悪意はこの際隅の方に追いやってルレオは心底不思議そうにフレッドの顔を覗き込んだ。とことん噛み合わない(そしてくだらない)二人のやりとりを半眼で観察するクレス、溜息をつくやいなや城門に到着した。
門番はクレスの話を絶えず敬礼しながら聞いている、どうやら思ったよりもスムーズに安楽ベッドに就けそうだ。
「サンドリア隊長から王に話を通して下さるそうよ」
「ようやくゆっくり寝られるってわけか。ファーレンじゃおちおち昼寝もできねえからな」
「ベルトニア王に謁見するのが先! 階級制度が無いとは言え王城なんだからっ。格安宿屋じゃないのよ」
クレスの呆れきった声にルレオが珍しく笑顔で頷いた。そして大あくびを漏らす。彼女と張り合うと面倒臭い展開になる、回避するには適当に言うことをきいておくのが一番だ。実際は安全で屋根があって枕がありさえすれば、ルレオにとって城も宿もそう大差あるものでもない。
ともあれ三人は玉座の間に足を進めた。相変わらず城内には一般市民が徘徊していて、それがより一層ルレオの緊張の糸をほどいていく。その極めつけとして、扉を押し開けた瞬間彼の締まりのないくしゃみが轟く。王と視線を合わせて三秒、何を思ったかフレッドは扉を閉めた。
「おい、何閉めてんだよタコ。さっさと入れよ、この中だろ?」
勢い余って多少はみ出した鼻水をすすりながらルレオが事も無げに言い放つ。フレッドの口元が反射的に引きつった。
「お前がそれを言うのかよ!? コントじゃねぇんだぞ、扉開けた瞬間間の抜けたくしゃみしてんじゃねぇ!」
「ああ!? 生理現象だろうが、くしゃみにまで責任持てるか」
元凶の男が飄々としているのに対して、自分が原因ではないにも関わらず言いようのない気恥ずかしさに駆られるフレッド、またもやくだらない言い争いの勃発なるかという矢先内側からゆっくりと扉が開かれた。顔を出したのはベルトニアの護衛総隊長サンドリアだ、半眼で二人を交互に見やる。
「あー……とりあえず入ったらどうだろう。その、王もお待ちであるし」
確かにこのまま時を置けばルレオのくしゃみを披露するために参上したことになる。意を決して――先陣を切ったのはクレスだった。サンドリアに敬礼した後丁寧に扉を押す。
「長旅ご苦労であった。そう気を張らず楽にしなさい。ファーレンの状況を報告してもらいたい」
「ほらな? たかがくしゃみ一発二発かましたところで何の支障も――」
「分かったから黙って立ってろっ。話がこじれる」
フレッドは躊躇い無く進み出てベオグラードから預かった文書を国王に渡した。受け取って暫く読みふけるベルトニア王、手紙をサンドリアに預けて口を開いた。
「あらかた状況は把握した。ファーレン王、並びに皇女の救出誠にご苦労であった。何とか間に合ったようで何よりだ。して……細かい報告を君たちの口から聞きたい、策を練るのはそれからだな」
こうなると後はいつも通り彼女に任せておけば安心だ、暗黙の了解なのだろうクレスがフレッドを視線を交わした。
「ファーレン到着後、運良くベオグラードと合流することができました。ファーレン城奪還を試みたのですが……ルーヴェンス側には想定外の人物が就いていて……。名はスイングです、おそらく王もご存じかと。彼の助力がルーヴェンスに力を与えているのは明白です」
名を耳にすると同時に国王は肩を顰めて小さく呻る。
「彼か。とんでもない男を引き込んだものだルーヴェンスも。今ファーレンにもベルトニアにも彼に匹敵するような人材はおらんだろう。君たちもよく、無事であってくれた」
「……ご存じなんですか、スイングを」
王の全てを知り得たような口振りにフレッドは疑問を口にせざるを得なかった。神妙な面持ちで頷く王につられてフレッドの顔も強ばる。
