「まあどっかでよく聞く宗教論だよな」
ルレオがあっさりとした野次を飛ばすがシルフィは気にせず続けた。
「だけど人間って生き物は神様が作った中で最も愚かだったの。余計な知恵をどんどん身につけていって箱庭は争いごとが絶えなくなった。憎み合い、傷つけあい、奪い合った。そうしてそこには償いきれないたくさんの大罪が生まれた」
シルフィの口から滑り落ちた言葉に皆息をのんだ。フレッドは黙ったまま、ただ耳だけに意識を集中させている。
「怒った神様は人間に罰を与えたの。人々はみんな、身体のところどころが不自由になって生きていくことを余儀なくされた。それでも償いきれないたくさんの罪を、神様は二度と見つからないようにあるところに隠した。それが──」
「ラインか……」
「ピンポーン。神様は、大地を無理やり隆起させて星を東西真っ二つに分っちゃう山脈を作りましたっ。それが第一ライン、人間の最初の罪の封印地だよ」
フレッドはこみ上げてくる何かを留めようと咳払いした。感動する場面も激昂する場面も話の中にはなかったから、単純に胃液だったのかもしれない。それとも異常を訴えているのは胃ではなく、心か。彼女が語っているのは紛れもなくあの"大罪"、マリィの足の自由を奪いスイングを、ベルトニアの多くの民を再起不能にした悪夢のような現実を、この少女はまさにお伽話として綴る。
「だけどラインの歴史はそこで終わりじゃない。分かるよね?」
「第二ライン……海境、ね。それも大罪の封印地だって言うの?」
「人間は愚か過ぎた──っていうのは、よくおじいちゃんが言ってたことだけど、きっとそうなんだろうね。過ちは何度だって繰り返すんだもん。第一ラインから千年後、第二ラインに封じられた大罪はもっとひどかった。人は武器を作って火も水も、自然の全てを戦争の道具にしてしまった。これが歴史でいうところの『世界大戦』、神様はまたラインを作るハメになっちゃったというわけ」
「歴史上最悪とかいう世界戦争、か。それが第二ラインの大本だってか?」
ルレオが梁に寄りかかって腕組みをした態勢で確認する。
「そうだよ。この大陸をめぐって南の、きっと今のあなたたちの国ね。海でも空でも、もちろん陸でもお互い命の奪い合い。ここの人たちも自分たちを守るために殺し合いを強いられた。……神様は、北の大陸と南のいくつかの諸国が金輪際接触することがないように、今度は南北を真っ二つに隔てる底なしの谷、『海境』を作ったというわけっ。これがこの星のはじまりで、歴史だよ」
シルフィはこれでお終いと言わんばかりに大きく吐息をついた。
ラインを守れ──スイングの最後の言葉(と言っても当人は生きているが)の意図するところがこれで見えた気がした。無論この少女の話を全て鵜呑みにすれば、という前提での話だがそれはもはやここに居る者の間では暗黙の了解として共有されているようだった。フレッドが知りたいのはここから先の話だ。おそらくシルフィは、ファーレンやベルトニアの知らない歴史の真実を当たり前のこととして知っている。
フレッドは腹を決めた。もう後戻りはできない。
「なあ、シルフィ。もし知ってたら、だけど聞きたいことがあるんだ。……いいかな?」
「分かることならなーんでも! 任せて!」
フレッドに頼りにされたのがよほど嬉しいのか、シルフィは小さな胸に握りこぶしを打ちつけて大きく構えた。フレッドが少しだけ頬を緩ませる。すぐに口角を下げた。
「今、海境の向こうの俺たちの国で内乱が起きてる。始めは本当にただの内乱だったんだけど──」
それからフレッドは今まであったことを洗いざらい話した。自分が王位を継承したこと、ルーヴェンスの独裁、ベルトニアで見たラインの光、そして大罪を与えることのできる赤い髪の少年、目まぐるしく起こった全ての出来事をできるだけ詳細に、主観を加えず語った。途中でルレオがフレッドの失態について補足してきたが、そこはうまく誤魔化す。クレスはいろいろと思うところがあるのだろう、俯いたまま沈黙を保っていたし、ミレイは自身では体験していない諸々の出来事を確かめるように話に聞き入っていた。
フレッドが嘆息して話の終わりを告げると、シルフィは険しい顔つきで咳払いをした。
