Carnival Chapter 18



 見張りの兵が隣の見張り(と言ってもフレッドの視界には映らない)と何か早口に会話をしている。フレッドは訝しげに眉を潜めて、小窓を覗いた。鉄格子の隙間から城下の様子がうかがえる。何となく記憶にある家並びだ、それがベオグラード邸に続く裏通りだと確信するまでそう時間はかからなかった。そしてそこを、やはり何となく記憶にある背格好の女が猛スピードで駆け抜けていくのが見える。アップにしたブロンドの髪が、風を受けて踊っている。
 フレッドは見なかったことにした。誰に向けたわけでもない嘘くさい笑顔をつくって小窓からゆっくり距離をとる。
「……今日は天気がいいなぁ」
洗濯をすれば一気に乾きそうな快晴だ。そのお天道様の下を、女は全速力で駆けている。
「こういううららかな日は昼寝するにかぎるな」
それがまっとうな人間のまっとうな考え方というものだ。うららかな休日の午後に公開処刑だの脱獄だのと物騒なことを考える方が間違っている。しかしそれを敢えて実行に移す連中がファーレン13世であり、この女だ。フレッドは地団駄を踏みならして立ちあがった。
「なに考えてんだよあの女……!」
どうやって抜けだしたのか知らないが、広場に続く街道をひた走っているのは間違いなくクレスだ。
「いたか!」
「いません! 既に城下まで脱出したのではと思われます」
「見つけ次第ひっとらえろ! ……多少手荒でも構わん」
牢の前で見張りの兵が辺りもはばからず切羽詰まった声をあげる。耳を塞ぎたかったがそれもかなわない。手持無沙汰に突っ立ったまま苛立ちに任せて後頭部を掻きむしった。
「あぁ、くそっ。どいつもこいつも!」
独り言にしては大した声量で愚痴をこぼして、フレッドは出入り口に寄りかかって立つ見張りの腰から剣を引きぬいた。


