Shield The Light Chapter 17

 ニースが反旗を翻すほんの少し前のこと、ファーレン艦隊に埋め尽くされた趣味の悪い夜空を無言で見上げ続ける三人、その中でルレオがつまらなそうに本気のあくびをもらす。
 今さらあたふたするのも往生際が悪いということで、それだからこそこうして神妙臭い顔を作っていたのだがどうにもスタンバイ時間が長すぎる。フレッドも見上げ続けて痛みを覚え始めた首の付け根をほぐしながら徐々に下を向いた。
「シルフィ……その啖呵切ったからには、それなりの根拠があるんだろうな」
この最終段階で頼るのが、自分よりも10も年下の少女だということに少々虚しさを抱いてみたりもしたが、それこそ今さらだ。
「この期に及んで煮え切れねぇ野郎だな。そんなに死にたくねーか? 親切として言っといてやるけど、お前生きててもこの先いいことなんてひとつもねぇぞ。ひとっつも。だいたいからして倖薄そうな顔してんだからよ」
「あんたは何でそう……頼むから、死にかけてるときくらい大人しくしててくれ」
しまりの悪い水道管のように止めどなく血を流しながら青い唇を晒すルレオ、それでも無駄口をたたく。半分ゾンビのような男の戯言を適当に流して、シルフィの回答を待った。
「シルフィ……?」
「あの、さフレッド。もし、もしもよ? 本当にシルフィがみんなを救うことができるとしたら、協力してくれる……?」
「え?」
シルフィがおずおずと物を言うのは珍しい。内容にではなく、その見慣れない態度にフレッドは違和感を覚えて軽く首を傾げた。
「どういう意味だよ……? できんのか? 本当に?」
「たぶん。だけど、ひょっとしたらうまくいかないかもしれない。やったことないの。……でも、フレッドが頑張れって思ってくれるなら、やれそうな気がするんだけどなあ~」
巧みな上目遣いと少しませた口調、すぐにいつもの彼女に戻った。いや、そんなはずはない──いつも通りに振舞おうとするシルフィを、フレッドはどこかで分かっていて気付かないふりをした。少女の精いっぱいの強がりを今は尊重することに決めた。
「そんなんでいいならいくらでも協力するよ。どっかの死に損ないが言ってたろ? 歴史の裏側なんてどうせ誰も知らないんだ、失敗したって誰も咎めない」
シルフィはゆっくり大きく頷いた。〝どっかの死に損ない"がフレッドの言い草にまたもや文句をつけようと身を乗り出した矢先、ルーヴェンスの黒い機体の先端が厳かに地面に向けられる。
 フレッドは静かに目を閉じた。再び目を開けた時に隣で笑う少女の顔を思い浮かべながら祈りを、捧げた。
「死ね! 死ね! 哀れなテロリスト共の最期だ! ファーレンは、この世界は私のものとなる! この、新王ルーヴェンスの支配下となるのだ!」
 ルーヴェンスの歓喜の雄たけびがニースの耳から耳へ抜けていく。彼は跪いて、自分の無力さをただ呪うしかなかった。彼にできることはもうない。長い間ルーヴェンスの犬に成り下がってまで掴んだチャンスは、呆気なく砕けてしまった。そして一番食い止めたかった事態をこうして成す術もなく見ている。
「フレッドォー!」
「撃てえぇぇぇ!」
 ルーヴェンス艦内を包む轟音と振動、放たれた鉄の塊の行方を誰もがただ見ているしかなかった。ルーヴェンスも、ニースも、空にうごめく艦隊も、そしてその中で異彩を放つ一機だけの真のファーレン戦艦も──。


