The Responsibility Chapter 15

 「もしも」という名の後悔を、フレッドは意識的にしないようにしてきた。それを考え始めると一体どこまで記憶遡れば満足するのか知れない。時は前進するしか術をもたない。それに歩幅を合わせて生きるしかないのだ。
 ふと、ポケットの中で何かが音をたてた。古ぼけた銀製の懐中時計、クレスから預かってそのままになっていたものだ。それをポケットの中で遊ばせて、フレッドは部屋を出た。ベッドに寝転んでいたところで嫌なことをかんがえるばかりで、とても休息にはなりそうもない。
(悪魔、か。言わないだけでみんなそう思ってんのかもな)
 ベルトニア城内は既に隅々まで散策しつくしている。夕陽のアーチが美しい回廊も、大層なグランドピアノが放置されている部屋も、中庭も、玉座の間でさえも。風に当たりに屋上に行こうと思えば無論迷うことなく辿り着ける。
 フレッドは手狭ならせん階段をのぼりながらクレスのことを考えた。手の中で音をたてる時計が、彼女のことを少なからず連想させたのは否めない。
(なんでこんなことになったんだったっけ……)
随分昔のことのように思えたが、きっかけはつい最近のことだ。そう遠くないはずの記憶を懸命に辿った。自分でも気付かない間に随分奥へと追いやっていたらしい。それともフレッドの意思とは全く無関係に深層へもぐりこんだのか。
 屋上に向かう冷えた階段を上った。地下に向かうそれとは違う開放的な冷気だ。ラインから吹く風が通り抜けてはフレッドの髪を揺らした。空は淡い紅に染まろうとしていた。
 ──あなたは何も分かってない! 分かろうとしてない! ──
風の音に混じって頭の中でクレスの声が響いた。 
 ──あなたが私情で動くだけで犠牲は出ているの! ──
残響する彼女の声と、勢いよく吹きつける風がフレッドを責め立てた。淡い紅の空、その向こうは薄闇に包まれている。美しい夕刻の時間の短さを教えていた。
 フレッドはとっくの昔に理解していた。今の自分が犠牲しか生まないことを、守りたいと思うものこそそうさせてしまうことを──それがスイングであり、フィリアであり、ニースなのかもしれない。そうだとして、それを真っ向から受け止めてしまえば一歩も動けなくなる。前に進むには、ずるくなるしかなかった。眼前に広がる現実から少しだけ目を逸らして、見えないふりをするしかなかった。そうしてクレスが去り、ベルトニアを無用な戦場へと変えた。
(どうしろって言うんだよ……。 どうすれば良かったって?)
 風の音に混ざって、ひどく優しいメロディが微かに聞こえる。懐かしいような、包まれるような、温かくどこかせつないあのメロディ。流れているのは紛れもなく「ラルファレンスの指輪」で、フレッドは咄嗟に声のする方へ振り向いた。
「……あれ? フレッドもここに来たの?」
「……いや、歌が聞こえたからさ。シルフィが歌ってたのか?」
何に期待していたわけでもないのに鼓動が早まって、そしてまたゆっくりと一定のリズムを刻む。先客の少女に向けて作り笑いを浮かべた。
「クレスにね、教えてもらったの。……まさかクレスだと思った?」
小さくかぶりを振ってシルフィの横に腰かける。
「つづきは? 教えてもらったんだろ?」
リクエストに答えて、シルフィは照れながらも再びメロディを口ずさみ始めた。音程の保たれた美しい、そしてまだ愛らしい歌声が夕暮れの空に響いて溶けていく。心地よい旋律に身をゆだねて瞼を閉じるフレッド。様々な感情や、後悔が横切っては過ぎて行った。歌が止んでも、フレッドはしばらくの間、目を開けずにそのままじっとしていた。
「クレスが居なくなる前に……教えてもらったんだよ、おっきいピアノのある部屋で」
「そうか」
フレッドは瞼を閉じたままで応答した。たった今まで彼を責め立てていたはずの風が、随分和らいだような気がする。
「あたし思うんだけどね。クレスって、怒って出て行ったわけじゃないんじゃないかなって。なんていうか、クレスにはクレスの考えがあって……」
「うん、俺も。そう思う」
シルフィが意外そうに目を丸くした。そして彼女と同じくフレッド自身も、自分の穏やかな断言ぶりに驚く。壁にもたれていたからだを起こして夜と昼の境目に視線を集中させた。
「あいつはあいつで何とかするんだと思う。俺たちは自分の心配でもしようぜ、誰もかれも無傷、ってわけにはいかなそうだ」
フレッドは立ちあがってシルフィの頭をフードの上から撫でた。そのまま視線でシルフィにも声をかけて屋上を後にすることにした。夜の帳がもうそこまでおりてきている。シルフィは後を追いながら階下へ下っていく。その胸には一抹の不安が生まれていた。
「(そうよね、フレッドの方がクレスのことを好きだって可能性もあるのよね。何か今の様子だと少なくとも悪意は持ってないみたいだし……)うーん……困ったなあ」
最後の一言だけ思わず口に出してしまった。フレッドは半笑いでこちらに振り向いたがそこは適当に誤魔化しておく。
 一段一段、階段をくだりながらそのたびに誰かの言葉が脳裏をよぎっていた。

 ──誰が死のうが関わんな。それが例え俺でもお前でも、だ──

 極めつけとばかりにルレオの、よりによってルレオの抑揚のない台詞がリフレインする。
 指先が震えていた。分かっていたつもりだった恐怖が不意にフレッドを襲う。

 ──誰が死のうが──
 ルレオの冷めた口調が、螺旋のようにぐるぐると回っていた。



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