Fine Snow Chapter 13

「へーき。で、あなたのお名前は? なんていうの?」
涙目で訴えられるとこれ以上ないがしろにはできない。フレッドは混乱を制するのを諦めて、とりあえずは目の前にある一番わけのわからない事物から処理していくことにした。
「……フレッド。お前が助けてくれたのか?」
「うんっそうよ! もう、びーっくりしたんだから。人に会ったのなんて久しぶりだったからどうしようか迷ったんだけど……ふふふー」
フレッドが名乗るなりむくれていた顔も一転、不気味な含み笑いをこぼす。そのまましゃがみこんでいるフレッドの周りを品定めするように一周した。
「もしかしたらって思ったんだけどっ。背もまずまず高いほうだし、顔も悪くないし……何よりこの、ちゃんと小さい私と目線を合わせるっていうレディーに対する心遣い? が満点だと思うのよね。思ったとおり、声も素敵!」
フレッドの肩に手をおいて、嬉しそうに頷くシルフィ。対して事の成り行きについていけず目を丸くするばかりのフレッド。そのまま傍観していると今度は天井に向かって指を組み突拍子もなく祈りをささげ始めた。
「ああ、おじいちゃん……! シルフィのところにもやっと王子様が現れましたっ」
場の異様な空気になじめずフレッドは頭を掻いた。少女に話しかけてもよさそうなタイミングを窺っている。
「あのさ、俺以外に三人いなかったかな。こーんなのと、こうゆうのと……」
目を極端に釣りあげたり、くりくりさせたりして仲間のことを問うフレッドに、シルフィは事もなげにフレッドの背後を指さした。
 クレスの分かりやすい特徴と言えばやはりあの決め込んだアップスタイルの髪だと思い、フレッドは頭のてっぺんで両手をパタパタ仰いで彼女の安否を確かめている最中だった。そのままの態勢で振り向くと、腕組みをしたクレスが口元をひきつらせて仁王立ちしていた。すぐさま手を引っ込めるフレッド、寝起きにしてはなかなかの反射神経だ。
「それはもしかしなくても私……よね」
静かすぎる口調に恐怖を覚えて作り笑いで取りつくろう。それも限界を超えると向き合っているのが辛くなって再びクレスに背を向けた。彼女の嘆息だけが響く。
「みんな友だちなの? 良かったー、一応連れてきて。ね、ね、フレッド! 何かあったかもの食べようよ! みんなも起きてきたみたいだしっ」
「え? あ、ああ……」
ハイテンションな少女に一方的にごり押しされて生返事すると同時に、示し合わせたようにルレオとミレイがむくりと起き上がった。これだけ騒がしくしていれば死人でも一旦目を覚ます。
「すみませぇーん……ちっとも予言入ってこなくて……みなさんご無事ですかぁ?」
起きて早々、凄まじい寝癖頭も気にせずがっくり肩を落とすミレイ。内心フレッドは予言を充てにしていたため爽やかな慰めが思いつかず苦笑いだけを返した。ミレイの隣で鬼神のごとき形相で頭をかきむしっているのは言わずと知れたあの男だが、予想以上の寝起きの悪さに恐怖すら覚えてフレッドはただただ目を合わせないように努めるばかりだった。
 そうこうしている内にキッチンから香ばしい香りが漂ってきた。鼻が無意識に香りを辿る。
「シルフィ特性シチューのできあがり~。冷めないうちに召し上がれ、フレッドっ。お仲間さんもどーぞ」
身体に不似合いな大きなミトンを嵌めて大きな鍋を抱えて、シルフィは満面の笑みで顔を出した。性質なのか、まるでずっと一緒に旅をしてきたかのように人懐っこい。各々決まりごとのように顔を見合わせたが、警戒する意味はそう無さそうだ。
 愛らしい赤チェックのテーブルクロス、年季の入った木の椅子に皆のろのろと腰を下ろす。香りを乗せて立ち上るシチューの湯気に、思わず生唾を飲んだ。
「食おうぜ。腹も減ったし」
「そうですねぇ。よくわからないけど体力も使ったみたいだし」
ルレオとミレイがいち早くスプーンを握る。便乗しようとするフレッドを睨みつけてクレスは軽くテーブルをたたいた。
「その前に。訊くべきことがあるでしょう。ここはどこなのかとか、あれからどのくらい経ってるのかとかっ。ちょっとは危機感を持ってよ、呑気にシチュー食べてる場合じゃないでしょ」
