A Mirage On Land Chapter 11

両者一歩も引かず、フレッドがカウンターに席を移して呑気にビーフシチューなんかを注文しているのにも気づかずに睨みあいを続けている。双方の言い分がそれなりに的を射ていることは第三者にしか分からない。その第三者にできることといえばせいぜい二人のためにカルシウムたっぷりのミルクセーキでも注文してやる程度だ。
 そんなフレッドの傍観者的思考をさしおいて、宿の店主が不躾に二人の間に割って入った。
「お客様、当店名物の薬酒でございます」
淡々とした口調でアルミのジョッキをテーブルに置く。今にも取っ組み合いになりそうなルレオとクレスは思わぬ横やりに一時停止したまま微動だにしないでいる。と、思いきやルレオはやつあたりとばかりに店主にくってかかった。
「今それどころじゃねえことくらい見て分かんだろ、水差しやがって。おい、仕切り直──」
 確認しておこう。罵られても涼しげな表情を崩さない店主はジョッキ以外何も持ってはいなかったし、今も両手は胴の前できちんと組んでいる。そしてここで仮定もしておくことにする。仮に、万が一この酒の中に毒物が入っていたとしよう。そうだとしても二人はまだ口さえつけていない。よってこの光景はありえないものだった。
「ちょ、ちょっと何これ……」
クレスが鼻孔ごと口を押さえて大股で後ずさる。力の限り酸素を吸いこんで声を荒らげていたルレオは首元、呼吸器を抑え込んでいた。顔色は真っ青、何か恐ろしいものでも目にしたような凄まじい表情である。一歩引いて傍観していたフレッドもさすがに焦りの色を見せた。
「おい、ルレオ……!」
席を立って二人に駆け寄るまで五秒、フレッドの身にもルレオが体感しているそれと同じ恐怖が押し寄せてきた。やるべき動作はたったひとつだ。
「くさっ! 何だこの臭い!」
フレッドは駆け寄る途中で急ブレーキをかけると、自らの鼻をつまんでこもった声で呻いた。ルレオはいつの間にかテーブルから遥か遠く、店の出口付近で新鮮な空気を吸いこんでいる。
「この酒、か? ……なんだってこんな異臭……」
フレッドも話しながら出口付近に駆け込む。涙目で退散する役立たずな男衆を尻目にクレスは掌をマスク代わりに店主に問いかけた。
「これ、なんですか」
それだけ口にするのが精いっぱいだった。一歩一歩後ずさって結局は彼女も先の二人に合流しようとしている。アルミのジョッキは一瞬でそこらの毒物よりも致死率が高いことを彼らは本能的に悟った。
「当店名物の薬酒でございます。全国各地から取り寄せた五十種あまりの漢方を使用しております故、健康にはうってつけでございます」
「……そうですか」
栄養プラス栄養が最高の栄養かどうかははっきり言って疑わしい限りだ。さらに言えば今は飲んだ後の効能よりもこの殺人的な臭いの説明が欲しいところだった。
 店主は相変わらず同じポーズで臭いの発生源のすぐ近くに佇んでいる。只者ではない。
「何なんだよこの国は! もう寝る! いいか、お前ら何が起きても起こすんじゃねえぞっ」
「はいはい。誰も好き好んであんたの目覚まし役なんてやらないわよ。どうぞ、ご自由に」
戦気もこのあまりの異臭に萎えてしまったようだ、互いに最後の皮肉を吐いて合戦に終止符を打った。内心まだくすぶっていたがクレスは渋々カウンター席──フレッドの隣の椅子──に腰かけた。先刻フレッドが親切心から頼んでいたミルクセーキを景気よく一気飲みする。
「結局、二度手間になっちゃったわね。こうしてる間にもファーレンはどうなってるか……」
すっかり冷めたビーフシチューの前の椅子をひいてフレッドは沈黙を守った。無意味にシチューを掻き雑ぜて暇を埋める。
「フレッド、あのね。ずっと訊きそびれてたことが……違うわね。訊こうかどうか迷ってたことがあるの。その……プライヴェートなことだったから」
フレッドはスプーンを置いた。あんなにも美味そうだった煮込まれた野菜たちは、今では冷たい屍と化している。食欲をそそるはずの芳しい香りも、先刻の殺人酒の匂いに相殺されてそれは全体的に食べ物でない何かになり果てていた。
