何分も歩かぬうちにベルトニア城下の街並みが三人を出迎えた。回せるだけ目いっぱい首を回して忙しく当たりを見学するシルフィとは対照的に、保護者の二人はさっさと示し合わせて手頃な店に入る。
「いらっしゃい……」
白髪頭の、一見気のよさそうな店主だが、一瞬こちらに視線を配っただけで、すぐに読んでいた新聞に没頭しはじめた。あれこれ付きまとわれて押し売られるよりは良かったが、それにしても無愛想だ。訝しげに首を傾げながらフレッドはぼんやりと店内を物色した。
「そこの一番高い矢。五百本。それ、その鉄製のやつ」
ぼんやりしているところにルレオの即決即断が耳に入る。自分の金じゃないとなると何とも大胆に使う男だ、普段は矢どころかマッチ一本けちる男とは思えない。大した驚きも見せず無言で矢を袋詰めする親父に、ルレオは袋ごと金を渡した。
「なんでわざわざ一番高いやつを買うんだよ……」
「こういうときに買わないでいつ買うってんだ。お前も出し惜しみしてないで好きなだけ買っとけ!」
何か真髄めいたことを力説されたが、そこまで要領よくはなれない。必要な薬だとか火薬だとか、そういったものを揃えるとフレッドはさっさとカウンターを離れた。そして窓にへばりついて、物珍しそうに行き交う人々を眺めているシルフィの肩をたたく。
「シルフィには、これ」
シルフィの手のひらにカラフルな包み紙が転がる。フレッドに促されるままにそれを開くと、透き通った水色の玉が入っていた。きらきら光ってはシルフィの目と心を奪う。
「こ、これなあに?! くれるの?」
「キャンディーっていってさ、口の中に入れて転がすと味が出てくるっていう……ま、食べりゃ分かるよ」
昔良くマリィに飴玉を買ってやったのを思い出して、フレッドは小さな、けれど特別きれいなキャンディーをプレゼントした。ラルファレンスの本のお返しにしてはいささか安い気もするが、本人はえらく喜んでいるようなので良しとしよう。シルフィは大事そうにそれを摘んで、空気に透かしてみたり角度を変えてみたり、すっかりキャンディーの虜になってしまったようである。
「食べるのがもったいないなあ……」
その素直な反応が可笑しくてフレッドは思わず含み笑いをこぼした。彼女がまだまだ子どもなのだということをこんなところで再認識する。心外そうな顔つきでキャンディーを頬張るのを見届けてから、フレッドは店のドアを開けた。
このときはばかりは、彼がフェミニストでないことが幸いしたと言っていい。シルフィを先に外へ出していたら取り返しのつかないことになっていた。
バキッ!──ドアを開けただけでは決してするはずのない鈍い音がシルフィの耳をかすめた。ほとんど同時にフレッドが店内に倒れこむ。彼の口からは鉄の味がする赤い液体がこぼれていた。
「痛ってぇ……」
「おい! てめぇいきなり何しやがる!」
ドアの前に立ちふさがっている、言ってしまえばフレッドを殴り飛ばした若い男に食ってかかったのは、フレッド本人ではなくルレオだった。得意の高速胸座掴みで間髪いれず男に詰め寄る。
「何のつもりだぁ!? わけもなく殴りかかってきやがって、最初にドア開けたのが俺だったらどうするつもりだったんだ、くそったれ!」
「結局そこかよ……」
ひりひりと痛む口元を指で押さえて、フレッドが立ちあがる。突然のことで意表を突かれたのと、ルレオに先を越されたのとであるべき怒りはとっくに萎えてしまっていた。
「フレッド大丈夫……? なんなの、この人……!」
口内で転がっているはずの飴の甘さも分からないままで、シルフィは不安げにフレッドにしがみついた。フード頭の上からフレッドがそっと手を添える。ルレオの圧力に押されて大した抵抗もできずに、男はただ睨みをきかせていた。
「わけもなくだと? ふざけるな、テロリスト共め! お前らがベルトニアに来なければ戦争になんかならなかったんだぞ! 殴られるくらい当然だ!」
「誰に向かって、んな大層な口きいてんだお前! 殴ったら二倍で返ってきても文句は言えねぇよな!」
もはやどちらが悪者か分からなくなってくる。ルレオが躊躇なしに思いきり右腕を引くのを目にしてフレッドが慌てて割って入った。
「よせって……! ベルトニアで問題起こしてどうすんだよ」
「いい子ぶってる場合か? 殴られたのはお前だぞ」
