「シルフィだけじゃなく、北の大陸に住んでた人間ってのはみんなそうなんだってさ。時を止めることができる。ほんの数分だってシルフィは言ってたけどな。ただ滅多なことじゃ使わないようにいろいろ戒律があって、だからシルフィもあれが初めてだったんだと」
クレスはまた胸元の懐中時計に視線を落とした。月の灯りを反射して鈍く光る。
「この時計、シルフィたちの一族と何か関係があるのかしら」
独りごつクレスに、フレッドは思わず、今度は派手に含み笑いをこぼした。露骨に心外そうな顔をするクレスに適当に謝りながらもまだ口の端をゆるませていた。
「結局信じたのかよ」
「そうじゃないと話が進まないでしょ! 失礼ね、いきなり噴き出してっ」
顔を赤らめながら眉をしかめる仕草がなんだか幼くて、フレッドはその後も暫く笑い続けた。
ファーレン王都の中央に位置するこじんまりとした料亭・猫じゃらし亭にて、男が二人、月夜を肴に酒を酌み交わしていた。外壁は跡かたもなく破壊され、夜風がダイレクトに肌をなでる大変にすがすがしい環境である。店は貸し切りだった。というより、店主どころか周囲には人っ子ひとり見当たらない。その瓦礫の中にぽつんと残った丸テーブルを囲んで、二人は静かに酒(持参)を飲んでいた。たいして違和感がないのは、この二人が只ものでないことを表している。フレッドに言わせればただの変人に値するが。
「つまり俺と、俺の愛艦に協力しろとおっしゃる。無理なことは分かりますよね、隊長殿。……俺は誰にも利用されてやるつもりはないし、世界の終末にも興味がない」
「それじゃあ聞くが……だったら何故クレス隊長に協力した?」
緊迫した会話、のはずだが吹きすさぶ風のせいでどこか間が抜けて見える。一歩間違えば貧乏一家の夜逃げ作戦会議だ。
「単純に彼女が気に入ったからかな。あんたは腹黒すぎる、信用できないね」
「そうか……。だったらここは大人の男同士、取引をしようじゃないか。君がこちらに協力してくれるなら、今君に付けてある監視を引かせてもいい。無論、違法軍艦の許可も申請しよう。どうかね?」
ベオグラードが半分になったブランデーをせっせと自分で継ぎ足す。氷が徐々に溶けて、音を立てて傾いた。
「……そういうところが腹黒いと言ったんですよ。でも、それは確かに魅力的かもなあ。いい加減日替わりのストーカーにもうんざりしていたところだし……」
ベオグラードはファーレン奪還の直後から、ギアに数人の監視員をつけていた。史上初と言われる成績を収め王立研究員として不動の地位を築きながら、王職どころか停職にも就かないギアを、国は危険視していた。それでなくてもこういう男は何を考えているか分からない、ブラックリストの筆頭に名を連ねるような存在なのである。その証拠に、監視兵の人数や居場所まで把握していながらも敢えて野ばなしにしている。ベオグラードは嫌な汗を背中に滲ませながらも会心の笑みを浮かべた。
「交渉成立だな。君がいれば百人力だ」
「一応、ですけどね。あくまで」
二人は半分腰を浮かせて軽く握手を交わす。ここで初めてギアが自分のグラスに口をつけた。
「早速だが、赤い髪の少年のことだ。通称、死神。ニースの証言に依れば確かにあの母艦に乗っていたはずなんだが、見つからなかった。どこにるのか我々には見当もつかん」
「率直に言わせてもらうと、こちら側から仕掛けるのは事実上無理。あちらさんは何でもありだからね、奴を捕まえようなんていうのは次元が違う話だ。よした方がいい」
ギアの鋭い眼差しもベオグラードは臆することなく直視する。
「じゃあ君はどう考える。このまま手をこまねいて見ていろとでも」
皮肉を吐いて、ベオグラードは空になったグラスに残った氷を頬張った。真剣な表情を保ったまま、口の中ではがりがりと音をたてて砕氷活動に励んでいる。
「あなたの言うとおりですよ、時を待つことも大事。だけど……一応手はまわすべきだ。無論、死神やラインのことは市民には一切他言無用、人選は俺の方で勝手にやらせてもらいますよ」
「構わん。なるべく君の意向に沿うように努力しよう」
