「フレッド! どうしたの!」
「あの子どもだよ! だって変だろ、絶対! そんな何百人も一度に大罪もらうなんてありえない! 一回ルレオたちと合流しよう……っ」
がむしゃらな説明をクレスに投げる。今の時点ではフレッドが考えていることの一部でも、最悪ニュアンスだけでも汲み取ってもらえれば構わない。そう思って補足も訂正もせずがむしゃら走りを続けた。が、すぐにクレスに腕を掴まれ停止を余儀なくされた。急ブレーキのせいでバランスを崩してよろける。
「うお!」
「お!?」
よろけて振り向いた先にクレスと、何故かルレオがいた。ルレオの方もミレイに無理やり止められたか妙な角度で静止している。
フレッドとルレオが互いに同じ気持ちで同じ行動をしたのは実質はじめてかもしれない。態勢を立て直すと二人とも各々の表情にすかさずチェックを入れた。
「何だよ、生きてんじゃねえか。しぶてぇな」
「そっくりそのまま返してやりたいけど、今はそれどころじゃないんだよ」
「分ーってる。お前らも見たんだろ? とっとと確かめに行くぞ」
ルレオが勢いよく城門をくぐり抜けすぐに立ち止まる。すぐ後ろを全速力で走っていたフレッドが背中にぶつかり顔面を強打、続いてクレス、ミレイと順当に玉突き事故を起こし三人は仲良く鼻っつらを押さえてうめいた。棒立ちのルレオからは舌打ちだけが漏れる。
「おいっ、舌打ちしたいのはこっち──」
ルレオを押しのけて目にしたもの──くだらない愚痴を瞬時に飲み込んだ。先刻ラインの発光というあり得ない超常現象を目にしたばかりだ、何があっても驚かない心構えはできていたはずなのに、フレッドは何も言えずただただ大きく目を見開くばかりだった。
「何だよこれ……」
ようやく絞り出すように言えたのがそれだけだ。
「見たまんまだろ」
事実に現実味がなさすぎる。しかし直視するには生々しすぎた。血なまぐさいとはこういうことかと、やけに悠長に構える自分がいる。目を背けるために空を見上げたが、結局それもどす黒く濁っていた。終わりの見えない闇が広がるばかりだ。
延々と続く屍の道がある。もがき苦しみ、血にまみれた身体を横たわらせた者たちが列を成し、天に助けを求めるように仰向けに倒れていた。鉄の匂いが辺り一面に立ち込めて長くは息が吸えない。
「フレッドさん……」
「……あんまり見ない方がいい。ミレイは王のところに戻るんだ」
言いながらフレッドの目は目の前の光景にくぎ付けであった。予言が全ての事物において働くわけではないらしいことを知り、フレッドはこの件に関しては胸をなでおろした。予知と事実、二段階でこんなものを見せられては神経がおかしくなってしまう。横目でクレスを見やる。眉間に寄った皺を正そうとうつむいていた。と、咄嗟に顔を上げる。驚くフレッドを押しのけて屍の道の先に目を凝らした。
「誰か来る!」
道の向こうからボロボロの男がもたついた足取りでこちらに向かってくるのが見えた。咄嗟に警戒するも、大きく手を振る見覚えのある風貌にすぐに安堵が広がった。
「サンドリア隊長! 良かった、無事で!」
今にも屍の仲間入りをしそうな頼りない走りを見て、フレッドとクレスが駆け寄る。倒れこむ巨体を何とか二人で支えた。
「王は……無事かね……?」
「ええ、ご無事です。……何が、あったかご存知ですか。この惨事は……」
頷くという動作ひとつが辛いらしい、ゆっくりを首を振るとそのまま耐えきれずに地面に崩れた。フレッドとクレスの肩をつえ代わりに何とか立ち上がり、そのまま無言で城門をくぐる。城内に入ると幾分安心したのか、王の間まで向かわずその場に座り込み壁にもたれた。
「とにかく傷の手当てを」
「いや、そんなことよりも……! フレッドくん、一刻も早くラインに向かいなさい。スイング殿が……っ」
予期せぬ名前が飛び出した。鼓動が異常な大きさと速さで鳴り、フレッドの意識を支配する。次の瞬間、考えがまとまるよりも早く足は勝手に屍の道を走りぬけていた。クレスが一瞬追おうと足を出すが本能がそれを躊躇う。
「ファーレン兵……ルーヴェンス軍も撤退したようだ。我々はできうる限りの人命救助に手を尽くそう。すまんがクレス隊長、肩を貸してもらえるかな」
「ええ。……説明は傷の手当てが済んでからに」
クレスだけでは支えきれず、今度はルレオが二人目の杖になる。ミレイの誘導で医務室へ運び込んだ。始めから医務室というわけではない。兵舎だったり客間だったりしたところに入りきれない怪我人を集めて言った結果、医務室になったにすぎない場所だ。城内今やどの部屋も医務室だった。
