戦況は全く好転する気配を見せない。それは青筋量産機と化したルレオの形相からも見て取れる。彼の後ろでは、ルレオにとってはお荷物以外の何者でもないミレイが事あるごとに悲鳴をあげていた。
「ぞろぞろぞろぞろ湧いて出てきやがって……! アリか? ノミか! ダニかぁー!」
ルレオいわくアリ、ノミ、ダニたちは彼らを足止めするためだけに存在しているように、標的をルレオとミレイにしぼって隊を進めてくる。ルレオは常に矢のストックを気にしなければならないし、後ろのやかましい予言者の安否も気遣わなければならないしで、忙しいことこの上ない。やかましいと言えば──ルレオの苛立ちをあおるのは何も群がる敵兵だけではない。
「ああっ。ルレオさん右です! 次、左ななめ上っ。十秒後に上方から火炎球が降ってきます!」
尋常じゃない形相で一応言われたとおりに右往左往するルレオ。ミレイの言うとおりに敵は行動してくるので便利と言えばその通りだ。が、彼女がただの大人しい先読みマシーンになってくれるはずもなく、
「次、真上! まーうえ! 反応遅くなってますよ!」
「分かってるっつーんだよ……っ」
ボウガンを素早く持ち直す。ルレオが撃ち放った矢は正確に的を射抜いていった。ミレイの指示に合わせてリズミカルに引き金は引かれ続ける。
「右、右、左! 上! 上~! あーもう! ななめ左!」
ミレイが地団駄を踏む音とは別に、鈍い、後味の悪い音が二人の間に響いた。ふとミレイがルレオに視線を送ると、どこかの血管が文字通りちぎれたらしい額から線状の血を垂れ流していた。何を思ったのか、ななめ左上方にこれでもかと言うほど嫌味を込めてボウガンを投げつける。
「ぎゃー! 何やってんですか! 武器投げ飛ばしてどうするんです! 今から二十秒後に数人まとめてかかってきますよっ」
「やかましい! 上だの下だのななめだの! 何だその二十秒後ってのはっ。いちいち覚えてられるか、どうにかしろそのプチ予言!」
堪えていた地団駄を思いきり踏む。どちらの言っていることも一理あるが、とるべき行動としてはルレオが早まったとしか言いようがない。仲間同士言いあいをしている内に、予言通り続々と増援が集結する。それを視界に入れると、二人とも同時に口をつぐんで青ざめた。
「だから言ったじゃないですかー。あーあぁ……予言を馬鹿にするから……」
ミレイの感慨はやけに明るい。この先の明るい未来を予見してならそれも悪くないのだが、彼女の場合いかなるときも大して切羽つまらない。何となくそれが分かっていたから、ルレオも怒鳴る気すら失せていた。特に意味のない舌打ちだけをかまして、ただ胸を張って襲撃を待った。
待つこと一分。期待を裏切って増援は一向に突撃してこない。
「何なんだよ。予言はどうした? ああ?」
仁王立ちに相応しい台詞を吐いてミレイを見やる。彼女は知らぬ存ぜぬと言わんばかりにかぶりを振るだけだ。
「気味悪ぃな、なんで来ねーんだよ」
予言などなくても順当にいけば、増援、襲撃、残念ながらこちらが撃沈、という結果が見えていただけにルレオも気を抜かない。その緊張は正しかった。しかしこれから起こることに対しては全く無力の緊張であった。
「ルレオさん……! あれ……っ」
美しく隊列を組んでいたルーヴェンス兵が次々と倒れこむ。防戦していた僅かなベルトニア兵たちも同様に奇妙な動きを見せ始めた。ある者はもがき苦しみ、あるものは吐血し、またある者は地に跪く。今の今まで至る所であがっていた唸り声は悲鳴一色に統一された。
「おい、何だってんだよ……! 何が起きてやがる」
ミレイは先刻より強く、全力でかぶりを振る。次々と武器を落とし倒れていく兵たち、既にルレオたちを攻撃してくる者はいなくなっていた。数百名といた弓兵は、今や立ち上がっている者を数えた方が早い数まで減少している。