 暫く時間が流れた。そう、暫くだ。通常なら砲弾発射を確認直後に派手な爆音だとか爆風だとか、とにかくいろいろなものが襲ってくるはずだ。フレッドの体内時計はどれだけ狂っていたとしても一分以上は確実に経過している。それともそういった一切合財を感じることもなく何もかもが吹き飛んでしまったのだろうか。身震いをした。
 フレッドは期待と多大なる不安を抱えて瞼を押し上げた。できるだけ知っている人たちの顔を鮮明にイメージした。
「……ちょっと、待てぇ?」
誰に言うでもなく、大きく独りごちた。驚愕、その直後のしばしの放心。フレッドは目を開けてすぐ、無心にその目をこすった。何度か見直して夢でないことが分かると、無意味に苦虫をつぶす。
 世界は色を失くしていた。目の前の現実をありのまま口にするとそうなる。花は白く、空は黒く、人々はその中間のような中途半端なグラデーションのまま動きをとめている。そう、一番重要たる事実はそこにあった。人どころか虫一匹動こうとしない。絵画のようだと言えばいささか聞こえはいいが、フレッドの目にはたちの悪い「集団だるまさんがころんだ」にしか見えなかった。そうでないことは、自分のすぐ真上でぷかぷか浮いている黒い塊のおかげで判明する。
「冗談……だろ」
一人で大声を出すのが馬鹿馬鹿しくなって、フレッドはそれを鼻で笑い飛ばした後半眼で見つめた。ルーヴェンスの母艦からつい今しがたぶっ放された鉄球は、地面で弾ける直前で静止していた。世界の時が、止まっていた。体験したことのない純然たる静寂に耳鳴りを覚える。
「どうなってんだよ……! 何で俺だけ……っ」
混乱しきった思考の中でも疑問は次々と生産される。あちらこちらに視線を飛ばしていると、全ての元凶であろう少女の姿が視界を横切った。
「シルフィ! 無事か?」
シルフィはもともとビー玉のようだった目を更に丸くして(というより点にして)こちらを凝視している。フレッドが駆け寄ると引け腰に後ずさった。
「な、なんでぇ!? どうして動けちゃうの、フレッドっ。あたししか動けないはずなんだよ!?」
「俺が聞きたいくらいだっての! どうなってんだよ、何でみんな止まっちゃったんだ!」
焦りと苛立ちと凄まじいわけのわからなさが畳みかけるようにフレッドを襲い、そのせいで蛾鳴るしかできない。シルフィは叱られた仔犬のように俯いて何も答えない。それがフレッドに少しの冷静さと同時に答えをくれた。
「シルフィが……やったんだな? 時間を、止めたんだな?」
今度は穏やかに、いつもそうしているように彼女の背丈に合わせて腰をかがめた。シルフィはそれでも黙ったままだったが一度だけゆっくりと頷いた。
「……じゃあ、どうする? こっからどうするつもりだった? 俺には何ができる?」
「あぁぁ~! そうだった、忘れてた! あのねあのね、この状態ってそんなに長く続かないの! その前にあれ、あれ何とかしなきゃ!」
今度はシルフィが取り乱すが、フレッドは多少のけ反っただけでもう平静を失うことはなかった。自分が何をすべきか分かっていたから最後の力を振り絞って剣を抜いた。
「そそそそそんなんじゃ無理だよぉう! これ硬いよ? すっごくすっごく硬いよ!?」
「いいから俺に任せとけ」
 周りと同じように息を止めた。邪魔する音が何もない、剣と鉄が激しく反発する高らかな音だけが響いた。弾かれた腕を高速で元に戻して再び同じ個所に打ち込む。先刻と全く同じ音が二人をあざ笑うようにこだまするだけだ。シルフィは見ていられなくなったのか顔ごとくしゃくしゃにして目をつぶっている。何度となく同じ音階が繰り返された。この色あせた世界で許された音がそれだけかのように、寸分狂わず鳴り響く。
 シルフィは薄目を開けてフレッドの背中を見た。それは彼女の本能が教えてくれた抜群のタイミングだったのかもしれない。
「うそぉ!?」
鉄球に入った亀裂はほとんど一本の線のようだった。全く同じ音が響くということ、それは全く同じ強さで全く同じところをたたいているからこその現象だ。フレッドにはそれを聴き分ける耳がある。常人が聴きわけることのできない僅かな音の違いを見極めることができる。
 剣と鉄の奏でる音階が、シルフィの耳にも分かるくらいに半音上がった。
「割るぞ!」
「うん!」
 死への確信がいつしか安堵に変わっていた。温かい確信を抱いて、フレッドは宙に浮く鉄球を真っ二つにした。



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