The Responsibility Chapter 15

 人通りはほとんどない。昨夜燃えるように光を放っていたガス灯たちは、死んだように沈黙して佇んでいる。情より欲を、愛より金を優先するイズトフの街は、朝になれば廃村さながらに閑散としていた。
 クレスはバーゼルに教えてもらった記憶を頼りに、街のはずれにある倉庫に向かった。王都に輸送するための剣や弓、そういった武具類からダンスフロアに展示する花瓶まで、ありとあらゆる職人の作品が詰まった倉庫だ。そこに例の連中がたむろしているらしい。
 一定のリズムを保って鉄をたたく高らかな音が、近づくにつれて徐々に大きくなった。期待と不安も、それに比例する。目の前に現われた「立ち入り禁止」の立て札と、お粗末なバリケードに緊張が高まった。
(ルーヴェンス軍を上回る重装戦艦を手に入れることができれば……一気に城を攻略できる)
 その端的な構想のためにイズトフに赴いたのは、一種の賭けだった。天才と謳われた軍艦設計士がイズトフに滞在しているということも、その彼が無許可で最強軍艦を製造していることも、クレスの中では半ば忘れ去られようとしていた噂のひとつにすぎなかったし、実際今まで気に留めたこともない。彼女をここへ導いたのは、自らの手で沈めたセルシナ皇女専用の船の存在だった。あれの造船に着手したころ、船底の脆弱性を指摘したのがファーレン軍艦の設計士だったことを思い出したからだった。
「おい危ねぇぞ! そこの奴、死ぬ気がなかったらうまくよけろ!」
「は?」
どこからともなく、鬼気迫るおたけびが聞こえたかと思うと、クレスの足元数センチの地面にとてつもない大きさの鉄板が突き刺さった。クレスが咄嗟に半歩後ずさらなかったら、飛んできた鉄板に胴体真っ二つにされていたのは間違いなしである。またどこからか、ぱらぱらと拍手が沸いた。様々な疑問点をさしおいて、とりあえず青ざめるところから始めてみる。
「運のいい奴だな! そんなとこでボサっと突っ立ってるからそんな目に合うんだぜっ。さっさと持ち場に──」
 先刻の声の持ち主──汚れた作業服に無精ひげだ──がおもむろに近づいてきてクレスの10メートル程手前でぴたりと立ち止まった。幽霊にでも出くわしたかのような形相でこちら凝視している。
「あのー……」
「ふざけんな! おい、どこの馬鹿だ、作業場に女連れ込んだのは!」
人差し指をクレスの顎に向けて、血管がはちきれんばかりに叫ぶ男。作業をしていた他の男たちは聞こえていないのか意図的に無視しているのか、無応答に持ち場に戻っていく。該当者がいないことを察して、汚れた作業服の男は肩を怒らせてクレスの一歩手前まで歩を進めた。
「ねーちゃん、どいつの客か知らねぇが男の聖域に無断でずかずか立ち入ってきやがって……バカ女にも程がある。それとも商売目当てか? どっちにしろ場をわきまえろってんだ」
クレスの額に静かに青筋が立った。百歩譲って無断で立ち入ったことはとがめられても構わないが、謂れのない侮辱を受ける義理はない。自分を律する理由も、今に至っては特に見当たらなかったせいかクレスいつになく、思うままに行動することにした。つまり、半眼を晒して真っ向から反発する、という手段をとった。
「あなたじゃ話にならないわ。責任者を呼んで」
「あばずれ女が生意気な口ききやがる! 俺が現場責任者だ!」
クレスは立ちくらみを覚えた。一瞬真っ暗になった視界、いっそのことそのまま気絶してしまいたかったが何とか踏みとどまる。おそらく件の男は目の前のいかつい無精ひげではない。はずだ。
「それじゃあ伺いますが責任者さん。武装戦艦をつくるには国の許可が必要だってことは、もちろんご存知よね? 許可証は? お持ち?」
我関せずと作業に没頭しているふりをしていた何人かの作業員が、顔を見合わせた。また別の何人かは耳打ちをしあって、そそくさとその場を離れようとしている。クレスはそれを目で追った。
「は……ははあ、なんだ監査か? 馬鹿馬鹿しい! 許可証だ? 当然あるに決まってんじゃねえか! おい、野郎ども! 何ぼけっとしてやがる、さっさと持ってこいや!」
 クレスは会心の笑みを漏らして、無精ひげの横を素通りした。あっさり関を越える女に面食らって、男は数秒凝固していたが、すぐに気を取り直して後頭部をかきむしる。
「おいおいおいおいっ! だから何なんだてめぇは! 不法侵入だろうが!」
「違法はそっちでしょ。許可証? そんなもの始めからないわ。軍艦を作るときはファーレン国旗を掲揚することなら義務付けてあるけれど。……この奥? あ、そこ、そわそわしてるからきっとそうね」
再びあっけらかんとすり抜けようとするクレス、今度は無精ひげ自らが関守を買って出た。
「……違法だろうがなんだろうが、この先に通すわけにはいかねえなあ。この艦は人類を救う、未だ嘗てない史上最強の戦艦よ……! 後はそれにふさわしい女神の絵をこう、どばーんとデッキに描いてだな……、そうだ! そっちはどうなってる!」
男が作業員たちの方に振り返った刹那、