ルレオは自分とミレイが立っていることを──生きていることを──今一度確認して、ゆっくり息を呑んだ。
「あいつらと合流するぞ。嫌な予感がする」
ルレオは珍しく、もしかすると初めてかもしれないフレッドたちの身を案じ、ベルトニア城へ歩を進めた。
フレッドとクレス、二人はルレオの心配をよそにほぼ無傷で玉座の間に辿り着いていた。城内は既に陥落した後のように静まり返っていて、遭遇した敵兵と言えばニースくらいのものだった。そのニースとも、結局剣を交えていない。一触即発だったことは確かだ、しかし彼はフレッドを見向きもせずラインの方へ走り去った。
それが何を意味していたのか考える余地などなかった。ただ、剣を交わさなかったことが良かったのか悪かったのか、それだけがフレッドの頭の中をぐるぐると回っている。ベルトニア王を前にしてもフレッドの思考はニースの方へ傾いていた。
「ご無事で何よりです…! 申し訳ありません、私たちがいない間にこんな……」
クレスの形式ばった台詞が耳から耳へ抜けていく。ベルトニア王は側近と共に玉座の下にある隠し部屋に身を潜めていた。その中にサンドリアの姿は無い。そのことが、ようやくフレッドの頭の中を現実方へ呼び戻した。
「君たちこそよく無事で帰ってきてくれた。サンドリアがライン側の守備に当たっているはずだ、道理でないことは承知しているが加勢してくれないか」
「勿論です。……フレッド、どちらか一人は王の護衛に──」
クレスが振り向いた瞬間、彼女の体が大きく傾く。フレッドもベルトニア王も同時にバランスを崩し前方によろめいた。
「伏せろ! でかいのが来るぞ!」
揺れているのは、まぎれもなく地面の方だった。立っていられるうちにフレッドが叫ぶと、それを待っていたかのように特大の揺れが地鳴りと共に皆を襲った。フレッドの忠告を無しにしても、強制的に床に這いつくばっていただろうことは明白だ。互いが互いを気に掛けながらも、皆自分の体重を支えることに手一杯でどうすることもできない。
「フレッド…!?」
押さえつけられるような重圧、その中でフレッドが這うような低い体勢で窓際へ進む。自らの意志とは無関係に音を立てる歯を食いしばって、渾身の力で窓枠に手をかけた。
窓の外には雄大なベルトニア領が広がり、遠くにファーレンとの国境であるラインの山並みを望むことができる。それが普段の光景。フレッドが見た世界は、信じられないくらい妖艶で色鮮やかで衝撃的だった。
「ラインが……光ってる」
形容のしようがないから見たままを口にした。窓の外に広がるラインは、薄闇の中で淡い紫がかった光に包まれていた。フレッドが言うように自ら光を放っているようにも見える。どちらにしろ幻想的に輝いて見えた。しかし美しさは微塵もない。空も大地も、見えぬはずの風さえも含め、世界は恐怖に彩られていた。
「何が、起こってるっていうの……」
その光は、生きた心地というものを奪っていく。目にした誰もが『最悪のシナリオ』のはじまりを感じていた。
バンッ──次の幕を切ったのは負傷したベルトニア兵だった。収まりかけた揺れの中、全身血にまみれた若い兵が玉座の間の扉を力任せにこじあけた。
「何事か!」
「も……申し上げます、ベルトニア軍、ファーレン軍共に『大罪』を受け戦闘不能状態です。残ったファーレン兵も撤退を始めています……!」
「『大罪』だと…!?」
そのキーワードには莫大な威力があった。突拍子もない発言のはずが、この尋常でない地鳴りとラインの発光を目の当たりにした後では何より信憑性がある。脳裏をよぎるのは赤い髪の少年のこと、フレッドは剣を握りしめて玉座の間を後にした。クレスも慌てて後を追う。
今までにないくらい頭の中は混乱しているのに、足だけはやはり今までにないくらいのスピードで回転し城内を走る。