Fine Snow Chapter 13

抑揚のない声でフレッドが問う。気になってシルフィも食卓からこちらに駆けてきた。背伸びをしてフレッドの視線の先、古ぼけた本のタイトルを事もなげに読み上げる。
「ああ、『ラルファレンスの指輪』ね。全部おじいちゃんのだからどこでなんてのは知らないけど……これがどうかしたの?」
「……これ、初版だぜ? てっきりうちにあるのが一番古いやつかと……。凄いな、こんなところでこんなもんに会うなんて思わなかった」
ゆっくり頁をめくるフレッド、手元は丁寧かつ慎重に、無意識に何度か感嘆が漏れていた。ところどころ赤茶けた紙が、その歴史を物語っている。魅入りすぎたのか、いつのまにか背後に立っていたクレスに気づいて小さく声をあげる。
「歌劇のストーリーの方ね。ファーレン城の書庫にもあったけど……ずいぶん赴きが違うみたい」
「話自体が少し違うからな。今出回ってるのはアレンジされてるんだ、原版はこっち。俺が好きなのも……こっち」
クレスは惜しげもなく意外そうな顔を晒した。フレッドがベルトニアでつたないピアノを弾いていたのは記憶しているが『ラルファレンスの指輪』に入れこんでいるとは初耳だ。
「気に入ったならあげよっか?」
「え! それは悪いよ! なあ!」
言葉とは裏腹に表情は緩む。あからさまにラッキーという顔をして目を輝かせた。
「いーよー。どうせあたし、そこにある本は何度も読んで見飽きてるもん。その本もほとんど暗記状態」
なんだかんだと言いながら既にしっかり本を小脇に抱えているフレッド。自分よりもはるかに年下の少女から弟を気遣うような視線を送られていることも気づかずに、子どものように喜んでいる。
 フレッドの無駄に詳しい解説のせいで、話はどこまでも脱線しようとしていた。今やクレスもそれに乗ってしまっている。空腹を満たされたルレオとミレイは、はじめから大した疑念があったわけではないし順路に戻るのは相当に後のことかと思われた、矢先のことだった。
「はー、もう。そろそろ雪止んでるかなあ? いい加減外に出ないと体がなまっちゃう」
心も胃も満腹のフレッドの横で、カーテンが軽快に開かれた。そのシルフィの何でもない動作が、一行を、本来あるべき姿──だがどうしようもなく面倒くさい事態──に強制送還した。
 窓の外は見たこともない、一面真っ白な世界。どこまでもどこまでも続く雪原に、はらはらと音もなく雪が追加発注されていた。ルレオもミレイも、目を見開いて席を立つ。
「どこだーーーーー!! おい、何だここ! っていうか気球! どうなった!」
「ななななななな、なんですかぁこれ! ユキ! 初めてみた! 白い!」
「何なのよ今さら……! ちょっと落ち着いて……っ」
「はあ? お前アホか! 落ち着いてる方がアホだぞ、どう考えても! 危機感を持てよ!」
シチューを完食した男にアホ呼ばわりされるクレス、もっと言えばその台詞は最初にクレスが言ったものだ。しかしここで正攻法で異議申し立てをしても引き続きアホ呼ばわりされるだけで場は静まらないだろう。頭を抱えたクレスの隣で、フレッドはやはり、魅せられたようにぼんやりと窓の外を眺めていた。説明抜きで状況のみを目の当たりにして、ここまでぼんやりされるのもまた考え物だ。
「フレッド、大丈夫?」
「いや……寒いなと思ってはいたけど」
整理がつかないまま応答しているせいで、半ばどうでもいいことから口にする。
「北の大陸、か……?」
フレッドの何気ない一言に、叫びまわっていたルレオが一瞬で口をつぐんだ。口を限界までへの字に曲げて竦められるだけ肩を竦め、フレッドの眼前に詰め寄る。
「お伽話だろうが、ラインの向こうの『北の大陸』! ……おい、ファーレン護衛隊長、言ったよな? 海境を越えた先に大陸はないって」
「……無人島ならいくつか確認されてるわ」
「だけどそれはこんな豪雪地帯じゃないはずだ。海境付近は比較的熱帯寄りの気候が保たれる、そうだよなあ?」
正しい見解だから返答が見つからずクレスは黙った。ルレオは案外というか予想外というか、妙なところで博識だ。
