Drastic Measures Chapter 16

 ベオグラードが訝しげな表情を晒して操縦席へ足を進めた。気付いたギアが肩越しに振り向く。と、物珍しい昆虫でも観察するように間近でギアの顔を覗き込むベオグラード。さすがにギアも、これには面食らったか椅子ごとのけぞった。
「いや、失敬。君、どこかで私と会ったことはないか? 人の顔はよく覚えている方なんだが、どうも思い出せん」
「直接こうしてお会いしたのは初めてかもしれませんね。軍艦だの研究だのの関係で城には何度か出向きましたが」
ギアが珍しくまともな挨拶を返しているにも関わらず、ベオグラードは一人反りかえって唸り続けている。ギアの名前をひたすら呟きながら、腕組みをして狭い範囲をうろうろし始める。その一連の行動が天然なのかわざとなのか、どちらにしろ苛立ちしか覚えないのは無論クレスだ。
「ベオグラード、見てるだけでイライラするからそろそろ──」
「おおっ! 思い出したぞ!」
やめてくれない? ──クレスが声に出す前に、(それもわざとだとしか思えない)ベオグラードが小槌をたたいて叫んだ。
「王立研究員主席のギア、そうだろう? 君みたいな優秀な人材がなんでまたクレス隊長なんかと……いや、失礼」
クレスの笑顔が一瞬間派手にひきつった。が、すぐに元通り極上の笑顔に戻る。リナレスはできるだけそちらに視線を向けないように努め、暴走する上司の尻ぬぐいを買って出る。
「そんなに凄い方なんですか」
「彼は望めば王の側近になれた男だぞ。能力の希少価値で言えば、俺など足元にも及ばんさ。名前を聞いて即気付くべきだったな、申し訳ない」
ベオグラードのような男からこのように大げさに解説されると、改めてギアの偉大さに気おくれしてしまう。全くピンとこないのか、リナレスはただ素直に感嘆を漏らすだけだ。
「嫌だなあ、そんな当たり前のこと言っても何も出ませんよ。そうだ、良ければこいつの性能でもご披露しましょうか」
この、どこからともなくやってくるあり余った自尊心さえなければ、誰もが抵抗なく羨望の眼差しを向けるものを。リナレスはまた素直に、半眼で疑問符を浮かべていた。
「そうだな、見せてもらおうか。ものはついでというやつだ」
「ちょっと……! むやみやたらに砲弾を撃つのは……っ」
ギアは立ち乗りしている乗客たちに構うことなく、艦を急上昇させた。ベオグラードだけがちゃっかりとその豪勢な椅子の背にしがみついて身を支えている。女性二人は成す術もなく無様によろめいた。
 艦はやはり急激に旋回しながら浮上する。木々を真下に拝めるくらい上昇したころには、ようやくクレスにも事の次第がつかめてきた。眼前には蜂の群れのように飛び交うファーレン艦隊、極上の花の蜜に誘われて真っ直ぐにこちらに向かってくる。
「いつのまに……! 囲まれた?」
「言ったろう、この機体は目立ちすぎる」
ざっと数えただけでも20機以上が確認できる。ファーレンの紋がこれみよがしに自己主張しているのがクレスには腹立たしかった。
「長く留まりすぎたな。尋常じゃないぞ、この数は」
「もしくはあなたたちが泳がされていたか、ね」
火花はまず艦内でほとばしる。リナレスが諦めたのか、誰も窘めないせいで操縦席の後方では無駄としか言いようがない、しかし熾烈な争いが繰り広げられていた。
「それじゃあ小手調べといこうか。雑魚はいくら集まっても大魚にはなれないってことを教えてやらなくちゃあな」
実際にこの軍艦の群れを相手取るのはギアの両腕である。そこに後方の軍人二人が垂れ流すような士気だの闘士だのといったむさくるしいものはない。ギアは無造作に例のボタンを押した。あろうことかそれが戦闘開始の合図となる。振動に再び体を揺さぶられ、クレスとベオグラードは同時に睨みあいを止めた。視線の先で敵艦が煙を吐いて墜ちていく。ギアの指ひとつで、巨大な空母はまたたく間にガラクタと化す。
 当のギアは至って平静だった。敵の砲弾をよけながら照準を合わせ、眉ひとつ動かさず砲撃し、撃沈を確認するとまた同じ動作を繰り返す。そこにあるはずの、発射合図のがなり声や、撃沈の歓声、そういった騒音の類は一切許されず粛々と定められたプロセスだけが狂いなくこなされていく。眼前の光景は劇的に変化するのに、艦内はおそろしく静かだった。
「すごい……まるで歯がたってない、あのファーレン武装戦艦が……」
「あれはあれで、使い方次第でもう少しマシに動くんだけどな。喜ぶべきか悲しむべきか、悩むところだね」
天才の悩みどころはそこらしい、クレスは理解を早急に諦めて、無音の戦闘に意識を集中させることにした。そうすることが、同乗者の──このときばかりは傍観者の──ただひとつの課せられた義務のように思えた。 
 ギアの判断と操縦にはひとつの無駄もない。その操縦桿さばきはあまりにも鮮やかで、恐怖心さえ抱くほどだ。それでいいと、自分に言い聞かせる。この光景に対して無感情でいてはならない。険しい表情で戦況を見守るベオグラードをちらりと横目でみやった。
「運がいいね、あいつ。ちょうど弾切れ、か」
残された数機が大きく弧を描いてきびすを返すのを、ギアは心なしか残念そうに見送った。一行は知らず知らずのうちに止めていた呼吸を慌てて再開する。
「噂には聞いていたがここまでとは……恐れ入ったよ、敵には回したくないな」
ベオグラードの意味深な苦笑いを横目に、クレスはまだ煙の残る宙を見つめていた。ギアは眼鏡を外し、固く瞼を閉じてはまた開くという動作を繰り返した。再びギアが眼鏡をかけるのを待って、ベオグラードが不躾に右手を差し出す。
「今見ただけでも君の力は他に類を見ないほど絶大だ。いきなりかもしれんが、どうだろう。ファーレンを奪還するために我々に力を貸してくれないか。いや、俺からお願いしたい。是非、仲間になってほしい……!」
「べ、ベオグラードさんっ」
ベオグラードは手を差し伸べたまま深々と首を垂れた。それはリナレスが思わずどもるくらいには異様な光景であった。
 いつからだろうか、もう随分前からかもしれない。ベオグラードはファーレン十三世の右腕としての誇りと威厳を捨てていた。彼は曲がりなりにも大国の軍人のトップだ、頭をさげずともギアを従わせる方法は十二分に持ち合わせていたが、敢えてその手段は顧みなかった。
 ギアはきょとんとした顔で固まっていたが、眼鏡の奥で笑みを造ると静かにその手をとる。
「構いませんよ。俺の艦がお役にたてるなら。こちらこそ宜しくお願いします」
 この、どこまでも作られた胡散臭いやりとりを半眼で見ていたのはクレス。ギアの笑顔は、凡人と違って腹黒い何かを隠すために発動される。更に言えば、ベオグラードが旋毛を見せるのも、綺麗とは言い難い作為が含まれているときだ。それを嫌というほど知っているクレスにとって、二人のやりとりはとんだ茶番である。
「ま、どうにかなるか」
 空は静かすぎた。短時間で数十機の艦隊をおとしたにも関わらず、増援が来る気配はない。彼らがこの理由に気づくまでそう時間は要さなかった。静寂の空を羨むように、大地は炎と悲鳴をあげていた。

 

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