しぶしぶスプーンを置くフレッドに続いてミレイも、ルレオは握ったまま微動だにしない。
「食べながらお話すればいーじゃない。食べよ食べよ、冷めちゃうよ」
「賛成~。腹が減っては何とやらだ、いただきまーす」
既に準備万端だったルレオは誰よりも先にスプーンを口に運ぶ。負けじとフレッドもこの機に乗じて口をつけた。期待通りの味が舌の上に広がる。身体の芯から温まるような安堵も覚える。そんな至福の時を噛みしめてからようやく、フレッドもひとつの違和感を持った。何故こうまで身体が冷えていると感じるのか──海に落ちたのかもしれないが、そういった生死に関わるような体温の低下を感じているわけではない。今、思い出したように寒いのだ。確認しようとクレスを見る。彼女は諦めたように黙々とスプーンを動かすだけだ。
「ね、フレッド。味はどーお? おいしい?」
身を乗り出したシルフィが視界を塞ぐ。フレッドは一旦思考を止めて、微笑を返した。
「うまいよ。ちっちゃいのに料理うまいな」
「えへへー。でしょっ。おかわりあるからどんどん食べてね」
また笑顔を返してフレッドは形の整ったニンジンを頬張った。シルフィもきちんと席に着き直して食事に取りかかる。
 しびれを切らしたクレスがここで咳払い。視線はあからさまにフレッドに向けられている。目が合ってしまったからには話を切りださねばならないだろう。無論、寒さの話ではなく先刻彼女がいきり立って掲げたいくつかの項目についてだ。
「あのさ、シルフィ……っつったっけ? 家の人は? 出かけてるのか?」
ひとまずジャブから入ることにした。こういうことになると点で頼りにならないのがフレッドだ、そしてこのつまらない質問はつまらない上、場が悪かった。
「おとーさんとかおかーさんってこと? いないよ。シルフィが生まれてすぐ死んじゃったから。三か月前までおじーちゃんが居たけどおじーちゃんも死んじゃったし」
「──ってことは、この家にはシルフィひとりで住んでんのか」
「そうだよ。料理や勉強は全部おじいちゃんが教えてくれたの」
 三か月前と言えばそんなに遠い昔の話ではない。家は割合広々としている。この家にこの小さな女の子がたった一人で三カ月暮らしてきたかと思うと居たたまれなくなった。それを感じさせないのは少女が笑って話を続けるせいかもしれない。思いだして辛いことよりも、楽しいことの方が多いのかもしれない。〝おじいちゃん"の名を口にし、誰かにその話をできることが嬉しくて仕方ないようだった。
「そこにある本も全部おじいちゃんのものよ。動物の本とか、言葉の本とか、この国の歴史とか……あ、音楽の本もあるんだからっ。何でもそろってるの」
「図書館みたいだな」
フレッドが優しい冗談で返して席を立つ。シルフィの指さす本棚へ足を進めた。本棚は彼女の背丈に合わせて小さめに作られており、フレッドはしゃがみこんで背表紙を指で辿った。
 シルフィが何気なく口にした言葉に、今度こそフレッドは違和感の正体を突き止めようと思った。この場所が一体どういうところなのか──歴史の本とやらに目を通せば、楽に納得できる。それがクレスの抱いているものと同じ違和であることは無論本人同士は理解していない。
 本はどれもこれもかなり古い。背表紙に刻まれているはずのタイトルが完全にはがれおちているものもいくつか見受けられる。その大雑把な検索の指が、ある本のところではたと止まった。
 本棚の最下段に身を隠すようにひっそりとその本はあった。深緑色の装丁は人一倍古ぼけている。背表紙のタイトルは始めからそこには何もなかったかのように綺麗にはがれていて読めない。フレッドはおもむろにそれを手に取った。表紙には金字でタイトルが刻まれていたようだ、その程度のことしか読み取れない。表面の埃を適当にはたいて、フレッドは表紙をめくった。
 彼には予感のようなものがあったのかもしれない。そしてこの本は、彼に見つけられるのをここでこうしてじっと、待っていたのかもしれない。
「……シルフィ、これ、どこで手に入れた……?」



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