「……何」
諦めて話に乗ることにした。席を立つことだってもちろんできたが、それでは人としてあまりに誠意がない気もする。今さら誠意にしがみつくこと自体的外れのような気はしたが共に行動する人間にそうそう背を向けてもいられないのも確かだ。
「……ファーレン城に監禁されてた女性のことなんだけど。それと、『スイング』。彼は……」
クレスの言葉にしてはいつになく歯切れが悪い。それはフレッドへの気遣いからくるものだった。今ならそれが分かる。以前なら露骨に顔をしかめて返答を拒否していたが、もう前とは状況も環境も何もかもが違う。問われなくてもクレスには話しておかなければならないことである気がした。
「話してなかったな、言われてみれば。今さらだとは思うけど、スイングは……俺の兄貴」
それは口にすれば一言で終わる、絶対的な事実。しかし口にするということは自分が認めるということ、他人に理解させるということ、それらはいずれにせよ痛みを伴った。
「ベオグラードをあそこまでやれる人間なんて、そうそういないわ。それにあの目……吸いこまれそうなくらい漆黒の……彼は何も見ていなかった。少なくともあの場にいた私たちの誰をも」
フレッドは答えなかった。スイングのあの視線をフレッドは物心ついたときから知っている。もしクレスの言う通りなら彼と交わしたごく僅かな会話や剣は一体何だったのだろう、それは僅かでありながらいつも決まりごとのように痛みと血が共存していた。
「ごめん、無神経だった」
「いや。別にかまわない、俺だってあいつが何考えてるかは分からないし。兄だと、思ったこともない。正直血がつながってるなんて今でも変に思うよ」
クレスは伏し目がちにフレッドの話に聞きいっている。目立った反応がないからそれを横目に確認した。
「スイングの上を行く奴なんてたぶんいないと思う。認めたくなんてないけどさ……勝てる相手じゃない。俺が一番分かってる。でもあいつが敵に回るなら……戦うしかないことも分かってる」
相槌や会話をつなぐ質問はない。クレスの薄い反応を気にしてフレッドはまた、今度は顔ごと視線を彼女に合わせた。
「悪いな、スイングのことなんか実はほとんど分からないんだ」
今度はクレスが大きくかぶりを振った。フレッドの苦し紛れの笑いの下に本音がにじみ出ている。実の兄をまるで赤の他人のように語る、そうするしかない理由が彼にはある。
「地下牢にいた女性、彼女は……?」
クレスは折を見て話題を変えた。フレッドはすぐさま何かを言いかけて言葉を飲み込む。しばらくクレスから視線を外して慎重に言葉を選んでいるようだった。やがて諦めたように小さく嘆息して、椅子の背に身を預ける。
「フィリアは……スイングの嫁さん。ついこの間式挙げたばかりだ」
フレッドはそれだけを口にするとまた押し黙った。おそらく補足はいくつかある。しかし正しいそれを選びとるには膨大の量の正しくないそれを排除しなければならない。一瞬でその作業を行うには集中力も判断力も足りていない。
 ばつが悪そうに少しだけうつむくフレッド。クレスの脳裏に以前彼が見せた表情が蘇る。フィリアの無事を知ったときのフレッドの安堵と驚愕、そして切ない顔がよぎった。
「ということはフレッドにとってはお義姉さん、になるのか」
「そうなるな」
肯定は間髪いれず返ってきた。単なる事実の確認なのだからその反応は当然といえばそうだったがそれが逆に不自然さを醸し出していた。事実を口にするということは、自分でそれと認めることであり相手に理解させることだ。それはごく簡単な作業であると同時にフレッドにとっては常に痛みを伴うものであるようだった。
 苦虫を噛み潰したような表情を悟られまいとフレッドは俯き加減に椅子を引いた。つられてクレスも腰を上げる。
「……予言者がいなくても何とかなるだろ。それがすべてじゃない。ベルトニアに帰ってまた考えようぜ。おやすみ」
「そうね、おやすみなさい」



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