「フレッドのお兄さんは……きっと全部知ってたんだね。これから起こること、みんな」
フレッドはただ頷いた。そうして問題を山積させたまま眠り続けている。主観を少しでも加え始めるとやはり苛立つばかりだ。
「大罪って言うのは……前世の悪行を来世で償うっていう神様が科した罰だよね。だったらその大罪を操るって言う赤い髪の子ども、誰だか分かるでしょ」
クレスとミレイは口元を押さえ、驚愕に顔を歪めた。勘の鋭いのがその二人で、残り、つまり鈍い男性陣はそろって小首をかしげている。見かねたミレイが申し訳なさそうに口をはさんだ。
「気づきませんか? 大罪を操ることができるのは神様だけなんですよ。それ以外にはいないんです。つまりあの少年が……」
ミレイの易しい説明をこれみよがしに遮って、ルレオが席を立つ。ミレイは彼の思惑通り目を丸くして咄嗟に口をつぐんでしまった。それで満足したらしい、ルレオは席に着き直す。
「でしゃばんな。気づいてたに決まってんだろ。あの気味の悪いガキが神サマ! 気づくっつーの、誰でも!」
よほど恥ずかしいのだろう、上ずった声で必死に弁解するルレオ、フレッドと同格扱いされたのも気に障ったらしい。声を張れば張るほど哀れだが、クレスもフレッドも今はそんなルレオに構っている心の余裕がなかった。よって思いきりスルーする。
「あの子どもが仮に神だったとして……どうして罪のない人たちにまで大罪を与えたりするんだよ。それに何でルーヴェンスなんかに加担してる?」
「……そうね。それにあの子ども、神というよりはどっちかっていうと……」
フレッドとクレスが同時に疑心を口にするとシルフィは大きくかぶりを振ってそれに答えた。
「内乱って戦争でしょ? その中に罪のない人なんていないよ」
また心臓が大きく脈打つ。今日一日だけで何度一旦停止したかしれない、停止したかと思うと走り出す鼓動に血液が沸き立った。
「神様は本当は綺麗な金色の髪に真っ白な衣をまとってるって話。普段は箱庭の外でただ日記をつけてる。だけど千年ごとに星に降臨してラインを作ってきた。……千年ごとに罪を購わせてる。星に降りるときにだけ、赤い髪に黒い衣に姿を変えて神様は大罪をもたらす死神となるの」
クレスの脳裏に、ファーレン城地下牢で目の当たりにしたその怖ろしい笑みがよぎった。ほとんど無意識に身ぶるいしていた。シルフィの言葉を疑う余地など、ましてや否定の言葉など持ち合わせていない。あの言い知れぬ恐怖の存在に『死神』という的確な呼称が添えられたことで、むしろ納得してしまうくらいだった。
「そして今年は第二ラインが作られて千年目。死神が第三のラインをつくって人間を抹消する千年に一度の年。ルーヴェンスっていう大臣に就いてるのは都合じゃないかなあ」
「便宜上ってことか。単独では動けない……?」
「かもしれないわね。侵略者に就けば一番手っとり早く国境のラインを解放できる」
それはまさにその通りになった。死神がルーヴェンスを利用しているのか、相互に契約を結んでいるのかは定かではないが、双方が行動を共にすることで互いに利益が生じているのは明らかだ。シルフィから情報を絞り出すと、今度は各自勝手に推測と考察を繰り返す。
「つまりサンドリア隊長が聞いた──死神が言ってた〝ラインの解放"ってのはやっぱり大罪の封印を解くことなんだな」
そして漏れ出した大罪は今を生きる人々へ与えられる。星を取り巻く二つのラインは、神の怒りと憎悪と深い悲しみが作りだしたものだった。第二ライン(海境)ができて千年、この長いような短いような間にファーレン国内だけをとってもいくつもの戦が繰り返された。フレッドが生まれてから今まで、という短い期間だけをとってもそうだ。十三か月戦争があり、それを忘れもしないうちにこうして王位をめぐって争いを続けている。
クレスが考えるのをやめた。あまり良い結論には辿り着かなかったようだ。
「それじゃあルーヴェンスを止めてファーレンを取り返しても無意味じゃない。神にとってそれは、大罪に値する行為のひとつにすぎない。そういうことでしょう?」
ここへ導かれたのは幸か不幸か、真実を知ることはいつもそれ相応の覚悟と代償が必要だ。胸に宿るのはぬぐいきれない絶望と虚脱感。