「『大罪』……か。フレッドくんにとって今日と言う日が最悪の日になることは間違いない。無論彼だけではないが……君たちで、元気づけてあげてくれ」
訳も分からずクレスは頷いた。今はただそうする他ない。ルレオが一度大きく天を仰いで、首の後ろを掻き毟った。無言でどこかへ行こうとするのをクレスに見つかり呼び止められる。
「あいつと合流する。生きてるにせよ死んでるにせよ、一人じゃ運んでこれねぇだろ」
主語は意図的に省かれた。サンドリアの言葉の端々を拾えばそういうことになる。クレスは今度は追おうとせず、ただ短く返事をした。ルレオが部屋を出るのを見届けて、再びサンドリアに視線を移す。
「何があったんですか。私が知っているスイングはそう簡単につぶされるような存在ではありませんでした」
「その話はまだやめておこう。ただ、君が思っていることはほぼ的中しているだろうね」
サンドリアの長く深いため息が空気に溶けた。それからフレッドたちが帰還するまで重い沈黙が続いた。
医務室と化したこの部屋の、簡素な肩開き扉が反対側の壁にたたきつけられた。それを皮きりに沈黙は破られざわめきと騒音が一気になだれ込む。
「どけっ! そこのベッド使うぞっ。おいフレディー、ここでいいんだな!」
わざとらしく妙な改名をして確認をとるが、フレッドはいつも通り無視して引きずり気味だった重症の男をベッドの上に放り投げた。鉛のように重い音をたててベッドがきしむ。フレッドもルレオも息を切らして、額に滲む汗をぬぐった。
「正直に答えろよ! 生きてんのか死んでんのか、どっちだ! 死体ならもう一回移動だぞ」
「それを今から確認するんだよ……」
事もなげに言ってのけるルレオに腹を立てている場合ではない。むしろこういうときは感謝すべきなのかもしれない、次に起こすべき行動はルレオの言うとおりであったし、けしかけられれば嫌でも動ける。皆の視線を背中に感じながらもフレッドはスイングの心臓に耳を押しあてた。
「……死んでるんですか……?」
ミレイもまた直球型だ。胸中で突っ込みをいれながらフレッドは意識を鼓動に集中させた。
「いや……生きてはいる。たぶん、意識もある」
「はあ?」
フレッドの回答に間髪入れず奇声をあげたのはルレオ。意識があるなら引きずってくる必要はなかっただろうというありったけの文句が込められている。
「聞こえてんだろ、スイング。何とか言えよ」
身を起こしつつ今度は確信的に問いかけた。スイングは答えるどころか瞬きひとつしない。その目は人形のように虚ろで、フレッドたちを映しているのかどうかも怪しかった。
「答えろよ!」
「フレッドっ」
掴みかかろうとするフレッドをクレスが抜群のタイミングで制した。すぐさま振り払う。スイングはやはり反応を示さないし、ビー玉のような瞳で宙を見ているだけだ。
「なんてザマだよ。……赤い髪の子どもに大罪もらったんだろ。全神経引き換えか、あんたには似合いの大罪だな」
「フレッドさん、そんな言い方って……」
ミレイにとって、こうも声を荒らげるフレッドを目にしたのは初めてであったし放たれる言葉の真意も当然分かるはずもない。フレッド本人でさえ、訊きたいことは他に山ほどあるのだが、口をついて出るのが何故か皮肉ばかりで戸惑っているくらいだ。頭の中が再び混乱していた。
「彼はラインの解放を止めようとしていた。さっきの光がそうなのだろう。少なくとも、君が思っていたような裏切りは……なかったことになるんじゃないかな」
物言わぬスイングに代わってサンドリアが口を挟んだ。それは事実かもしれないし、答えかもしれない。分かっていてもやるせない、どこいもぶつけようのない苛立ちは拳を握りしめた程度で消せるはずもなかった。
「どうして……。いつもそうなんだよ、あんたは。はじめから全部分かってたって? 止めようとした? ふざけんな」
これ以上ないくらいに更に拳を握る。そうすることでその先の言葉を飲み込もうとした。それが無理だと分かると踵を返して部屋を後にする。はけ口のない怒りと、それすら呑みこもうとする複雑な感情が全身を駆け巡った。
扉を後ろ手に閉める。少し歩いて中の会話が聞こえなくなったのを確認した。握っていた拳をほどく。奥歯を噛みしめていた力を緩める。鼓動を鎮めようと無理やり大きく息を吸った。そうすることで怒りを誤魔化すことはできたが、代わりとばかりに津波のように虚無が訪れた。城内は負傷した兵や一般人で溢れかえっている。それなのにフレッドの頭の中は嘘のように静かになった。穏やかさはない、ただ空っぽなだけだ。
「一体何を守りたかったんだよ、あんたは……」
飲み込めなかった感情の一部が吐息と共にあふれ出た。