾ついて弾かれて、居心地悪くなったから逃げてきた。その二、擁護したはずの小雪ちゃんからあっさり裏切られて傷ついたから逃げてきた。その三、その他」
乙女は選択肢だけを並べた。遠からず近からずというか、全部と言えば全部というか、とにかく完全に見当はずれではないから困る。
 京は小さく嘆息して今度はゆっくりと歩を進めた。
「その三。悪いけどお前に構ってる時間ないんだ、こっちはこっちで調べたいことができた」
 シンの野郎── 一番面倒なのを召喚してくれたものだ。苛立ちが加速する。記憶に焼き付いているロイド型サングラスの男の顔、背格好、レンズの奥の見えないはずの瞳、無意味な会話をしているだけで薄れていく気がする。ここは強行突破することに決めた。
「早退届」
 乙女は動じず慌てず、去っていく京の背中に単語だけを投げかけた。シンに言われて来た割にはたいして引き留める気もないらしい。有難いやら切ないやら。
「休暇願とまとめて明日出すっ」
京はもう振り返らなった。そのまま歩幅を更に広げてカンパニーの敷地から脱出する。後には乙女の小さな溜息と開閉する自動ドアの音だけが虚しく鳴っていた。


 翌朝、噂は瞬く間に藤和支社内に広がった。何の噂かと言えば「浦島がついに本社の役員にキれたらしい」という本体にオプションで素敵な尾ひれがついたものである。「その場でセイバーズバッジを投げつけたらしい」だとか「宇崎の胸座に掴みかかったらしい」だとかはまだ良い方で、究極は「浦島はブレイクしかかっている」だとかの根も葉もないものだった。
 当然それらは保安課長である金熊の耳にも届く。弁解しようにも、当の浦島京介が定時に出社しないのだからどうしようもない。金熊は自分のデスクで、渋ガキでも食べたように口元を歪め、見かねたみちるが淹れてくれた渋めのお茶をちびちびとすすっていた。斜め前のデスクでは同じく荒木が緑茶をすすっている。保安課内に残っているのは金熊と荒木、そしてみちるだけだった。ほとんど無音の静寂の室内で、時折ステイプラーの「カチン」という音が鳴る。
「青山君。宇崎部長にもお茶を……いや、珈琲か。珈琲にしよう」
「あ、先ほどお出ししました。どちらかお伺いしていなかったので、とりあえずお水と珈琲と」
 カチン。カチン。カチン──
「ん、あ、そうか。さすが青山君。……荒木、お前はここに居ていいのか」
「いいみたいですよ。横にいるよりも、こいつをさっさと仕上げてほしいみたいです」
 カチン──言いながら荒木がリズム良くステイプラーで資料をとめていく。その隣、城戸のデスクの上には絶妙なバランスで資料が積み上げられていた。本日の彼らの主な業務は、とにかくこのエッフェル塔(資料の山)を午後の会議に間に合うようにバッタ綴じしていくことである。外線が遮断されているため、みちるもこの業務を手伝っている。荒木とみちる、交互にステイプラーの音を響かせていた。
「俺も……そいつを手伝おう」
緑茶を飲みほして、金熊がおもむろに腰をあげた。見向きもせず荒木が一蹴する。
「勘弁してくださいよ課長。やることないからって俺の今日の仕事を取り上げんでください。なんなら隣の様子見に行ったらどうです」
「お前なあ~、藤和支社保安課を統べる主任ともあろうもんが資料作成に没頭してどうすんだっ。奥さんが見たら泣くぞ!」
 荒木は反論せず半眼でひたすら内職作業を続ける。藤和支社保安課を統べているのは紛れもなく課長の金熊である。そういう類の突っ込みすらもはや面倒くさい。ステイプラーの簡素な音は、それだけで場をお粗末なものに変えていた。
 作戦は既に始まっている。城戸とシンはこちらには出社することなく、本社の人間たちと現地で合流。そのまま監視と追跡に当たっている。小雪も同様だ。彼らの、といってもメインは本社の人間になるが報告やら情報やらは無線で逐一、宇崎の元へ集約されている。つまりこの、保安課を出て廊下を跨いだ先にある応接室改め「なんちゃって作戦本部」へ本作戦の全ての情報が集まっていることになる。
「……隣の様子を見てくる。荒木、お前も終わったらこっちに来い」
「~~了解」
げんなりした顔で、手元だけはリズミカルに。保安課を出ていく金熊と溜息のタイミングがもろにかぶった。
『対象が環状線から安出線に乗り換えます。11号車後方の乗車……9号、10号に分かれて監視を続けます』
 ノックは控えた。応接室のドアを開けるとすぐに無線による報告が耳に入る。
「了解。くれぐれも同じ車両に乗り合わせるな。発車直前の降車に注意しろ」
歯切れの良い返事が二つ聞こえた。ひとつは小雪のものだ。狩野製薬社長秘書・麻宮法香の追跡は本社保安課所属の職員と小雪のバディで行われている。少人数というか、実質二人だ。これには金熊もいささか面食らったところがある。京が知ったら眩暈を起こしたかもしれない。
「宇崎部長。今のは、麻宮側ですかね」
 わかりきったことを聞くなとでも言うように、宇崎は一瞬視線をこちらに向けただけだった。金熊は素知らぬ顔で長机のの角を挟んで、隣に腰かける。
(安出線ということは……もううちの管轄から外れるな。平日の真昼間に、あんな片田舎に何の用があるのか)
 安出線は郊外に続く路線だ。終点間際にもなればベッドタウンどろこか田園地帯になる。とてもじゃないが社長秘書が自ら出向くような場所には思えない。臭いと言えばとんでもなく臭く、罠だと言われればそうでもあるように思えた。材料がないにも関わらず、考察する時間だけは大量にある。
「失礼します」
 荒木が入室してきた。先刻は緩みきっていたネクタイの結び目が、心なしか上方へ押し上げられている。彼が後ろ手にドアを閉めた、その刹那。

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