「あのような者は早々生まれてくるものではない。脅威にも希望にもなれる存在だったが……どうやらそちらの方向を選んでしまったようだな。私よりも君の方が理解はしているはずだ。どうかね、フレッド」
かぶりを振るわけでもなく、かと言って肯定もせずフレッドは黙って俯いた。その質問には答えようがない。ただ自分の兄が、隣国にまでその名を轟かせる存在であるということを再認識しただけのことだ。
話が滞るとクレスが再び報告を進めた。それがフレッドにとっては有り難いことでもあった。
「もう一人、ルーヴェンス側に注視すべき人物が。こちらについては…――」
クレスが口をつぐむ。スイングの表だった威圧とは対照的にこちらは得体の知れない恐怖がある。例えようのない何かがクレスの言葉をせき止めていた。こういった状況で出しゃばってくれたのはある意味有り難い、見かねたルレオがクレスから勝手にバトンを受け取る。
「完全に危険人物だな。大罪云々の情報を得る前に第六感がそう言った。お前もそうだろ、会ったっつったよな」
「あ? ああ」
唐突に話を振られてとりあえず同意を示すフレッド。全員その人物について語ろうとはしない。見えない重圧がのしかかって言葉を詰まらせる。国王はその間ももどかしそうに説明を待っていた。結局嫌な役回りはクレスに回る。
「赤い髪の、幼い子どもです。予言者であるということ以外何もわかっていません。……ただ、不確定ではあるのですが大罪を操るという情報があります。事実ファーレン王は右目を失明しております」
「大罪……だと……?」
ベルトニア王は一瞬大きく目を見開いた。クレスはそれに対して補足はしないまでも頷いた。
「そんなことが人間にできるとでもいうのか。あれは神にのみ許された所行だ。……どちらにせよスイングとその少年、見て見ぬ振りというわけにはいかんだろうな」
空気はフレッドたちの背中を押しつぶすかのごとく重くのしかかった。ファーレン王家の救出など実は些細なことでしかなかったのだと自分たちで立証しているようなものだ。
「……とにかく、ファーレンの現状は最悪です。ファーレン全土が支配されるのも時間の問題だと思います」
「かと言って今のままでは前回の二の舞だ。クレス隊長、君とサンドリアとで今後の策を練るとしよう。疲れているとは思うが宜しく頼む」
「いえ、そのつもりでいましたから」
クレスの心強い返答を聞いて残りの二人は無責任にも胸を撫で下ろした。
王への謁見中、自分自身の口から次々と発せられる非現実的な言葉たちにフレッドは軽い目眩を覚えていた。全てが夢の中の出来事だったのではないかと錯覚してはすぐにそうではないと自身が否定する。立っている地面を踏みつけて、フレッドは嘘のようで揺るぎない現実を確かめた。
クレスがサンドリアと会議室に缶詰になってから丸二日、フレッドとルレオは思い思いの時間を過ごした。出来うる限り城内を散策したりふかふかのベッドで昼寝をしたり、大広間のピアノを調律したりふかふかのベッドで転がったり、言うなれば暇を持て余していた。
「はーあ、やっぱ城のベッドはひと味違うよなぁ。おかげ様でぐっすり眠れたぜ」
クレスから呼び出しをくらって二分、珍しくフレッドとルレオは肩を並べて歩いていた。ルレオの機嫌が良いことは見ての通りだが奇妙と言うか不気味な光景である。いつもよりソフトなルレオの眼をちらちら見ながらフレッドは玉座の間の扉を開け放した。
「遅いっ! 何分ベルトニア王をお待たせすれば気が済むのよ!」
すぐさまクレスの怒号が飛ぶ。横で控えているサンドリアがなだめているのも半ば無視して脳天から蒸気のようなものを立ち上らせていた。
「そうカッカするなよ。朝っぱらから怒鳴り散らしたって体力の無駄使いだぜ」
一番言われたくない人物にさも己が正しいかのように諭されクレスの青筋メーターも限界に達していたが、必死のサンドリアに免じて拳は留めておいた。