Causal Relation Chapter 14



「どこだシルフィ! ミレイ! 返事しろ、手ぇあげろ、顔出せ!」
「はいはい! シルフィここにいます!」
 妥当な状況というか、分かりきっていた結果というかフレッド、ルレオ、シルフィ、ミレイ、このたった四人に対して百名弱も兵を宛がわれれば互いに見失うのも無理はない。お粗末なのが、ルーヴェンス兵までもが彼らの所在を把握できていないところだ。
「無事だな! ミレイは?」
「えーっと、とんがりつり目の近くにいたと思うっ。あっちよ!」
「そっちに合流しよう。俺から離れるなよ」
「はぁいっ」
シルフィは元気に挙手すると言われた通り(半ば過大解釈して)フレッドにしがみついた。この状況下でこれだけ度胸が据わっている少女も稀だ。泣きわめかれるより百倍良かったが、正直異常である。祭りの中はぐれぬように進む親子のようにフレッドはシルフィの手を引いてルレオのつんつん頭を探した。
(きゃーきゃー! 手ぇ握っちゃってる! デートもまだなのにいいのかな? この分だと初キッスももうひと頑張りね!)
目を血走らせたフレッドの後ろでフィーバーしているシルフィ、頭上で矢が飛ぼうが血が舞おうが彼女には関係のないことらしい。


「オラオラどこに目つけてんだ! ぼやっとしてっと頭が吹っ飛ぶぞ!」
得意の早打ちで軽く十本あまりの矢を放つと見事にどこかしらで悲鳴が上がる。満足そうに決めポーズを作るルレオだが、彼の大道芸のせいで周辺のルーヴェンス兵がこちらの位置を掴んでわき目も振らず突進してくるのが見える。
「どーっして、そう挑発するんですか! 大人しくしてれば平和に逃げられたかもしれないのにっ」
「うるせぇっ! 敵のど真ん中に放り込むぞ! 嫌なら口挟まずにひっこんでろっ」
理不尽だと分かっていても言い返せないのがもどかしい、頭を抱えながらもミレイはちゃっかりルレオの後ろに避難している。この歩く災害呼び寄せ機の付近に居たのが運の尽きだ。ミレイは涙目で極限まで体を小さく丸めていた。
 雨のように降り注ぐ矢の中、やっとのことでフレッドたちはそのミレイを発見するに至るわけだが、あまりの不憫さにしばらくは声をかけるのをためらった。が、そうも言っていられない。フレッドが屈んで体勢を低くすると隙間のほとんどない群衆の中を網の目を縫うように進む。最終的にミレイの下に辿り着いて、彼女のサイズに合わせてフレッドも更に身を縮めた。
「無事か? 大変だったな、ごくろんさん」
他人事だと思うとルレオの暴走も痛くも痒くもない。
「フレッドさぁん……止めてくださいよ、私じゃ手に負えません」
「どうせむやみに目だってんならこのまま利用させてもらおう。ルレオを囮にして俺たちは脱出するぞ」
ニースが駆けた縄梯子に視線を送る。ミレイは少しだけルレオを見やって思い直したように力強く頷いた。三人はそのまま器用に屈んだまま移動する。ルーヴェンス兵は目先の格別目立つ獲物に気を取られ、妙な動きの三人に気づく者はいない。と、ミレイが後ろからフレッドの服の裾を引っ張った。
「フレッドさん、クレスさんはどうするんですか? まだ下に……」
「放っておいても追い付いてくる。今は自分たちの心配したほうがいい」
 シルフィが梯子に手をかけたと同時に、後方で新たな悲鳴が上がる。覗きこもうとするシルフィとミレイを無理やり梯子の奥に追いやってフレッドが振り返った。クレスが、演武のように美しい太刀さばきを披露しているところだった。いつの間にかその後方支援に徹しているルレオを尻目に、クレスは額に汗ひとつかかず次々とルーヴェンス兵をなぎ倒していく。それは息をのむほどに鮮やかだった。事実フレッドは数秒何もせず見惚れていたのだから。その自分でも説明しがたい数秒を終えて、思い出したように叫ぶ。
「クレス! こっちだ!」
気づいたクレスが一旦剣を下ろして声の方向を確認した。フレッドの姿を視界に入れるなり大きく息を吸って負けじと声を張り上げた。
「船底に穴開けといたから! 直に沈むわ! みんなそこにいる?!」
険しい顔つきで素早く頷くフレッド。クレスの宣告を聞くや否や残りの矢をがむしゃらに放つルレオ。二人とも特に感慨は口にしなかったが胸中は似たようなものだ。ルレオの最後の大放出は自分とクレスの逃走路を開いた。
「船に穴だとぉ……! 全員守備位置に戻り船底を塞げ! もたもたするな!」
敵の混乱に乗じてクレスとルレオが一目散に走り出す。それを確認してからフレッドも梯子にしがみついた。
 三人が無事撤退した直後、大きな振動と悲鳴が轟いた。船は徐々に傾き始め、ものの数分で海の底へ消えた。その船は何も知らなかった。完成を待ち望んだ美しい主が居たことも、多くの美しい国々と海洋を渡るはずだった自らの使命も、知らずに沈んだ。
 クレスは静かに胸に手を当て、黙ってその光景を見ていた。


