「何だロマン主義。紛らわしい行動はやめろ、ムカつくから」
ルレオがすぐさまくだらないあだ名をつけてくるのも、いわれのない苛立ちの対象にされていることもこの際どうでもいい。フレッドはひきつる顔の筋肉を何とか制して必死にそれを指さした。
「伏せた方が……いいと思うな」
「あぁ?」
その反応は予想がついていたが、一応忠告はした。天の邪鬼のルレオのことだ、伏せろと言われれば顔を出す。手っとり早く状況を理解してもらうには効果的だったが、すでにその段階にないことは次の瞬間に周知された。立ちあがったルレオが凄まじい勢いで倒れこむ。気球本体が今さらながらにガタガタと音をたてて揺れ始めた。フレッドはとにかく、できうる限り身体を縮めて耳を塞いで、目を閉じた。次に聞こえるのは恐らく悲鳴だ。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「キャー! キャー!」
「イヤアァァァァ!!」
どれが誰の悲鳴で、だとかは分析している余裕もない。他の三人には気の毒だが、フレッドはただひとり、この尋常でない乱気流に備えていた。薄らと目を開けると気球の籠の中で、この世のものとは思えない形相の人影が三体、シェイクされているのが見える。気の毒すぎるものを目にしてフレッドは固く瞼をつぶりなおした。
頭の隅の方で微かに波音がする。打ちつけるようなそれではなく、ただ静かに、規則的に砂をさらうだけの穏やかな音だ。心地よいとは思えなかった。フレッドの感覚器官は今やどれをとっても正常には機能していない。暗闇の世界、波の音だけが彼が生きている事実を教えてくれた。
このメンバーでわけの分からない災難に遭遇することは慣れていたつもりだ。苦汁も舐めつくしているつもりだったが対処ができなければ意味がない。大したことない乱気流だとかほざいたどこかの女隊長や、予言そっちのけではしゃぎまくっていた予言者や、始終文句を並べ立てているだけだった役立たずを心底ぶん殴ってやりたかったが、意識は朦朧を極めようとしていた。波の音さえ小さくなっていく。全ての音が途切れる直前に、懐かしい、よく知っている小さいな女の子の声を聴いた。
「ん……。ここ……は」
前頭部を押さえながら、クレスが身を起こした。霞んだままの視界を力任せにこすって外界と自分との確立を急ぐ。薄ぼんやりと見える人影に痛痒くなった目を凝らした。だんだんと鮮明になる視界の中央に、ベッドに横たわるフレッド──そしてその上でフレッドをつついている見知らぬ少女の後姿があった。その光景を認識するや否や、彼女の脳は活発に活動を始め、軋む身体にシグナルを送りだす。
「誰!? フレッドから離れなさい!」
「んキャ!」
クレスが寝起き早々怒号を発すると、少女は飛び上がって悲鳴を上げた。そのままコロコロとベッドから転がり落ちる。クレスは口を半開きにしたまま、ただ唖然としていた。
でんぐり返りの途中のような奇妙な態勢でもがいているのは、まだ年端もいかない幼い女の子だった。水揚げされた魚のように、手足をじたばたさせて何とか起き上がろうとしている。
「っもう! 失礼ね、せっかく助けてあげたのに……!」
やっとのことで態勢を元に戻すと、独りごちながらめくれた衣服を整えた。白いファーのついたフードを頭からすっぽり被っている様は見ている分には暑苦しい。ツインテールにした長い髪が兎耳のように飛び出している。どう見ても、子どもだ。
「あなた……誰?」
目を点にしたクレスに向かって少女は勢いよく突進してきて、思いきりふぐ口を作った。
「誰ぇ? 助けてもらっておいて一番はじめに言うのがそれ? はぁ~……外の人ってみんなこうなのかしら……やんなっちゃう」
大げさな立ち振る舞いで肩をすくめる少女、を半ば無視してクレスは現状把握のためぐるりとあたりを見回す。フレッドの他ルレオ、ミレイ、二人も床に転がっていて、そのぞんざいな扱いの割にはしっかりと毛布が掛けられていた。そう、毛布だ。心なしか、寒気がする。それはもちろん気のせいではなくて、少女の出で立ちやクレスの傍にある火のつけられた暖炉は気温が低い──それも極端に──ことを示唆している。
(わけが分からない……)
再び前頭部を押さえて最後の記憶をたどる。大したことのないはずの乱気流に、ものの見事にかき回されたところまではしっかりと覚えている。しかしその後の記憶は全くと言っていいほどなかった。
状況はつかめないが、少女の言葉の意味は解することができる。であればそこから状況把握するしかない。
「あなたが助けて……くれたのね? ごめんね、いきなりでびっくりしたのよ。私はクレス。ファーレン王国の護衛隊長よ」
「ふーん。ファーレン……って、国の名前?」
「そうよ? 知らない? ……まだ小さいしね」
クレスは何気なくそう、思ったことを口にした。口にしてからとてつもない違和感に襲われる。ファーレン領土でもなく、ベルトニアでもない、かの国の名前を知らない少女が暮らすこの場所は、それでは一体どこだというのか。
「バカにしてぇ~。 そんな聞いたこともないような小さな国、知ってるわけないでしょ!」
ちなみにファーレンは本土の広さだけで言えばベルトニアの1.7倍、これに各領土を合わせれば2倍はくだらない。地図を広げたときに真っ先に目に入るのはファーレン王国だ。クレスは顔を真っ赤にしてへそを曲げる少女を、何か異様なもののように注視した。
(この子……本当にファーレンを知らない……?)
少女はクレスの方には目もくれず再びフレッドが横たわるベッドの傍らに座り込んだ。他の違和感に気を取られて取り立てなかったが、床に放置したルレオとミレイとは違って明らかにフレッドだけがビップ待遇だ。クレスが考え込んでいると、その隙に少女は再びフレッドのベッドに身をのり上げた。
「……う」
文字通り重苦しさを感じて、寝ながら呻くフレッド。その第一声にクレスも視線を移す。彼女の視界に飛び込んできたのは目覚めたフレッドではなく、大胆にも彼に馬乗りになった少女の姿だ。
「ちょ、ちょっと!」
「気がついた! だいじょーぶ? はじめまして、私シルフィ! 花も恥じらう9歳プリティガール、特技はお料理で趣味は本を読むこと。好きなタイプは優しくって強い人! あなたの名前は?」
フレッドはわけも分からず勢い任せに上半身だけを起こした。目を覚ました瞬間目の前、それもかなりの至近距離に見知らぬ小さな女の子がいて、その上自分の膝に何のためらいもなく
乗っかっているのだからフレッドが凝固するのも無理はなかった。加えて弾丸自己紹介、この要素で状況を判断するのは無茶な話である。
「……は?」
これでもかというほど笑顔でこちらを見つめてくる少女に切り返したのはそれだけで、後は事態が飲み込めないせいで何も言えなかった。視線がまぶしい。
「えーと……ちょっと待てよ。乱気流に突っ込んで、気ぃ失って……。そうだ! みんなは!」
急に毛布を翻して全身を起こす。その際少女の存在はすっかり忘れ去っており、軽い体重の彼女は大した音もたてず床に転がり落ちた。派手な音はしなかったがベッドの淵で頭を打ったらしい鈍い効果音だけは耳に届く。
「痛ーっいっ……! つー!」
「あっ、悪い……。のっかってたの忘れてた」
少女は今日明日にでも出現予定のコブ部分をさすっている。