Carnival Chapter 18

「クレス、あなたはいいのよ、顔をあげてちょうだい。それに……横にいらっしゃるのはフレッド様でしょう? どうぞ、そのような真似はやめてお立ちになってください」
聞き覚えがある声が降って来た。顔を上げると、クレスの完璧な敬礼がまず目に入る。目の前にいるのは言うまでもなくセルシナ皇女とファーレン13世だった。その少し後ろでベオグラードが苦笑いをこぼしている。
「お二人ともご無事で何よりです。護衛隊一同、ご帰還お待ちしておりました」
「フレッド様、それにクレス。あなた方には本当に感謝してもし足りないくらいです」
クレスがいちいちこちらに視線を配ってきては、フレッドが無礼な態度をとらないか確認する。さすがに王と皇女を目の前にしていつも通り振舞えるほど、フレッドの肝は太くはない。この状況なら確かに寝癖は犯罪レベルだ。皇女とクレスがにこやかに会話を交わすのを遮るように、ファーレン王はわざとらしく溜息をついた。
「くだらん。クレス隊長、さっさと玉座の間に通せ。いつまで待たせる気かね」
「失礼いたしました、すぐに」
 フレッドは無意識にファーレン13世を睨みつけていた。地下牢から救出したときは蝋人形のように宙を見つめていたはずだが、今は水を得た魚のように無駄に輝いている。──それでも死神から受けた『大罪』は消えない。片目は光を失ったまま、輝きを取り戻すことはない。
「農民風情が……のこのこ城内にまで入り込んできおって」
何が腹立たしいかというと、フレッドにしか聞こえないように小声で呟いていることだ、言い返すわけにもいかず苛立ちだけが募る。だいたい今現在の国王はフレッドである。この逆転的な立場に甘んじて良いものか、フレッドは唸りながら足を進めた。
 玉座の間に入れるのは国王、皇女、そして大臣たちだけだ。要するにベオグラードやクレスでさえも、緊急事態で無い限り容易には入れない場である。今、その神聖な一室には、様々な人間がごった返している。
「フレッド! こっちだよ、こっち!」
こんな子どもや、
「なんか……臭うな」
「え? 私ですか?」
こんな天然ボケ予言者や、
「やかましんだよ! 黙って突っ立っとけ!」
昨日つけられるだけの格好をつけて姿を消したはずの、最もこの場にそぐわない男さえも、革命に関わったメンバーと、ファーレン兵、招待されたベルトニアの代表たちに混ざって立っている。ベルトニアの代表の中に見知った顔はいなかった。サンドリアは国を明けるわけにいかなかったのだろう。
「何が、よ」
先刻のフレッドの呟きを受けて、クレスが小声で確認をとる。
「いや……別に」
フレッドの生返事に訝しげな表情を返しながら、クレスも気のない返事でするだけで特に掘り下げもしなかった。
 彼らがここに集結した理由はほかでもない、彼ら自身が王より表彰を受けるためだった。それがフレッドが感じた「におい」のおおもとでもある。先刻、あのように自分をコケにしてくれた国王がわざわざ好き好んで表彰などするだろうか。胸中で、疑問ははっきりとしていたが、敢えてクレスには言わないでおいた。
 強力な寝癖を半ばあきらめ気味に撫でながら、フレッドは王の登場をつまらなそうに見ていた。
「ベオグラード、クレス、ならびにファーレン奪還に関わった全ての者よ、今日の宴は諸君らが主賓である。諸君らに敬意と感謝の意を表すと共に──」
王が杯を掲げる、それに合わせて皆杯を手に取った。
「ファーレン王家の一層の繁栄を願って」
各々に小さく杯を掲げた。宴の始まりは厳粛なもので、周りを見回しても歯を見せるような者はない。皆粛々とグラスに口をつけるだけだ。その動作を隠れ蓑にして、ルレオがグラスの中に舌打ちする。
「おい、誰に敬意と感謝を表するって? 主賓をその他扱いしやがったぞ」
「俺に聞くなよ……。だいたい予想できたことだろ、あんたこそ何のこのこ出てきてんだ」
