「何やってんだフレッドの野郎。様子見に来てやればこれだ」
ぶしつけに、ルレオが珍しく小声で皮肉を口走る。主にクレスに標的を定めてずらりと半円隊列を作る弓兵隊を目にすればその反応も妥当だ。ミレイも甲板に足を踏み入れた途端小さく悲鳴を上げた。ルレオは更に鼻で笑い飛ばす。
「ルレオさんっ、笑ってる場合じゃないですよ……っ。早く何とかしなきゃ」
「自分で首突っ込んで自分で負けてんだろ? 俺が手ぇ出す義理はねぇな」
「義理人情の問題じゃないんですってば! フレッドさんピンチなんですよ? クレスさんだって囲まれてるじゃないですか、もうっ」
耳元でヒステリックに叫ばれて眉を潜めると、ルレオは仕方なくボウガンの安全装置を外した。
「ほんっとにしょうがねぇ坊ちゃんだな……。おい、チビ助! 耳貸せ!」
シルフィのフードを力任せに引っ張って見えない耳に無理やり作戦を詰め込む。ルレオの横暴がどうとか不平を垂れている場合ではないことはシルフィにも分かっていたし、それだから不服ではあったが手早く頷いて了解した。
「どうするんですか? 助けるんですよね? ここから?」
「やかましいっ、すっこんでろ」
いつになく真剣なルレオ、ただ一点を凝視しておもむろに狙いを定める。ルレオが横目でシルフィに合図すると、彼女は巨大大根でも引き抜くように全身全霊でフレッドの剣を抜いた。
外野の三人がこそこそと起死回生をもくろんでいた頃、フレッドとニースは未だこう着状態を保っていた。たった数分前フレッドがそうしたように、ニースはフレッドの首筋に剣先を突き付けている。
「お互い相手のこと知りつくしてるんなら裏をかかなきゃ意味ないだろ? ……俺の勝ちだ」
身動き一つとれずにフレッドはただ生唾を飲むばかりだ。
「両手を床につけてゆっくり伏せな。それと……クレスさん、剣は抜いてくれるなよ。串刺しが嫌ならさ」
ニースの指摘に弓兵が再び脇をしめ直す。気づかれぬよう刀身と鞘の間に挟んでいた指を離し、クレスは小さく舌打ちした。
「ニース、弓兵は退かせろよ。いくらなんでも仰々しい」
「あの人はお前と違って頭がいい。ここで何か仕掛けられでもしたら見落としかねないからな」
ニースは目ざとい。そして慎重派だ。故に彼の注意をそらすことは容易ではなかった。この、思わぬアクシデントでもない限り。
「クレス! 避けろよっ!」
沈黙を破って飛んできたのは高速の矢、十数本。クレスたち目がけて加速する。放ったのは無論ルレオだが、ニースの不意を突くにはもってこいだった。放たれた矢の内、6本は弓兵を見事に撃ち取り2本は宙を切って遥か遠くへ、そして残りの2本はクレスに向かった。それを抜刀していとも簡単に落とす。クレスにとって必要だったのは、剣を抜くための一瞬の時間の空白だけだった。
「チビ! 今だ、思いっきりぶん投げろ!」
「分かってるよ! フレッド、受け取って~っ!」
ニースが集中力を欠いた時間といえば総合しても五秒程度に過ぎなかった。その五秒間で形成は変わる。クレスは周囲の弓兵をこれでもかとばかりになぎ倒し、ルレオたちと合流をはかる。そしてフレッドは投げられた剣を軽くジャンプして受け取ると、間髪いれずニースの剣に切り払いを決めた。
「仲間が居たのか……!」
剣と剣が奏でるどこか心地よさすら覚える不協和音にフレッドは活路を見出した。防戦一方になる必要はなかったのだ。ニース自身を攻撃せずに彼を追いつめる方法はいくらでもある。そしてそれは、どちらかと言えばフレッドの得意とする戦法だった。二度、三度、ニースが完全に体勢を整える前に同じ個所に剣撃を加える。全く同じ音階が鼓膜を揺さぶった。
(まずい、力押しされてる……!)
