「もう大丈夫なんですか……?」
「ああ、心配かけてすまん。それよりお前の方はどうだった? ちゃんと、話はできたのか」
べオグラードが眼球だけを上方に向けて二階を見る。フレッドは苦笑して軽く頷いた。
重傷者だ、仕方がないと言えばそうだが我が物顔でソファーに踏ん反り返るベオグラード。クレスとルレオはあえなく立ち見となっている。何故ならベオグラードの前にはファーレン十三世とセルシナ皇女が腰かけているからだ。先刻からマリィがそわそわして落ち着かないのはこのそうそうたる顔並びのせいだった。うろたえるマリィを制してフレッドは促されるままにベオグラードの隣に座る。
「ご迷惑をおかけして申しわけありません。ベオグラード、ならびにフレッド様、ルレオ様、リナレス様、そしてクレス。本当に感謝しています」
「身に余る光栄です……。どうか顔をあげてください」
フレッドは微かに笑んで頷くセルシナ皇女と、置物のように動かないファーレン十三世と、水ぶきされててかてか輝く自宅のテーブルを順に見やって小さく溜息をついた。どれを基準にしてもミスマッチだ。
「……で、皆を集めたからには何か話があるんですよね」
単刀直入に切り出したはいいが他連中には顰めつらをされた。
「かまいません、本題に移りましょう。私もその方が助かります。皆さまも、宜しいですか」
セルシナがしっかりした口調でまっすぐに皆を見渡す。
「皇女、お願いします」
ベオグラードの促しに今度は神妙な顔つきでゆっくりと頷いた。
「まずは……クレスたちが地下牢で見た赤い髪の少年のことをお話します。ベオグラード、あなたは何度か彼に会っていますね」
「……ええ、二三度。情報ではその少年がルーヴェンスに何らかの形で関与していると」
「その通りです。彼はほんの三か月前父上の、……ファーレン十三世直属の予言者として城に招かれました。しかし月食の日、ちょうど私が即位するはずだった日にルーヴェンス大臣側に寝返ったのです」
月食の日の話をされと耳が痛い。フレッドは適当な相槌を打って話がこちら側に及ばないようにしむけた。思えば謀反を企んだ者とその対象がひとつのテーブルを囲んで紅茶をすすっているのだから奇妙な光景だ。
「ベオグラードさんが言ってた子どものことですよね。やっぱりそいつが黒幕ってことでいいんですか」
「……フレッド、ベオグラード……知ってたの?」
間髪いれずクレスが眉を顰める。実際対峙して恐怖感だけ目の当たりにした者としては煮え切れない気持ちもわきあがるというものだ。クレスの非難の目に耐えかねてフレッドはそそくさとベオグラードに助け舟を求めた。
「不確かな情報だったのでな、敢えて伏せさせてもらった。皇女の証言も含めればフレッドの言うとおり裏で何かしら手を引いているのは間違いないだろう」
ベオグラードは申し訳なさそうに振る舞うでもなく、さも当然の判断とでも言わんばかりに偉そうに応答する。クレスは納得がいかないらしく無言で睨みをきかせていた。
「赤髪の子どもの力は予言だけではありません。本当に恐ろしいのは、もうひとつの力の方です」
「そう言えば地下牢で言ってたあれは……もしかしてあの“大罪”ですか?」
クレスの思いがけない言葉に、フレッドは思わず身を強張らせた。咄嗟にマリィに目をやってしまう。彼女は意図的に別の場所を見ていた。それから会釈して席をはずす。自分か気まずいわけではなくフレッドを気遣っての行動だ、案の定彼は苦虫をつぶしていた。
この家ではその二文字は長いこと誰も口にしなかった。禁句を通り越して既に死語となっていた言葉は、赤の他人の手によって息を吹き返す。
「父はあの少年の力で片目と片手に大罪を受けました。家臣たちがルーヴェンスに寝返ったのはそのせいです。皆あの少年から大罪を受けるのを恐れて……仕方がないと言えばそうかもしれません」
