Tactile World Chapter 10

「ルレオか。奴がどうかしたか?」
「だから! なんで乗ってるか訊いてるんですよっ。つい昨日まで他人面して片っぱしから文句垂れてた奴が当たり前のように船乗ってるなんておかしいでしょう!? 暇さえあれば今回の仕事は下りるだの割に合わないだの言ってた奴ですよ!? どうしてここにいるんですかっ」
「それはほら、お前だってルレオには何だかんだいって世話になっただろう? 俺は純粋に能力だけを見てこいつは必要だと思ったのさ。おかげで俺の懐は真冬になったが……」
「世話した覚えはありますけどされた覚えはないですよ」
「そうか? ま、そのうち互いに助け合う日も来るさ。仲良くやることだ。もちろんクレス隊長ともなっ」
豪快な高笑いでその場をごまかしきろうとするベオグラードに肩を竦めてフレッドは船に乗り込んだ。人間諦めが肝心だとよく言うがフレッドはを取り巻く最近の出来事の九割は諦めが招いた結果だった。敵船に乗り込むような覚悟でフレッドは悪魔のいる甲板に足を進めた。と、直前で思いだしたように振り返る。
「ベオグラードさん! ひとつ、頼みごとしてもいいですか」
二三度軽く頷くベオグラードにフレッドは続けて叫ぶ。
「マリィと……フィリアのことお願いします。もし……」
「ああ、分かってる。心配するな、危害が及ばんよう食い止める」
フレッドは強引に言葉をせき止められたにも関わらずその温かな背中に安堵の笑みを漏らした。かき消された言葉の先は決して口にしたい部類ではなかった。
 出発の時刻が近付いても見送りは少ない。ベオグラード、リナレス、それから彼らの部下が数名、ろくに顔も知らないフレッドたちに手を振っている。出航寸前、クレスがようやく船着き場に現れる。必要最低限の荷物を抱えて姿勢よく立っていた。
「クレス隊長、随分のんびりだったな。忘れ物は?」
「ありません。けれど強いて言うならひとつ、あなたに言い忘れたことが」
ベオグラードは年甲斐もなく瞬きを何度もして、わざとらしく驚愕してみせた。この際そういったベオグラードのふざけた態度は全てスルーされる。ベオグラードの顔より数十センチ横の宙を見ながらクレスが嘆息した。
「今までの……非礼を詫びます。あなたの言うことが全て正しいわけではないけれど、今回王と皇女を救出できたのはやはりあなたの力が大きい。礼を言うわ、ベオグラード。ありがとう」
「……こちらこそ礼を言う。ファーレンには君のような女性も必要かもしれないな」
二人ともいつになく互いに穏やかな笑みを──浮かべるはずもなく、これでもかという澄ました表情で互いの腹のうちを探りあっていた。礼を述べ、述べられながらも内心互いにうんざりしているのが見え見えだ。
「そろそろ行きます。私が留守の間ファーレンを宜しくお願いします。ひとりじゃ何かと荷が思いでしょうけど」
「君こそベルトニア王に宜しく伝えてくれ。あまり大騒ぎして失態をかかない程度にな」
双方青筋を立てつつも笑顔を保ち、火花を散らし続ける。犬猿の仲、というのは表向き出さないようにしているつもりなのだろうひきつった笑みで睨みあわれても、傍から見ると不気味でしかない。
「おい! いつまで話し込んでんだ! とっとと乗れ!」
ルレオが船長気分でクレスを急かす。睨みあいのピリオドにはちょうどいい怒声だった。
「ご武運を」
「君たちもな」
短く敬礼してクレスはそのままベオグラードの横を突っ切って船に乗り込む。船体は静かに、しかし確かに動き始めベルトニア王国へとかじを取った。
 夜の海風がフレッドとクレスの髪を揺らす。ちなみにルレオの針金頭はなびくどころかいつにも増して逆立っていた。夜中に出航することを提案、決定したのはベオグラードだったが誰もこれといって反論はしなかった。ベルトニアに行って本格的に支援を求めることになるだろうが、正式な使者がここまでコソコソした旅立ちをしていると傍目には集団夜逃げにしか見えない。
「……良かったの? 妹さんたち残してきて」
 甲板で知りもしない星座を眺めながらフレッドはふと、耳に入った女の声に気持ちだけ振り向く。クレスはそのまま近寄るでもなく立ち去るわけでもなく一定の距離を保って立っていた。
「連れていくわけにいかないだろ? いつまたこの前みたいなことになるかもわかんねぇのに」
「そうじゃなくて。フレッドが、よ。このままベルトニアに来ていいのかと……ベオグラードに言いくるめられたんじゃない……?」
意外と言えばとてつもなく意外な台詞にフレッドは思わず目を丸くした。そして静かに苦笑する。
「もう……後戻りできないって分かったし。そろそろ覚悟決めなきゃだろ? 納得したわけじゃないけど王様になっちゃったんならできるだけのことはするよ。って言っても何すればいいのかなんて分かんないけどな。……覚悟、決めたんだ」
 あのとき──あの男と対等に、それ以上に渡り合うためには必要な覚悟のような気がした。マリィもフィリアもスイングを敵とは認めないだろう、それなら自分が悪者になるより他ない。諦めとは少し違う気楽な気分で受け止めようと心がけていた。
「そう、そういうことなら安心した。あなたは民間人だしベオグラードに無理強いされたならって思って」
「だから王様だって言ってんだろ、民間人じゃないって」
洒落にならない洒落を言うフレッドに少々呆れ気味のクレス、それでも落ち着いた会話を交わす今の空気に微笑が漏れた。
「できるだけサポートはするわ。“ファーレン王”を守るのも私の仕事だし」
「気持ちだけもらっとくよ……」
「あっそ」