街に来た瞬間、違和感は覚えていた。男がフレッドたちに浴びせる視線の正体や、自分の店の前で乱闘騒ぎが怒っても我関せずの店主、そしていつのまにか集まった野次馬たちは、どうひいき目に見てもこちらの肩を持ってくれそうにはなかった。
ベチャ! ──今度は幾分柔らかな音が響いた。柔らかで、生々しく、不快である。群がった人ゴミの中から飛んできた熟れたトマトが、フレッドの顔面すれすれ、咄嗟にかざした手のひらの中で無残につぶれた。
「そうだよ! 報いを受けな! あんたがここに来たせいでうちの夫は大罪なんかを受ける羽目になったんだ……っ。英雄気取りで街をうろつかれちゃ迷惑なんだよ!」
「帰れ! この悪魔!」
ざっと数十人、これだけ集まれば誰が何を言ったかなんてのは把握できるものではない。それを逆手にとって街の人々は皆好き勝手に罵詈雑言を吐く。最初のトマトをきっかけに、タマゴだのじゃがいもだの、ありとあらゆる手持ちのものがフレッドたちめがけて投げられた。
「戦争を連れてきたのはお前らだ! お前らさえ来なければ俺たちは今まで通り平和な生活がおくれたものを……!」
「死神よ、あんたたちは!」
死神──よくよく考えれば正にそうなのかもしれない。この大衆の背景にはあの日わけもわからず突然大罪を受けた家族や友人たちが見え隠れしている。
辛辣な言葉を流すために、意図的にぼんやりさせた頭の中で、くだらない「もし」が繰り返されていた。もしあのときベオグラードの計画に乗りさえしなければ、聖水さえ口にしなければ、ベルトニアに助けさえ求めなければ、少なくともこの人たちを巻き込むことはなかっただろう。フレッドは黙っていた。無論、黙らない者もいる。
「好き勝手言いやがってっ。遅かれ早かれルーヴェンスには攻められただろうにな」
そうとは言えルレオの舌うちもいまいちばつが悪そうだ。無視して素通り、というわけにもいかなかった。三人は住民に俄かに包囲されつつあった。心ない言葉の刃が次々と宙を舞う。
「死んじまえ!」
「死ーね! 死ーね!」
加速する。連中の言葉の刃や憎悪の塊がどんどんと勢いを増す。後方に居た子どもたちが地面の砂利をひっつかんで投げるのを見て、フレッドは咄嗟にシルフィを背中側に追いやった。
「フレッド……! ひどいよ……ひどいよ、みんな。どうしてこんなことされなきゃいけないの? もうやめてよぉ……」
力いっぱいフレッドの服の裾をつかんで必死に訴えるシルフィ。そのまま顔をうずめて、憎悪に歪んだ人々の表情を見ないように努める。フレッドはより一層、余計なことを考えないようにし、そうすることで神経を研ぎ澄ませた。直後に鼓膜をくすぐった小さな風切り音を逃さず捉えると、抜刀し、飛んできた石を打ち落した。刹那、反射的に人々は剣を恐れて半歩後ずさる。先刻まで威勢の良かった罵声が途端にざわめきに変わる。フレッドとしてはこの抜刀は不本意なものだったが、シルフィを負傷させるわけいはいかなかった。
「よーしよしよし、しまうなよ、剣は抜いとけ。さっさと帰るぞ、よくもまあこれだけ暇人が集まったもんだ。やってることはウジ虫以下だな」
あろうことかルレオは買ったばかりの矢を五、六本無造作に取り出してボウガンにセットする。
「おい、刺激するなよ……!」
「だったら気が済むまで石つぶてくらっとくか? 俺は御免だね」
きっちりと群衆のど真ん中に狙いを定めて引き金に手をかける。それだけで人々は散り散りに逃げ惑い逃走路はあっさり開かれた。
「走れ! チビ忘れんなよ!」
フレッドは頷いて剣を素早く納めると一気に駆けだした。シルフィを小脇に抱えてベルトニア城まで全力疾走する。
「フレッドぉぉ! 下ろして~! 走れる、走れるよぉぉ!」
顎ががくがく言う中で必死に口を動かすシルフィだったが、フレッドはお構いなしに走り続け城門をくぐりぬけた。尋常でない形相で城内に駆けこんできたフレッドとルレオ、そして泡を吹きかけているシルフィを見て門兵はひたすらうろたえていたが、悠長に説明できる心境でもなかった。なにはともあれまず呼吸、である。
「悪い、今、おろす」
地に足をつけて改めて二人を見ると、門兵の気持ちがよく分かる。ルレオは今さらながらに腹が立ってきたらしく青筋が異常繁殖していた。さわらぬルレオになんとやらだ、あえて何も声をかけずシルフィは一人で自室に向かった。
そう言えば、と口の中を舌でまさぐる。キャンディーは既に米粒ほどに小さくなっていて、奥歯を噛みしめると同時に砕けてなくなってしまった。