「フレッド、やっちゃえ~!」
ニースの顰め面、シルフィの歓声、今のフレッドには全ては背景的に流れるだけだ。感覚を支配しているのは鋼を打ちつける美しい単純音階のみ、強く、強く、一定のリズムを刻む。ニースがフレッドの意図に気づいて体勢を変えようとするも、既にそれは後の祭りだった。
「終わりだ!」
派手な粉砕音がした。フレッドの渾身の一撃は打ち続けたポイントにヒットしてニースの剣を打ち砕く。バランスを崩しよろめくニースに今度こそチェックメイトの剣先を突き付けた。そのまま彼の耳元を掠めて地面に突き刺す。
ギィン! ──向かってきた鉄製の矢はルーヴェンス兵のものだった。鈍い音がしたのはクレスがそれを撃ち落としたからで、気づけば周りは数えるのも面倒な数のルーヴェンス兵で埋め尽くされていた。クレスが無言でフレッドの脇に就いたのもそのせいだ。
「完全に囲まれたな……どうする?」
「行くわ。フレッドはこのまま彼を封じてて」
「突破するつもりか?」
「つもりよ。何かご不満?」
クレスが漏らした勝気な笑みに、不思議とたいした不安は抱かなかった。飛び交う鉄の矢よりも、フレッドが打ち砕いた鋼よりもクレスの意志の強度とやらは固いに違いない。二人は互いに背を向けたままで、その呼吸とその声で安堵を得ることができた。フレッドは応答する代わりに小さくため息をこぼす。
「合図したら突っ走れ。こっちは俺たちで何とかする」
視線は先刻からずっとニースの向けたままだ。フレッドの言葉にうなずくクレスも、見つめているのはルーヴェンス兵の面々。何一つ噛み合っていないようでいて、一番肝心なところが確かにつながっているのを互いに感じていた。
ルーヴェンス兵のひとりがおもむろに弓を引く。クレスが反応して一歩後ずさった。
「今だ! 走れ!」
あまりにも唐突なスタート合図、にも関わらずクレスは脇目もふらず敵陣をかいくぐる。
「ルレオ! 援護して!」
「言われなくてもやってるっつーの!」
心外そうに口元をひきつらせるルレオ、それでも彼の射撃は誰よりも正確で無駄がない。無造作に放たれたように見える矢は、全てルーヴェンス兵を射抜いた。
「行かせるかぁ!」
キィィン! ──ニースの手に握られたナイフの一撃を寸前で受け止める。フレッドの背中に冷や汗が流れた。
「お前の相手は俺だろ! よそ見してんな!」
「怯むなぁ! かかれー!」
「おおぉー!」
戦の咆哮を背に、クレスはひたすらに走った。飛び交う矢と様々な感情をかいくぐって無心で船底を目指す。誓願、怒り、憎悪と哀惜、入り乱れる思念を背に回して彼女は走った。
この船は他のファーレン戦艦とは違う。搭載設備や外観に大した違いはないものの、クレスにとってこの船だけは別格であった。正確にはクレスと、セルシナ皇女にとってはだ。造船開発が本格的に始まったのは四年前のセルシナ皇女の誕生日、その日もクレスはいつも通り皇女の傍らで彼女の護衛任務に就いていた。
「この船……私が即位する頃にはできあがるのでしょうね。そうしたらいろいろな国へ渡れる。私自らの足で、ベルトニアにも。ヴィラにも」
ふと皇女が漏らした言葉が脳裏をよぎった。まだ骨格段階の船をまぶしそうに見つめて、独りごちたようでもあったがその言葉は確かにクレスに向けられていた。
「……皇女自ら他国へ、ですか……?」
「いけない? 私のための船ということはそういうことでしょう。……権威を誇示するための飾りの船なら要りません。この船は、架け橋になるべく作られているのです。私が乗るときはあなたも当然隣に居る、つまりこれは私の船であり、あなたの船でもあるの」
「勿体ないお言葉です……」
どこまでもかしこまるクレスを見て屈託なく笑う皇女は、どこか普通の女の子のような無邪気さを見せていた。それを許すのは、気心の知れたごく僅かな家臣といるときだけだった。
クレスは昔を思い出して無意識に微笑していた。今彼女が細心の注意を払いながら船底に向かっているこの船は、そういう船のはずだった。しかし実際完成した船は、主を違え目的を違え全くの別物として存在している。別物──そう割り切ることで気力を奮い立たせる。
機関部に辿り着いた。甲板で敵も味方も大暴れしてくれているせいで、拍子抜けするくらい楽にここまで来ることができた。クレスが剣一本を携えてできることと言えば、この機関部の主要な蒸気パイプを切断することくらいだ。その大したことのない動作で船は死ぬ。一度も正しい方向へ舵を切られることなく、その生涯を終えることになる。クレスはただ哀れに思った。この船の運命に、正当な主に、そして全てを断ち切る役目が皮肉にも自分であることに。
「さよなら……、ごめんなさい」
誰に告ぐわけでもなくぽつりと呟いて、クレスは剣を振りおろした。