 短い航海は夜を股越して翌日早朝、日の出と共に終わりを告げた。多忙なタレントのように二カ国間を言ったり来たりしている、疲労は溜まっていないといえば嘘になった。
 ベルトニア港でそれらを惜しげもなく、顔面一杯で表現するフレッドとその横を千鳥足で頼りなく追い越すルレオ。どうやら後者は船酔いらしい。
「んだぁ、くそ。出迎えはねえのかよ! 『お疲れさまでした、ルレオさん”みたいな……」
「馬鹿なこと言ってないでしっかり歩いてよ、時間が勿体ない」
歩くと行っても目と鼻の先だ、城壁はすでに視界に捉えている。そのたった数百メートルが今の彼らには果てしない旅路に思えた。そもそもファーレン城で負った傷も完治していない。
「行くか……。着けばそれなりに休めるだろ」
自分を励ますために独りごつ、フレッドには疲労の他いまひとつやる気が湧かない理由があった。顰め面で早朝ウォーキングをするこのメンバー、今でさえこうして仲良く(?)肩を並べて歩いているが二人には殺されかけた苦々しい思い出がある。思い出にするには新しい出来事で、ルレオに関してはそれを抜きにしても腹立たしいことばかりだ。
「だっせーな、船酔いかよ」
だからこんな子供じみた皮肉も吐いてみたくなったりする。無論ルレオが黙っているはずもなく、小癪にも鼻で笑って立ち去ろうとするフレッドの肩を鷲掴みにした。
「言うようになったじゃねえか……っ。誰に向かって文句垂れてるか考えろよ、失敗大王」
 新たな称号にまた目を点にする。うんざりした表情でフレッドは早足に歩いた。
「言っとくけどなあ、てめえが国王だろうが何だろうが俺は俺のやりたいようにやる。あんまり王様気取りされても知ったこっちゃねえぞ」
「誰がいつあんたにそんなこと頼んだよ。金で釣られといて威張りちらすなっての」
「金で釣られて何が悪い。ただ働きしてるお前の方がどうかしてるぜ?」


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