仕方がない──昔神父も同じことを言っていた。“大罪”にこの単語はつきものなのだろうか。フレッドは堪え切れず顔に出る嫌悪感を隠そうと俯いた。
「陛下……」
クレスが呟く。この王の場合片目片手と同時に気力や誇りも失くしたらしくクレスの哀れみの眼差しにもこれといって反応はなかった。
「だからあのとき逃げて正解だったろっ。いくら金積まれても大罪なんかもらいたくねえしな。どういういきさつでそんな力持ったか知らねぇけど、めちゃくちゃやばいってのは確かなんだろ」
ルレオの身も蓋もない言い草に全員俯いて口をつぐんだ。“大罪”はそういう感慨しか人々に与えないものだった。
──人には必ず前世があり、また来世がある。命が終われば新しい命となって、それが半永久的に繰り返されていく。生きとし生けるもの全てに平等なこの世界の摂理だ。そして前世での行いは、来世の自分に影響を及ぼす。『前世で犯した悪行は来世で償われなければならない』それが“大罪”と呼ばれるものの本質である。
ある日突然両腕が動かなくなる、耳が聞こえなくなる、大病、飢饉、大災害──全ては前世で犯した悪行の報いとして現世の者が背負う業とされた。マリィの動かなくなった両足もあっけなくそう判断された。フレッドは今も胸中で否定し続けているが。
「大罪を人の手で作り出すなんて……そんなことできんのかよ」
「さあな。でも現にこうして国王は失明してるし兵はびびっちまってる。信じる信じないはてめぇの自由だろ」
ルレオはつまらなそうに、しかし本質を射抜く。前世の報い、悪行の償い、繰り返される魂の輪、フレッドは少しの間思い巡らせ嘆息でごまかした。
「まあどちらにしろ俺たちには情報が少なすぎる。今赤髪について論じても机上の空論だ。……もう一度ベルトニアに向かうぞ。ファーレンはほぼ機能していない、ここで戦ったところで無意味だろうからな」
各々頷いて顔を見合わせる。と、ひとりそれに参加しようとしないルレオを視界に入れてベオグラードがここぞとばかりに満面の、嘘果汁百パーセントの笑みをつくった。
「ルレオ、後で俺のところに来い。話がある」
ホームルームの後呼び出される問題児のように、ルレオは露骨に渋い顔を晒した。
「忘れ物はないな? 船に乗った後で慌ててもどうしようもないぞ」
心配そうな──フレッドたちからしてみればおせっかいな言葉を並べてベオグラードは白い封筒をフレッドに手渡した。中身はベルトニア王宛ての報告書と手紙だ。
「そんなに心配ならベオグラードさんも来ればいいじゃないですか。楽しいですよ、船旅は」
「何度も言わせるなよ。俺はファーレン護衛隊長として王と皇女を守る義務がある。今国を離れるわけにはいかないんでな」
先のルーヴェンスの刺客による船上の奇襲を思い出してフレッドは皮肉をかましてみたがベオグラードは至って真面目に返答してきた。更に苦笑で返す。
「分かってますって。何となくメンバー編成は分かってました。けど……」
別にこれといってこのおっさんとの別れが惜しいわけではない。ないが、フレッドは伏し目になって口をつぐんだ。ベオグラードが無理やり覗き込むとフレッドのひきつった口元が微かに痙攣しているのが見える。
「けど? なんだ、言ってみろ」
おそらくベオグラードは分かっていて言わせようとしているのだろう、締りのない口元と並行して目が楽しげに細まった。
「じゃあ言いますけど……。クレスが来るのは分かりますよ? 勝手がだいたい分かってるのはあいつだし、妥当だと思いますけど……けどっ。なんで“あいつ”までテキパキ船に乗ってんすか! 誰がどう見たって嫌がらせじゃないですか!」
口をへの字に変形させてフレッドは船の甲板を指した。ベオグラードはというと、さも今初めて気づいたとでもいうように「あぁ」などとつまらなそうに声をあげる。甲板には見飽きた、もとい見慣れた風貌の男が浸っている。