「努力は必要ありません。あなたの口利きとコネで十分手はまわせます」
いざギアに火がつくと、話はとんとん拍子に進んだ。展開が恐ろしくスムーズなのは、ギアの考える「手回し」のための人選に余計な情が一切ないからだった。ギアの口から滑りだす人選、その名に、ベオグラードはあからさまに浮かない顔をしてみせた。
「以上のメンバーがこの件に関する中心、これ以上は増えも減りもしない。これは絶対だ。軍も使用しない。……気に食わないみたいですけど覚えておいてほしいですね。これは歴史に残らない戦いなんだから、そういうことにふさわしい人間を選ぶのは当然だ」
ギアが口にした名は、いずれも今回の革命に関わった者ばかりだった。確かに彼らなら事情も知っているし話が速い。
「理由を聞いておこう、念のためだ」
「さっき言った以上の大した理由はありません。フレッドは今回の中心人物でもあったし、ずば抜けて何かに秀でているわけでもないが、剣も動きも並以上だ。それに万が一のことがあってもセルシナ皇女に王位が渡って好都合でもある。予言者の彼女は必須だし、それからあの少女……北の大陸出身だって言ってましたね」
ベオグラードは分かりきっている答えを、考えるそぶりを見せて焦らした。誰もが言葉を濁すような内容をこうもあっけらかんと述べられた後では、警戒心を抱かざるを得ない。
「キーマンはその子。彼女は〝ラインの守人"だ」
「なに、……だって?」
警戒はいつしか恐怖に似た感情に変わっていた。ギアにとっての既知は、おそらくベオグラードだけに留まらず全世界の人間にとって未知だ。ギアは更にあっさりと話を続ける。
「神がつくった〝ライン"を守る役目を担った一族のことですよ。あの子はその末裔だ。時間を止めたり、戻したりできる。ここでの一戦、勝利に終わったのはそういういきさつがあったんですよ。おそらく何らかの理由でフレッドだけが行動可能で、砲弾をたたき割ったと」
ギアが口にすると、それだけで疑心ひとつ湧いてこないから不思議だ。ベオグラードは震える指先を見てかすかに自嘲した。彼の人選に文句などつけられるはずもないのだ。かつて、ベオグラード自身がそうやってフレッドたちをこの戦いに巻き込んだのだから。自責の念に奥歯を噛みしめた。
「……ベオグラード隊長もお分かりになっているはずだ。事情を知っていて、ある程度の戦闘能力があって、捨て駒にしてもさほど影響のない者、そういうメンバーを選んだまでです。悪いけど俺はこの戦いに勝算があるとは思っていない。雇われ兵士としてやれることはやりますよ、一応はね」
冷めた口調で吐き捨てて、ギアは椅子を引いた。彼に情があるはずもない。ギアは革命メンバーと親しいわけでも、長い付き合いがあるわけでもない。その分、ベオグラードが黙ってうなずく姿はギアよりも数段冷酷に映った。
翌朝、クレスは忙しなく城内を駆けまわっていた。いつも以上に身なりを気にして先刻から長い廊下を行ったり来たりだ。クレスだけではない、城内に居る者が皆、やけに落ち着かに様子で右往左往している。フレッドは、というとわけが分かっていないのだから焦る必要もなく、寝癖のついた髪のままその光景に茫然としている。
「何やってんだ、こんな朝っぱらから」
ぼやいたのを聞きつけたのか、廊下の向こうからクレスが血相を変えて突っ込んできた。のけ反るより早く腕を掴まれる。
「な、なんだよっ」
「それはこっちの台詞よ……! 寝癖頭でのこのこ廊下に出てこないでっ。お願いだから呼ぶまでは大人しく部屋に閉じこもっててよ、後で部下に送らせるからっ」
「はあ?」
寝癖は確かに褒められたものではないが、そこまでけなされる代物でもない。口元をひきつらせていると、妙に辺りが静かになった。廊下の突き当たりに人影が三つ、城内の兵をそれを確認するなりその場に跪いて道を開けた。クレスも慌てて膝をつく。その際フレッドも忘れずに引きずっておくところはさすがだ、有無を言わさず地べたに這いつくばる羽目になりフレッドはひたすら苦虫をつぶしていた。上目遣いに状況を窺う。