 クレスは逐一後方を気にしていた。自分が抜け出したことは早々に気づかれたようだが、発見はされていない。ファーレン兵が無能なのか自分が有能なのか、どちらにせよ今に限ってはありがたい要素だった。広場に近づくにつれて人の密度が高くなる。これが皆、公開処刑のギャラリーかと思うと吐き気がした。広場に出るとそれはより顕著になった。
「殺せ! 殺せ!」
「何やってんだ! さっさと始めろー!」
統一性のない雄叫びがどこからともなくあがる。それ以外は皆好き勝手に罵詈雑言を吐いているということくらいしか分からない。熱気に満ちた群衆を掻き分けて、クレスは処刑台に立った。その瞬間、民衆の暴言が歓声に変わった。この世で一番醜い歓声に。
 クレスはゆっくり顔をあげた。今切り崩してきたような木の柱には、かつて国王の片腕として権力を我が物とし、反旗を翻し失脚した男、ルーヴェンスの変わり果てた姿があった。艶めいていた黒髪は乱れ、手入れをされた形跡のない口元は髭で覆われていた。そこから僅かに覗く頬はこけ、目は落ちくぼんでいる。一時とはいえ、この国を手中に収めた男の面影はもはやどこにも残っていなかった。
「時間過ぎたぞ! いい加減にしろ、いつまで待たせる気だ!」
処刑台の真下に陣取った男がヒステリックに叫ぶ。この男をはじめ、処刑台をぐるりと取り囲み下劣な罵声を浴びせるファーレンの民。
「俺はそいつに息子を殺されたんだ、当然の報いだろうがっ。苦しんで死ねよ!」
暴言と凄まじい批難はエスカレートするばかりでやむ気配はなかった。クレスが振り向いた先、視界を埋め尽くす群衆は憎悪に駆られ正義に酔っていた。そこに罪悪感は微塵もない。
「黙りなさい……」
声を絞り出した。喉の奥が焼けるように熱かった。
「ころせっ、ころせっ」
「火ぃつけろ! ぶっ殺せ!」
「黙れと言ったのが聞こえないの!」
その悲鳴のようなクレスの一声で、一瞬場が静まり返った。それはすぐにどよめきに変わる。
「自分が恥ずかしくないの……? こんな馬鹿げたこと……! あなたたちはこの内乱で何も、何一つ学ばなかったの!」
何人かがクレスの怒声に圧倒されて言葉を濁していると、それを見かねて先頭を陣取っていた男が再び声を荒らげた。
「綺麗事ばっかり並べやがって! あんたたち軍人がどれだけのことをしてくれたんだ? 巻き込まれるのはいつもいつも俺たちじゃねぇか!」
「そ、そうだ。何の関係もない私たちが……」
クレスは一瞬、ほんの一瞬天を仰いで息を吸い込んだ。それから血がにじむほど拳を握り、歯を食いしばった。
「今、発言したのは……誰。もう一度、前へ出て言って」
人々は顔を見合わせた。慌ててかぶりを振ったり指を指しあったりしてざわめき立つだけで、誰ひとり進み出る者はいない。クレスの噛みしめた唇から血が滲んだ。
「前に出ろと言ってるのよ! ……巻き込まれた? 関係がない? ……私たちはこんな国を守るために今まで……。ファーレンは何も変わってない、あんたたちがこの国を狂わせているのよ!」
「なんだとぉ……! 貴様が戦争を始めたんだろうが! この悪魔!」
男は腰をかがめたかと思うとその手にこぶし大の石を握った。
 ここでようやく、フレッドが一気に人込みから飛び出して、一目散にクレスの下へ走った。予定としては、投石を勢いよく弾いて颯爽と登場するだとか、クレスを突き飛ばして直撃を回避させるだとかの絵になる助け方を模索していたが、処刑台によじ登った直後に石はフレッドの脳天に電撃命中して勢いを失った。後頭部を押さえて力なくしゃがみこむ。
「フレッド……! 何やってんの、どうしてここに! だ、大丈夫……?」
返事もろくにできず涙目でただ唸った。何をどうしてと言われれば、一応クレスを助ける目的で躍り出てきたつもりだ。どうやってというのを補足するなら、かなりの無茶をして脱獄して、と答える他ない。それらの問答は全てフレッドの胸中だけで完結してしまった。激突部分を押さえた手のひらに赤黒く血がへばりつく。
「度が過ぎる。当たったらどうなるかくらいちょっと考えりゃ分かるだろ、パイ生地じゃねぇんだよ」
石を投げつけてくれた男の顔も位置もしっかり把握している。今すぐそいつをタコ殴りにしたかったが睨みつけるだけに留めておいた。
(この光景もなんか……覚えがあるんだよなあ……)
 フレッドは処刑台の上から、そこに集まったファーレンの民をぐるりと見渡した。憎悪を抑えきれず顔を歪めた者、悲嘆にくれ涙を流す者、そしてクレスとフレッドの登場に困惑する者、その誰もがフレッドと視線が合わないよう目を逸らした。
「巻き込まれたって言うなら、こんなバカ王国のために命はってくれたベルトニアの人たちだろ。ファーレン13世やルーヴェンスみたいな独裁者を作りだしたのは間違いなくファーレン国民だ、あんたたちは全員加害者なんだよ」
まさか処刑台の上で、二度目の演説をする羽目になろうとは思いもしなかった。何もかもが初めてではない。石を投げられるのも憎悪のはけ口になるのも経験済みだ。
「フレッド、血が……」
「俺は」
青ざめるクレスを制してフレッドは続けた。
「目の前で死んでく人間を何人も見た。大罪を受けて動けなくなった奴とか、俺が王位を持ってるばっかりに盾になった奴とか、……それでも戦ってきた。彼女も、ベルトニアの人たちも、みんな戦ってきたんだ。あんたらが文句ばっかりたれてる間もな。あんたらは、この寂れたおっさん火炙りにして何か変えられると思うのか? それで満たされんのかよ」
 広場が静まり返った。身動きもろくにできないほどひしめき合った人々の中で、話声ひとつしないのは逆に不気味だ。フレッドは後ろのクレスに目で合図した。半ば放心していたクレスがそれを見て、ルーヴェンスを解放するべく幾重に巻きつけられた縄に手をかけた。それを止める者はいない。



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