 肌にたたきつけられていたような風が、夕刻近くなって一気に穏やかになった。優しく包み込むように頬をなでる。気分としてはそれをぼんやり感じていたかったが、状況としてそれは許されなかった。風が完全に止んでしまえば、この海境付近で船は立ち往生してしまう。ライン越えをするに当たってこの機を逃してはならないのだ。つまり、慌てふためかなくてはならない。冷静を保つ、ということをわざわざ前提にするならば、少なくとも機敏に行動をとらなければならない。理解はしていたが、フレッドはどうも他人事のように振舞っていた。
「本当にこの船でラインを越えられるの? 海境が狭くなるなんて俄かには信じがたいんだけど……」
「平気だって言ってるでしょっ。それに狭くなるんじゃなくて、狭くなる場所があるっていうだけなんだから」
ライン越えにおいて先導をとるのはシルフィだ。クレスが口を挟んだようだったが呆気なくあしらわれた。「ようだった」と言うのは、やはりそれも視界の隅の方での出来事にすぎないからだった。そして今のフレッドにそれらを視界の中央に持っていく気力はない。
 両掌が僅かに震えていた。寒くも無ければ何かに怯えているわけでもない。ニースの太刀を受け続けた結果こうなった。しびれていると言った方が正しいのかもしれない。
「フレッド。疲れているのは分かるけど、みんな一緒よ。あんまりぼうっとされると困る」
声は視界の隅ではなく、視界の外から、もっと言えば耳元すぐ近くから聞こえた。クレスが、フレッドの視界の中に押し入る形をとる。
「ニース、さんのこと考えてるんですよね……」
今度は横からミレイが割り込んでくる。フレッドとしては今は──せめてこの手のしびれが収まるまでは──思考や視界に、他人を介入させたくなかったのが本音だ。状況的に無理なことは承知しているから生返事を返す。
「考えても仕方ないでしょう。彼はルーヴェンスに引きずられてそちらに就いた、これは事実。……利己的に考えれば当然だと思うわ。何も知らなければなおさら。……ある意味で幸せかもね」
眼前に迫って来た第二ライン<海境>に視線を移し、クレスが早口に吐き捨てる。フレッドは短く天を仰いで、また同時に短くため息をついた。穏やか過ぎる風は、彼の嘆息を流してはくれない。
「黙っててくれよ。何も知らないのはそっちだろ、ニースのこと」
視線が空気を挟んで、かちあった。
「そうよ、知らないわ。だから一般論を言ってるのよ。あなたは彼に感情移入しすぎてる。ラインの解放に協力することがどれだけ重罪か分かるでしょう? 私たちはそれを止めるために動いてるの、彼に邪魔されなければあんなに手間取ることもなかった」
「だから!」
風の音が止んだせいで、フレッドが船の縁にたたきつけた拳は思いのほか周囲の注目を集めた。
「言ってんだろ。知らないくせに勝手なこと言うなよ! あいつは絶対そういうことできる奴じゃない、俺が一番知ってんだ!」
「実際にやってるじゃない! ちょっと頭冷やしたら? ……友情ごっこで巻き添えを食うのはあなたじゃない。悪いけど、次は斬るわ」
言い終わる前に、フレッドの左足がクレスへ向けて一歩踏み出されていた。それを踏みこむ意思は確かにあったが、フレッドは上半身に全く逆方向の力を加え見事に海老反りを決める羽目になった。理由は、自分とクレスの僅かな空間にかかと落としが割り込んできたからだ。言うまでもなくルレオの所業だが、今回ばかりは返せた反応と言えば目を丸くすることくらいだった。
「うるっせぇんだよ! 狭い中でごちゃごちゃ騒ぐな! いいか、今大事なのは、んなくだらねぇことじゃねえ。誰がいつどうやってファーレンを潰すかだ。あんな船一隻沈めたところで気休めにしかなんねえぞ。奴らはまた解放しにくる」
珍しく正論を振りかざすルレオに場が静まり返った。


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