 ゴキッ! ──接触してはいけないもの同士が思いきり接触してしまったときの、世にも恐ろしい効果音が響いた。クレスがさげていた剣の柄を、これでもかというほど男の顎にめりこませている。天を仰いで大の字に倒れ込む関守を飛び越えて、先刻視線で確認をとった倉庫の奥を目指した。ダウンした男が責任者だったというのは、どうやら嘘ではなかったようで、男が倒れるや否や遠巻きに見物していた作業員たちは、悲鳴をあげるかひたすらうろたえるだけで追っても来ない。白昼堂々現われた監査(?)が、よもや問答無用で暴力行為に及ぶなど普通は考えてもみない。ましてや、この華奢な女が、である。
 クレスはごく僅かな罪悪感と自己嫌悪を抱きながらも、わき目も振らず倉庫へ走った。
 倉庫の前に見張りらしき人物はいなかった。見張りはおろか、扉には錠前ひとつついていなかった。いつものクレスなら、そこで一度立ち止まって罠に備える。今回はその慎重さを封印せざるを得なかった。灯りのない倉庫内へ飛び込む。
 視界は闇一色に包まれていた。しかしすぐ近くに、求めた希望の光が存在していることを肌で感じる。倉庫に足を踏み入れた瞬間に空気が変わったのは気のせいではない、息苦しさを覚えた。玉座の間の扉を押しあけたときの感覚にどこか似ている。そんなことを連想した時点で、彼女はこの場所が持つ異質な空気に呑まれていたのである。
 不意に自分の影が揺らめいた。闇ばかりだった視界にいつの間にか穏やかな灯りがもたらされている。照らし出したごく僅かな範囲に、彼女の影の他にもうひとつ、別の影が添っていた。
「はいランプ。必要だろ? こう暗くちゃせっかくの完璧な外装も見えないしなあ」
背後から差し出されたランプと、それを握る大きな手からクレスは逃げるように距離をとった。再び闇に身をゆだねるも、ランプはクレスと、その男の間にある僅かな空間を煌々と照らす。
 気配と呼べる気配がなかった。それがあればここまで無様に飛びのいたりはしなかったはずだ。穏やかな灯りと、穏やかな声、そして徐々に慣れ始めた目が捉えた穏やかな笑みを以てしても、空気は恐ろしく鋭利なままだった。
「まあそう警戒しなさんなって。何も獲って食おうってわけじゃないんだし……どうするかは、君の返答次第ではあるけどね」
 悪寒が背筋だけにとどまらず、つま先まで一気に駆け抜けた。ほの暗いランプの灯りの中で揺れる男の姿は、眼鏡をかけた痩せ型であるといった程度にしかつかめない。しかしこの時点で、入口でたたきのめした無精ひげでないことだけは確かだ。
 この倉庫に見張りや、錠前は不要だったのだ。おそらくはこの男が、見張りであり、錠前であり、切り札であり、クレスの記憶の中にぼんやりと存在する辣腕設計士だ。
「まずはこんな朝早くに、ごくろうさんって言うべきかな。俺はたまたま『こいつ』の仕上げとチェックで午前様になったんだけど……ラッキーだったなあ。こんな美人の盗人さんがくるなら、毎晩でも頑張っちゃうんだけどね」
 二人の傍らに壁のようにそびえたつ戦艦を誇らしげに照らして、次にクレスにランプを近づけた。男は言葉尻通りに、へらへらとしまりのない笑みを浮かべているだけで実に無防備に突っ立っている。隙をついて全力疾走すれば逃げられるような雰囲気であったが、クレスはそれをしなかった。できなかったと言うべきか、無造作に踏まれた影が体全体を縛っているような感覚に陥る。
「……あなたは、何者?」
 不躾で単刀直入だ。クレスはこの、謎の金縛りについて全く身に覚えがないというわけでもなかった。暗がりの中、一定の距離を置いたまま、男は肩をすくめてまた笑顔を作った。
「『こいつ』の総責任者だよ。みんなは親方だのなんだのって好き勝手呼ぶけど。名はギア、職業は……天才、かな?」
 特に警戒するわけでもなく、ギアと名乗った男は、ずれてもいない金縁眼鏡を軽く押し上げて爽やかに笑い飛ばした。クレスに無論笑顔はない。『天才』という言葉にはなじみがある。そして、そういった類の連中が無意識に放つ、全身刃物のような研ぎ澄まされた空気については、体が覚えていた。この男はスイングに似ている──そう意識すれば、天才が自称であれ冗談であれ笑えないのは当然だった。
 ギアの目から笑みが消えた。口角だけがつり上がったままで、それはさながら出来の悪い人形のような乾いた表情だった。そしてそれも、おそらくは意図して造られた表情なのだろうと思うと、クレスの背筋に何度目かの悪寒が走った。
「じゃあ、訊こうか。君は何でこんなところでこんな怪しい真似をしてるんだろうね? ……言い訳はよく考えてした方がいい。さっきも言ったけど、俺がどう動くかは君の回答次第だ」
「言い訳はしないわ。ここに『最強の戦艦』があると知って、それを手に入れるために来た」
「なるほど、ね」
ギアはゆっくり床に胡坐をかいて、ランプを自分とクレスの間に置いた。



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