「あ? 当然金一封くらいもらえるもんだと思うじゃねぇか。マジにこの葬式みたいな食事会で済まそうってんじゃねえだろうな、あの脳なしキングは」
おそらくその予想は的中しているが、フレッドはそれにも口出しはしなかった。この儀式めいた食事会で何もかもが済むなら、むしろ願ったりだ。
 しかし、フレッドの願望はあっさりと崩れ去った。ファーレン13世が用意した彼らへの「敬意」と「感謝」は、思いもよらない形で表された。
「この宴のメインイベントを始めよう。この偉大なるファーレン王国を滅亡に導かんとした哀れな男、ルーヴェンス──本日正午に、この者の公開処刑を執り行う。城下の広場に磔にし、火刑に処すのだ!」
 玉座の間に戦慄が走った。穏やかで美しいクラシックメロディをかき消すほどにざわめきが広がる。ルレオなんかは口を半開きにして、ただ唖然としていた。
「見せしめとしてその後一週間放置する。……このような馬鹿げたクーデターを起こそうなどという者が金輪際出ないよう、民に知らしめるのだ。さあ! 本当の宴のはじまりだ!」
「お待ちください!」
 間髪いれず飛び出した駄目出しに、フレッドは両目を覆った。ファーレン13世といい、クレスといい、期待を全く裏切ってくれない点ではいい勝負だ。
「陛下、どういうおつもりですか? 相手は政治犯です、きちんとした処罰をきちんとした方法で行うべきです! 公開処刑だなんて……!」
「悪趣味、とでも言いたいのかね? クレス隊長、君はどこまでも勘違いが過ぎる」
「は?」
「貴様らのような奴らを政治犯というのだ! 処刑が済むまでこいつらを別塔の牢に放り込んでおけ!」
 自分たちが主役の宴席で、しかも玉座の間という神聖な場所に武器を持ち込むほど場をわきまえない者はいない。つまり全員丸腰だった。四方八方から槍を向けられれば、大人しく両手を挙げる他術がない。
(なんかこの光景……覚えがあるな)
「あの時」も同じように、このぼんくらファーレン王が処刑宣告を下して、クレスがそれにバカ正直に反発して、結局自らが槍を向けられるという展開だった。そしてそれを、魔がさして──と言うのが正しいのか、とにかく衝動的にフレッドが救出した。いくつかの条件を差し引けば、状況はほとんど同じだった。それはこの国が、危機的状況を乗り越えてなお、何一つ変わっていない──変わろうとしていない──決定的な証拠であった。
「冗談じゃねぇぞ! 人がわざわざ出向いてやりゃあ、すっとボケたことぬかしやがって! おい、お前も何とか言え! 国王はお前だろ!」
万歳の体勢で怒鳴り散らすルレオ。都合のいいときだけのインスタント国王がすっかり板に着いたフレッドに向けて青筋を発射してくるも、当のフレッドは固く瞼を閉じ、黙って両手を挙げているだけだ。いい加減この手の展開にも慣れてきて、悠長に自らの倖の薄さを憐れむ余裕すらある。余裕はあるが、抵抗の術がない。そういうわけで、最善の策は我関せずを貫いて大人しく牢に放り込まれることだろうと踏んだ。
「いい根性じゃねぇか……っ。お前ら全員覚えてろよ! 腕が治った瞬間ギッタギタにしてやっからな!」
 それがルレオの最期の言葉だった。彼がどこかの有名なガキ大将の捨て台詞を吐いた直後に、彼らは手際よく連行され、この円柱型のレンガ造りの牢にぶち込まれた。小窓には鉄格子、木造りの格子扉には見張り、という古典的な軟禁状態である。長期収容に造られたものではないのか、牢の中には家具らしい家具はひとつもなかった。
「とんだ災難だな……」
フレッドは天井を仰いで独りごちた。このシンプルな軟禁室はいくつあるのか、ご丁寧なことに皆ばらばらに収容されたようだった。考えようによってはビップ待遇だ。特に何を行動に移す気もなかったフレッドは、そのままのそのそと冷たい地べたに座り込んだ。深々と嘆息して瞼を閉じる。そうしてから何分と経たないうちに外の騒がしさに目を開けた。



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