「つまり海境付近じゃない、海境をまたいだ先の『北の大陸』だろ」
フレッドが呆気なく、結論を出した。おいしいところどりとも言うが、今のルレオにそのあたりの上げ足をとったり文句をつけている脳内の余裕はない。
 本来の彼らの目的地は、その海境付近というやつだった。第二ラインを守る、目的そのものは非常にアバウトだ、方法も合理的とは言えない。そうして辿り着いたのがこのある種お伽の世界、あるはずのない北の大陸。しかしここにはシルフィがいた。そしてフレッドの知るものと同じ『ラルファレンスの指輪』があった。存在の証明は十分である。
「なあシルフィ、この大陸に他に人は住んでないのか?」
「うーん……いない、と思う。おじいちゃん以外には会ったことないもん。シルフィだけだよ、ここに住んでるのは」
何でもないことのように言うシルフィは、フレッドにとっては奇妙としか形容できない。幼い少女が一人きり、この雪に覆われ閉ざされた世界で生きてきたのかと思うと胸が熱くなる。
「フレッドたちは……やっぱり外の国から来たんだよね……?」
「ああ。ここからずっと南、第二ラインの向こう側からな」
シルフィを見て優しく微笑する。フレッドのその何でもない説明を聞いた瞬間、彼女の小さな脳内を電気のようなものが猛スピードで駆け抜けていった。
「ひょっとして! まさかまさか今年って……! そっか、だから皆既日食だったんだぁっ、今年はちょうど千年目だから!」
いきなり焦り始めて小走りにカレンダーを確認しに向かうシルフィ、テーブルやら椅子やらの角にところどころ体当たりしながらも辿り着く。一同が呆気にとられていると、シルフィはその幼顔には似つかわしくない不敵な笑みを浮かべて再び皆の前に戻ってきた。
「あたし、答えられるかもしれないよ。みんなが知りたがってること。外の人が忘れてしまった当たり前のこと、あたし教えてあげられる」
 その一瞬、心臓が止まったのかと思ってフレッドは思わず胸を押さえた。全てを見透かしたような強い眼差しに、うかうかしていると吸いこまれそうになる。根拠はこれといってなかったが、彼らが求めていたものの本質は、この小さな女の子が握っているような気がした。
「聞いてやろうじゃねえか。どうせこの吹雪じゃ一歩も外に出られねぇんだ、いい暇つぶしになるぜ」
一番鼻で笑い飛ばしそうだったルレオが皆の意表をついて真っ先に席に座り直す。どこまでも上から目線の言い草は置いておいて、他の者もおもむろに椅子を引く。最後にシルフィが、足のつかない大人用の椅子に飛び乗るように腰を下ろした。クリスマスプレゼント用の大きなぬいぐるみのようだ。
「……この子に何を聞くつもり?」
半信半疑、否、あからさまに怪訝そうな顔をしてクレスが小声でささやく。フレッドはかぶりを振ってクレスの不安や不審を受け流した。
「何でもいい。シルフィがさっき言ったことでも適当に話してくれるか」
フレッドが神妙な顔つきで話を促すと、シルフィも及ばずながら似たような顔を作ってみせた。クレスが言うような、いわゆる質問的なことはこちら側からは切り出しようがなかった。
「うん、えっと……何から話そうかな。今年はね、海のライン……みんなが言ってる第二ラインのことだと思うけど、それが生まれてちょうど千年目なの。星にとって、とっても特別な年……」
「星……って?」
クレスが半ば無意識にオウム返しする。シルフィの語りはお伽話を語るそれのように、静かで綺麗だった。クレスの疑問にゆっくり頷く。
「この星のことだよ。フレッドやあたし、動物や植物、みんなが生きてる星。あたしたちの間では星は神様の箱庭で、歴史は神様の日記だって言われてるの。この星はずっとずーっと昔に神様が作ったものなんだって。そして、いろんな生き物とか、海とか山とかを作っていったの」
 フレッドはひとり、嫌な懐かしさを覚えていた。初等教育を受けていたころ、うんちく好きな翁教師が暇を見つけてはだらだらと話していた世界論と全く同じだ。あまり興味のある内容ではない。



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